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お庭でドレッシング

三鷹駅南口で、ガーデニングとカーテンのお店をはじめました。
日々がキラキラするようなわくわくをお届けできればと♫ 花苗、観葉植物、ガーデン小物、寄せ植え~お庭施工、寄せ植え教室。カルトナージュ教室も開催しています!


新米ガーデナーのひとり言


8月1日 午後4時40分。


我が家の次女、ジョディが息をひきとりました・・・


12歳になってから、皮膚に腫瘍ができて摘出手術をしたり、

脳に異常が起きて一時歩けなくなったり、、、


でもそのたびに驚異的な回復力で、私たちを驚かせ、1

5歳まで生きるかもなんて勝手な期待をかけていたこの頃でした。



2週間ほど前に散歩中側溝に後ろ足がはまってしまい、

それをきっかけにしてあっという間に立ち上がれなくなってしまいました。


24キロの体を支える筋肉は衰え、介助しながらやっとの思いで外に連れ出し、

用を足す日々でした。


一週間が過ぎる頃、泣き声のようにヒイヒイと言うようになり

とても苦しそうにしだしました。


できる検査の結果、ヘルニアと肝臓の腫瘍がみつかり、毎朝通院して

痛み止めの注射をしてもらいながら過ごしました。


その痛み止めもだんだんと効かなくなり、もう見ていられないほどの苦しがりよう。

息をひきとる3日前くらいからは、毎日往診に来ていただき、

強い痛み止めの注射でごまかしました。



この時点で、脳に何か原因があることは

ほぼ間違いないとのことでした。

ゴールデンレトリーバーに多い症状だそうです。


悲痛な泣き声は家中に響くので、

父が一晩リビングのジョディちゃんのそばに付き添い、

私が次の日に一晩付き添い、お水を飲ませたり、

体制を変えたりと朝まで看病しました。


母は大事な仕事を抱えていたので、私たちに預け2階で眠りました。



8月1日の朝、今日は父も私も仕事は休みだったので

一日家でジョディの看病をすることにしました。

親しい友人や兄夫婦に連絡をしたのもこの日の朝でした。



父は2階で仕事をしながら、何分かおきに様子を見に行き、

私はホームセンターにペット用シーツとうっ血防止用に、

巨大なプチプチシートを娘と買いに出かけ、

ちょうど5時少し前に自宅に帰ってきたところでした。


父は事務所で仕事を終えた母からの電話をちょうど受けながら

一階に下りてきたところで、お互いジョディの元へ駆け寄り、

「ジョディ」と声を掛けるまもなく、その異変にきづきました。



私はジョディの顔に手をあて、血の通わない皮膚の固さに

思わず「あっ」と声をあげてしまいました。


父は何度も「ジョディ、ジョディ、おいっジョディ」叫ぶように呼びかけました。

母は電話越しに父の声を聞き、状況を察したようでした。


父と私と娘は、まだ暖かいジョディの隣に座り込んだ状態で、

状況を繰り返し思い返していました。

父はほんの数分目を離していた間に息をひきとった事が、

やるせないような感じでした。





夜になって、友人や兄夫婦が駆けつけてくれて

ジョディに支度をしてあげました。


次の日の朝、火葬をするため私の所有するワゴン車にジョディをのせ、

たくさんのお花とおやつと、娘が「ジョディちゃんがママの所まで旅をするのに

寂しくないように」と、折ってくれた

5羽(ママと兄弟4匹)の折り鶴と一緒に皆で車に乗り込みました。


自宅の目の前に車を止めておいてから、

ほんの10分ほどのことです。


さあ、行こうかとエンジンを掛けようとしましたがかからない。

気を取り直してもう一度。

かかりません。

しまいにはキイも回らなくなり、お手上げ状態!

完全にバッテリーが上がってしまいました。


大雨の中、もう一台のセダンに乗り換え出発しました。

これには皆も泣き笑い!


最後まで私たち家族に、笑いと笑顔を残していってくれました。


かけがえのない家族です。


火葬が終わり、すべてのお骨を家に持ち帰りました。

母はその足で、仕事で名古屋に向かいました。


兄は私の車を心配して、スタンドにバッテリー充電をしにいってくれました。



10分もしないうちに帰ってきたので皆きょとんとしましたが、

バッテリーは問題なく、何でエンジンがかからなかったのか、、、


ふしぎですね。。。



しばらくは、仕事をしていてもふと思い出し涙が止まりませんでした。

帰ると娘と一緒に迎えてくれた、大きな存在が今はなく、

ぽっかりと穴が開いてしまったようでした。


最後に苦しみながらも、小さく切ったスイカを食べてくれた姿が

目に焼きついて離れません。


その苦しみも長く続くことなく天国に逝ってくれたJODYは、

本当に親孝行な子でした。


たくさんの思い出と、笑いと、幸せを残していってくれたJODYに

このブログを通して、



「ありがとう」



「バイバイ」



「またね」



大好きなJODYへ・・・