どんな人にも人生という物語がある。例えそれが誰の記憶にも残らないとしてもね。そんな二つの物語をみて想ったことで、また長い;

 スペイン映画で「死んでしまったら誰も私たちのことを語らない」という映画があってとても心に残っている。(Nadie Hablara De Nosotras Cuando Hayamos Muerto)

   

 事故で植物人間になってしまった闘牛士の夫の看病と、ローンの返済に疲れたグロリア(ビクトリア・アブリル)は、酒に溺れる日々を送っている。

 ついに何もかも捨ててメキシコへと旅立つ。幸運を探して。けれど売春婦に落ち、挙句にマフイア組織とその金を奪いに来たグループの抗争に巻き込まれてしまう。

 グループのひとりは撃たれた死に際に、地下組織のマネーロンダリングリストをグロリアに渡す。 「これで幸運を掴めるぜ、金持ちになったらオレのこと思い出してくれ。お袋も死んじまって、お前の他にオレを思い出してくれる人は、誰もいないんだ」と。

 スペインに強制送還させられたグロリアは、姑フリア(ピラール・バルデム)が住むマドリード郊外の団地に戻る。フリアは植物人間になった息子の看病をしながら、ローンを肩代わりしていた。

 元レジスタンスで、今は学習塾で細々と生計を立てているフリアは、強い意志と信念、そして優しさをも持ち合わせた女性で。このフリアという老女が素晴らしい。この映画は女性の映画なのよね。

 もがきながら生きるすべを探すグロリアの「生きざま」を見せられて、あぁ、この映画って女性を応援してるんだって思う。姑のフリアが、市民戦争ゲリラ戦の只中で強姦されても、仲間は売らなかったよ、って話す場面も心打たれた。

 「高校の卒業資格だけは取りなさい。自分で働いて生きていくのよ」フリアはグロリアに言うのだが、グロリアは、マネーロンダリングリストに載っていた毛皮店から金を盗む計画を練る。

 けれどリストを持ち逃げしたグロリアを仕留めにメキシコの殺し屋がマドリーに来る。彼もまた深い悩みを抱えていて娘の重い病がよくならないのは、長年の彼が犯し続けている「罪」のせいではないかと考えている。其々の悩みと孤独。

 若くもなく学歴も金もなく、自分で生きようとする意志にも欠けている。そんなグロリアは、姑フリアに助けられ、誰のものでもない自分の人生を見つめ直していく。

 スペイン語で Salir Adelante 前向きにとか次に向かって行くっていうような意味。少なくとも、次へ進もうと必死でもがくことには価値がある。それが他人から見たらつまらないことであってもね。だからこの映画もラストに暖かい気持ちが残る。

 まったく味の違う映画なんだけど、夜中に「ダスト」って映画をみた。

 「だれか、私という物語を覚えていてほしい。」
これが本作の映画コピー。2001年、イギリス・ドイツ・イタリア・マケドニア合作映画で、監督は「ビフォア・ザ・レイン」でヴェネチア国際映画祭金獅子賞や数多くの映画賞を受賞したミルチョ・マンチェフスキ。

    

 現代のニューヨーク。古びたアパートに住む一人の老婆アンジェラの所に、空き巣に入った黒人青年エッジ。

 彼は警察官も絡んでいる密売人から薬を盗み指を折られて金の返済を迫られている。老婆が金貨を持っていると盗みに入るが、逆に老婆から銃をつきつけられ、自分の話を聞くように脅される。

 そうして老婆が語る100年の話は。「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれるバルカン半島を巡る壮大な物語。

 古代から東ローマ帝国、オスマン帝国、オーストリア・ハンガリー帝国といった多民族国家の時代が長い地域であり、このバルカン半島の民族問題が第一次世界大戦勃発の要因ともなって、現代にあってもボスニア・ヘルツェゴビナ内戦やコソボ紛争といった宗教、民族問題を抱え込んだ紛争が続く地だ。

 当時のアメリカ西部から独りの美しい妻を巡ってルークとイライジャ二人の兄弟が、遙かマケドニアで繰り広げる争い。

 現代ニューヨークと、100年前のマケドニアを行き交い、人間の生と死をテーマに時空を超えて描かれた話になっているのだが。映像が美しく、知らぬマケドニアの革命軍の村とオスマントルコ軍の粛清の歴史も伺える。

 キリル・ジャコウスキーの奏でる土着の匂いのするメロディ。ハリウッドでは到底描き得ない、土と風の匂い、そして人の息遣いが聞こえてくるような映像。

 ネタバレになるけど、アメリカ西部で無頼漢の兄ルークと神の教えに敬虔な弟イライジャがいる。弟と結婚したリリスが忘れられず彼女もルークを愛するが。リリスはやがて死を選ぶ。

 修羅を抱えアメリカからヨーロッパに渡ったルークは、パリでマケドニアの紛争を報じるニュース映画を観、革命軍のリーダーにかけられた金に、賞金稼ぎとなって動乱のバルカン半島へ渡る。

 そこで繰広げられているオスマン・トルコ軍とマケドニアの独立を掲げる革命軍の壮絶な戦闘。生死の境をさまよったルークは、革命軍のリーダーの子を身ごもった女性アダに助けられ、彼の中で何かが変わっていく。

 愛する妻リリスが死に、兄に対する恨みつらみを抱えて弟イライジャも兄を追ってバルカン半島に渡り、兄弟は運命の再会を果たす。

 オスマン・トルコ軍に斬首された革命軍のリーダー。その彼の血を受け継ぐ子供を殺そうと待ち構えるトルコ軍。臨月近いアダを助けるため単身トルコ軍の部隊にやってきたルーク。そこで繰広げられるトルコ軍とルークや村人たちの生死を賭けた銃撃戦。その真っ只中で産声を上げ、アダの命は消え、この世に生まれでた一つの生命。

アダを守ろうとして散った兄の穏やかな死に顔を見、兄が命を賭けて守り抜いた赤子の生命を、弟イライジャは引き受けバルカン半島を後にする。

そして2000年の現代、そのバルカン半島の上空を飛ぶ飛行機には、ルークたちの物語を語り終えた、アンジェラの遺灰の入った壺を抱くエッジが乗っている。

 アンジェラの金貨をエッジは受け取り、老婆の遺言。「死んだら遺体を焼いて生まれ故郷に撒いて欲しい」を果たそうと。

アンジェラこそ、ルークが命を賭けて守り、そして弟イライジャが兄の思いを引き継ぎ抱きしめた、戦場で産声を上げたマケドニアの革命軍のリーダーの血を受け継ぐ者。

 死んでいった者たちの物語はイライジャからアンジェラへ、そして現代のニューヨークに住むエッジへと、引継がれ紡がれていく……という物語。

 どんな歴史の中にも日常にも、人の物語があってそれはほとんど誰にも語られない。自分にも語るべき物語はあるのだろうか。

 死んでしまったら誰も私たちのことを語らない。それでも人は語りそれは誰かの記憶の中で継がれていくのだろうか。何時も映画の紹介にもならないね。