カメラマンの野田雅也さんからです。

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【熊本地震レポート④】

 

 プレハブとソーラー発電設備を支援できるような人はいないでしょうか?

 

 断層が走る阿蘇市狩尾。肉牛繁殖農家の荒川冨美夫さんは、倒壊した牛舎の側に死んだ牛を並べていた。2階にワラのロールを積み上げていた牛舎は、重さで完全に倒壊。1階で飼っていた20頭の黒毛、赤毛の和牛のうち、3頭が首の骨を折るなどして死に、3頭はすでに虫の息だった。

 

 16日の2度目の地震で母屋は大きな音を立てて崩れ、1階で寝ていた荒川さんは身を守るために布団をかぶったが、家屋の下敷きになった。運良く柱や梁の50cmほどの隙間に体は守られていた。

 

 しばらくすると、外から「荒井さん、大丈夫か、生きてるか」と近所の人の声が聞こえた。「助けてくれ」と大声で叫ぼうかも考えたが、外も大変な状況だろうから迷惑をかけると思い、黙っていた。声が近づいたので、近所の人が驚かないように、「ここにいるから大丈夫」と囁いた。

 

 チェーンソーを持ってきた近所の人に、どこの壁を切ればいいか中から指示を出し、壁面を剥がしてもらい、隙間から引っ張り出してもらった。納屋も牛舎も倒壊しているのを暗闇で見たが、その日は阿蘇中学校に避難した。九死に一生を得た話を、荒川さんは冷静にゆっくりと落ち着いた口調で話してくれた。

 

 荒川さんのことが気になったので、翌日に再訪すると、父が心配で帰ってきた娘の綾華さんと一緒に、倒れた梁の間に挟まっているジーンズを、懸命に引っ張っていた。柱がかんでいるので、取れそうで取れない。聞けば、避難所で服の配給はあったが、派手でよそ行き用の服ばかり。恥ずかしくて着れないという。愛着あるジーパンをどうしても履きたいのだが、やっぱり取れない。

 

 その後、牛を安楽死させるためにトラックと獣医がやってきた。出荷できるまでに育った毛並みの良い赤牛は重傷を負い、起き上がれないが、草を食べようと懸命だ。荒川さんがボトルから水を飲ませると4本を立て続けに飲んだ。

 

 生きようと懸命なのだ。ボトルの水がなくなると、荒川さんの手をしゃぶり始めた。「助けて欲しい」と言っているのか、「別れを告げているのか」は分からないが、荒川さんは牛の気がすむまで指を舐めさせた。その後、獣医に筋弛緩剤を打たれて、安楽死させられ、処分場へと運ばれた。娘の綾華さんは泣いていた。荒川さんも歯を食いしばっていた。

 

 今、生き残った牛をビニールハウスで世話している。避難所は遠いし、餌やりに毎日通うのも大変だ。仮設住宅ができるのか、行政の支援がどれほどあるのか、この先どすれば良いのかわからない。

 

 母牛の乳が出なないため、子牛は4日間も空腹の状態だ。そのため牛のいる自宅から離れることができない。だから庭に小屋でも建てて、牛を見守ることができる生活を再開したいという。そのためにプレハブとソーラー発電があれば生活はできる。井戸も阿蘇の湧水もあるので、水は問題ない。

 だからプレハブとソーラー発電設備を支援できるような人はいないでしょうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

~転載以上~

 

 

こちらの記事には豚さんについて書かれています。

 

【熊本地震レポート③】