あるブログで組合の記事を拝読して、ちょっと、それについて思い出したんで書いてみますの。
個人的な、組合についての経験と感想なんですが。

大学出て勤めたのはアニメ会社で、もうタコ部屋同然でしたね。一応株式会社で社員もいたんですが。社員一割、契約社員八割、臨時雇い一割位で。契約も一本契約、半年契約とあったのね。

現場は原画・動画・彩色トレス、コンテ書き、編集、演出部って分かれていたんだけど。彩色は外注の主婦の内職、撮影も外注、現像も外注、編集部は丸ごと下請けみたいなね。

そこでは誰も文句も言わず、徹夜仕事も連日で、編集室には二段ベットで何時も誰か仮眠取ってるし、ワ○ミかって云うほどでしたが。

当時のアニメ会社や、映像現場なんて何処もそんな感じであったでしょう。アルバイトのCM編集が一番楽でしたね。

それでもその仕事が好きって者が、残っていったんでしょう。ピンク映画(ふるっ)でも現場にいたいとか。

そんな中で、おばQやルパンや、アタックNo1、ムーミン、巨人の星などは作られていたんですの。

その後、東映や日活の現場でも働きましたが、東映は契約社員で、網走番外地なんかのエジターに直雇いでしたが、とても良い方で普段は6時退社だし、自分も学ぶ事が多くて楽しかったんですが。

そこで、東映争議に直面しましたの。
撮影所争議では、それ以前の東宝争議が有名なんですがね。

映画斜陽の波は五社にも及び、71年には大映倒産、東映動画でも争議が起きた時代ですね。

社員は取らないで、契約に変えられる。撮影期間やフイルムの長さも短くされ、撮影部の組小屋っていって、現在撮影中の本編は、長屋に○○組みって看板が出てるのね。

黒澤組とか今井組みとか、893さんみたいだけど、そう呼ばれてた。それを潰して土地を売るとかの話もあって、社員の組合が反対して揉めた。

それ以前の大泉撮影所は、とてものどかで、森や小川もあってスタジオも広かったの。

ヒマな時は、釣りしてる小道具さんとかもいて、私も空き時間には、一緒に小道具の草鞋編んだり、傘貼り手伝ったり。

それで、交渉で組合がスト打つといい、会社が撮影所をロックアウトした。組合所属の社員は使わない。全て外注でやるっから勝手にスト打てと。

そこで問題となったのは、契約社員やフリーの一時雇いは殆ど日銭商売だから、撮影が出来ないと食えないわけよね。だからストに反対するし、撮影所外での現場にも出る。

だけど、社員も同じ現場で働いてきた仲間だから、スト破りして働くことは出来ないと悩むのよ。私はエジター直雇いで、テレビ映画のキーハンターとかプレイガールやってたから直接は関係ないと云えたんだけど。フリーの助監督と暮していたから。

役者や俳優や監督も、すごく悩んだと思う。当時「女囚さそり」撮ってた伊東俊也さんとかも社員で、撮影中断しても首切りに反対して、一時中断になってしまったり。

それでも、結局和解に向けて交渉が続けられ、互いに譲歩して、土地は売られ社員監督の数人は契約監督になったり、助監督もフリーを使う事が増えた経緯があったのよね。

この辺りから社員はすごく減って、契約社員が増えていったんだと思うの。テレビも下請け丸投げが急速に増えていったのね。

契約社員って、今の派遣と同じで何時でも首切れる。更にその下にフリー契約の下請け労働者もいるのよね。実は、今の労働市場の状況と似てるんだよね。

小泉時代に、派遣法が通ってどっと派遣社員が増えた。当時は自由に職場を選べると、賛成した人も多かったのかも知れないね。フリーターとかも現れたし、スキルに自信のある方は、関心も薄かったろうし。

今、安倍首相が議長を務め、榊原定征氏 (東レ会長)や竹中平蔵氏、新浪剛史氏(ローソン社長兼CEO)などの有識者による。産業競争力会議(内閣府)で。

「産業の新陳代謝の促進」「人材力強化・雇用制度改革」「農業輸出拡大・競争力強化」など《雇用維持型から、労働移動支援型への政策のシフト》
議論が進んでいるようなんですが。

「ホワイトカラーエグゼンプション」も含めて。こうした動きが何を示してるのか考えるとね。

今は社員として、継続的に仕事をしてる方でも、何時、社員や契約や派遣を切られるかもしれないという、不安定な労働者を増やすだけっていう危惧を持ってしまうんだけど。

労働市場が、ブラック企業化しないんだろうか。だからあんなに抗議があって死者もでたのに、ああいう方を政治の場へ招聘したんだろうか。

組合も社員の方も、この政策に肯定的なんだろうか。派遣やフリーの方は、みんな派遣になったらいいと思っているんだろうかね。

桃林の桃源郷
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