物事がこじれる根本は、そこに感情が介入するから。感情が介入しなければ、こじれないものは数多くあり、ロボットがこなすものにこじれはうまれない。生まれるとしたらそれは機械トラブル。それをたんたんと修理すれば物事はなにごともなくすすむ。そこにこじれが生まれるとしたら… 修理する人間と操作する人間の感情が介入したとき。

いっとき、感情を持つことに嫌悪して『機械の体があればいいのに… どこかにメーテルはいないのかなぁ…』と思った時があったが、体は機械でも心が感情を持っていたら、それは葛藤しか生まない。

ガリレオ湯川先生は、理論で物事を片付けていくが、感情をありのままに~な感じでぶつけられると嫌悪感をあらわす。感情は、論理的に物事を片付けるのに最も邪魔なもので、感情は手にとって感じたり、みたりすることができないから、理論的な考えでは『ないもの』とされる。感情からくる表情の変化は目に見えるけれども、感情そのものは、基準値が人それぞれなのであいまい。あいまいなものは存在しないのがある特定分野での考え方。

湯川先生もやっぱり人間なのでふとした拍子に顔が曇ったりするが、それを証明するためのストーリー展開が面白い。ま、東野圭吾氏の書く力が素晴らしいからなんですけどね。



閑話休題



人間は感情があるから苦しいし、怒ったり叫んだり忙しい。

でも、感情があるからこそ面白いからよけいに複雑。



だから、そのままを見つめればいいんじゃないのかなととも思ったりする。

無理に変えようとかするのは、自分の否定につながる。

変わることはできるけど、それは頭ではなく心が欲したものだけ。

頭で考えて変えるものは、いずれ無理が生じるから

まずは『変えよう!』ではなく変え受け入れよう』が先かな。

あまりにもそのものの原液が濃すぎて飲み込み難いのならば、まずは薄めてみるとか。

カルピスの原液一気は難しいけど、薄めたのだったら美味しいじゃん。



そのためにいろんなことをためしたり使ったりするのは、あると思います。