ある地方都市にお住まいの27歳の女性(ケイさん)から、メールをいただいた。

 生活保護申請のために、役所の指示に従って精神科を受診した。そこで統合失調症の診断。誤診、誤処方、薬害……まったくため息しか出ない。




 ケイさんの家は母子家庭。兄弟はいるが今はほとんど没交渉で、ケイさんと母親の二人暮らしという。

ケイさんは10年家にひきこもり、家計は母親の所得でなんとかまかなってきた。

 しかし、その母親がケガで仕事ができなくなり、生活保護に頼らざるを得なくなった。ケイさんが申請をすることになった。ひきこもりということで、市役所では「きちんと病院で調べてもらうこと」を条件とした。そうして、役所指定の大学病院の精神科を受診したのである。ケイさんからのメールを紹介する。



「私も10年も自宅から出られない生活をしていましたし、自分自身でも自分の事をどうすればいいのか分からなくなっていたので、客観的な診断があれば状況が変わるのではないかと、この時は思いました。なので病院へ行く事へはあまり拒否感はありませんでした。


病院の問診票へは「過去の事がいつまでも残っていて、頭がうるさい感じで眠れない、人が怖くて外出が出来ない、潔癖」と記入したと思います。

そして母と一緒に入った診察室で、それらについて事細かく聞かれました。」




その日に入院

医師はケイさんにこう質問したという。

「頭がうるさいというのは、人の話が聞こえるということか? なぜ人が怖く感じるのか? 悪口を言われたのは本当か? 誰が言ったのか? 母親はその悪口を聞いた事はあるか? 見張られている感じはしないか?」

そして、なぜか、最後に書いた「潔癖」についての質問は受けなかった。


ケイさんは、久しぶりの外出で、緊張と軽いパニック状態だった。そのため、医師の質問に思わずうなずいてしまい、一つ一つ自分の気持ちを言葉にすることができなかった。


結果、医師から「統合失調症と思われる」と伝えられた。

と、同時に、「合う薬を探す必要もあるので入院をお勧めします」と提案された。

「ベッドの空きもあるので、今日すぐに入れます。今日じゃなければ火曜(この日は金曜日だった)ですかね。だけど日を空けると、入院するくらいなら自殺したほうが……なんて考える場合があるので、今日の方がいいんじゃないでしょうか。突然でびっくりしたかもしれないけど、体を少し休ませると思って。少し考えてみて」

医師はそういうと、ケイさんと母親を残して診察室を出て行ってしまったのだ。




「突然のことで絶望感でいっぱいになりました。今思えば入院以外の選択肢もあったのでは……と思いますが、母も私も精神科は初めてでしたし、何より診断結果とセットで聞かされた入院という言葉にパニックになり、結局、言われるまま、その日のうちに緊急入院になりました。」



 入ったのは、閉鎖病棟だった。鍵のかかったドアに警備員がいて、そこを通った先にもまた鍵のかかる扉があった。

監視カメラのあるデイルームに廊下にトイレ。一人での外出は許されず、看護師または母親が一緒の外出で一時間だけ許された。

しかし、こうした説明も、そこが閉鎖病棟であることも、ケイさんはすべて後から聞かれたことだ。

入院当日は何がなんだかわからないまま、ただ大きなショックを受けていた。

そして、この時から悪夢のような日々が始まったのだ。




「まず、初日の夕食後から薬が出されました。液状のエビリファイ、寝る前に睡眠薬も飲みました。精神薬は初めてで不安だらけでしたが、これが何の薬でどのような効果があるのか説明はありませんでした。担当医と再び話せたのは、土日を挟んだ月曜日でした。


入院のショックは寝ても覚めても癒えず、不安が拭えないと伝えると、不安薬が追加されました。ワイパックスを1日3回、1錠ずつ。悲しいことに、これを処方された後は嘘みたいに不安は消え、入院生活も頑張れるような気がしました。」




異変が起きたのは入院してから3週間が経った頃だった。

ワイパックスのせいか不安は収まっていた(しかし、憂鬱さは残っていた)。そこで、ワイパックスの減薬、そして断薬となった。

すると、なんとなく感情が無くなる感じがした。しかし、わけもなく涙が出てくる。さらに微熱が続く、常時吐き気があり食事が取れない、手が震えるなどの症状が出るようになった。

身長160cmで体重は47kgだったが、入院中40kgに落ちてしまった。担当医に伝えても反応は鈍く、薬を変えてくれるわけでも、納得できる答えをくれるわけでもない。それどころか、日に日に酷くなる症状をよそに、なぜか担当医や看護師は「元気が出てきた。顔色が良くなった」というばかり。

母親がしばしばお見舞いに来てくれたおかげで、ケイさんの異変に気づき、無理を言って退院することになったのだが――、




転院するも……

「私と母は精神科にも薬にもあまりにも無知で、どんなに症状が重くなってもまさか薬のせいとは思わず、病院が悪かった、病院を変えれば良くなるのではないかと、すぐに別の病院へ行きました。

しかし結果は同じで、今まで聞かれた事を聞かれ、今までと同じ薬を処方されました。睡眠薬、エビリファイ、ワイパックスです。震えと吐き気だけでもどうにかならないかと伝えると、プリンペランが毎食前に処方されました。が、吐き気は治まらず、当然震えは酷くなる一方で、歯磨きや手を洗う事、お風呂で頭や体を洗う事さえも困難となっていきました。


肩は強ばり、手はいつも同じ場所で固まっており、自分では分かりませんでしたが(それも恐ろしい事ですよね)、体が常に傾いており、身体中の筋肉が痛み、口が閉じれずヨダレで目を覚ますため、睡眠薬を飲んでも1時間ほどしか眠れないようになりました。体重も30kg台になり、あまりの風貌の変わりように鏡を見る事も辛く、当たり前の事が当たり前に出来ていた頃に戻りたいと、涙が止まらない日々が続きました。」




入院からふた月足らずの間に、ここまで体調が悪化したのである。

あまりの異常さに、母親が病院に掛け合い、薬がエビリファイからルーラン(4㎎)の半錠に変更になった。このときも、医師は「エビリファイは飲んだ方がいいんだけどね」と言い、薬の変更をかなり渋った様子だった。

「その様子を見て、不信感でいっぱいになりました。こんな状態を見てもどこの先生も異常と思わないのか、精神薬はこれが普通なのではと恐ろしさを感じずにはいれなかったのです」とケイさんはいう。

 ルーランに変更になり、少しずつだが、体の強ばりが楽になり、震えが止まってきた。吐き気は相変わらずだったが、プリンペランの効果か食事がとれるようになっていった。

しかし、今度はだるさで横になってばかりの生活。さらに、それまでは体の苦しさで考える余裕さえなかった入院時の辛さ悲しさ虚しさが、体が多少楽になった途端、怒涛のように思い出されて、さまざまな感情に押しつぶされそうになった。

また、診察のときは、あれを言ったら、これを伝えてしまったらまた入院になるのではという恐怖心で、ケイさんは自分の気持ちを医師にまったく伝えなかった。

医師はそれをケイさんが回復しているととらえたのだろう。

初診から3ヶ月程たった頃、医師はケイさんに作業所を勧めてきた。しかし、ケイさんは、外出が難しいこと、通院するにもバスにも乗れないこと、体がだるいが潔癖なため何度も手を洗わなければならず大変つらい思いをしている(そのため作業所は無理と言いたかったのだが)、医師は、ケイさんが最後に言った言葉のみを捕まえて、潔癖を治す薬としてデプロメールを処方したのだ。

しかし、飲んでも良くもならず悪くもならずといった感じ。潔癖という強迫的な思いは相変わらずで、だるさだけがいつまでも続き、ただ横になっているだけの自分に腹が立った。生きていてはいけないのではないか、死んだ方がましなのではないか……。

症状に何の変化もないまま、デプロメールは1日3錠に増え、ケイさんのなかで、焦りとだるさと、消えたい感情だけが増えていった。

以下、ケイさんからのメールを紹介する。




「そういうことを先生に恐る恐る伝えても、パソコンに打ち込み苦笑いするのみ。まるで話を聞いていないかのように「外出できていますか?」と毎回聞かれました。

そんな先生と薬に疑問は増すばかり。薬を飲む前に戻るには薬を飲まなければいいのではないか。しかし薬は飲み続けなくてはならないと念を押されたこの薬を止めてしまうとどうなってしまうのか……そういった恐怖心が、まだこの時は勝っていました。

しかし、ある日の診察時いつものように「外に出れていますか?」「いいえ」このやり取りの後、先生は仰いました。

「うーん……全然前に進みませんね。これから先どうしますかね。まあ今日はこれで終わりです」

今まであった自分の中の何かが壊れたような気がしました。自分は薬を飲んでも前に進めない人間なんだ、先生がああ言うのだから、きっとみんなすぐに良くなるんだ、私だけがこうなんだ、私がいけなかったのか。そういった考えで頭がいっぱいになりました。

そこから病院へ行くのが怖くなり、病院の事、先生を思い浮かべただけで、腹痛と震えが起きるようになってしまいました。まるで学校を拒んでいた子供の頃のようで……大人として本当に情けない話です。

そして私は先生から逃げました。母親に薬だけを受け取ってもらったのを最後に、そこへは行っていません。

せめて体調だけでも薬を飲む前に戻れないかと、半ばヤケで睡眠薬、ルーランとデプロメールを止めました。急に止めるのは危険だという事はネットで見ていました。ですが、まるで変わってしまったこの体にこれ以上良いことも悪いこともないように思えたのです。

幸いエビリファイを飲んでいた頃のような苦しさは味合わずにすみました。それどころか、座っていられる時間も増え、少しずつですが、テレビをみたり、談笑したりできるようになったのです。最近はワイパックスも飲まなくても大丈夫になり、掃除をする気力もでてきました。

悲しいことに物事を記憶するのは苦手になってしまい、ネットで検索しようとした物さえも忘れてしまう事があります。喋っていても言葉が出てこない、つまってしまう。テレビドラマを見ていてもストーリーを理解するのに時間がかかったりと、[普通]とはとても言えない人間になってしまいました。

ですが、朝起きて座っていられる。自分の手で顔が洗える。歯が磨ける。真っ直ぐに立っていられる。自分の意志がある。ただそれだけでいいと今は思います。

ただ、もし本当に自分が統合失調症だったら……リバウンドがくる日が訪れるのではないかと怖くてたまらない時があります。そして入院の日々、通院の日々を思い出して泣いてしまう日もあります。

それをいつか消化できる日が来るのか、正しかったと思うことができるのか、未だわからずにいます。

こんな話を長々としてしまい申し訳ありません。

こんな文章にもなっていないようなメールをもし最後まで読んでくれていたのだとしたら、何とお礼を言えばいいのかわかりません。人の辛かった話や苦しかった話は本人は軽くなっても相手は重りになってしまいますから。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
誰に言えばいいのか分からない体験を話せてよかったです。ありがとうございました。」




 突然舞い込んだケイさんからのこのようなメールに対して、何と返事をすればよいのか……「少なくとも私には、このような理路整然とした文章が書ける人が統合失調症とは思えない……」。そして、「今の記憶に関する状態は時間とともによくなっていくと思う」と書いて送った。

 そして、そもそもの生活保護は申請が通ったのか、としたら、精神科に通院し続けなければならないのではないかと(薬のこと、精神科へのトラウマが心配だった)質問をしてみたのだ。

 さっそくケイさんから返事が届いた。それによると、生活保護は受けることができ、今は別のクリニックを受診しているとあった。しかし、まだ病院への恐怖心が拭いきれず、母親だけがクリニックに行き近況を伝えている。医師は、事情を了解したうえで、ケイさんが受診できる日を待ってくれているという。飲んでいるのは、漢方の胃腸薬のみとのことだった。

 そして、ケイさんは、なぜ10年間もひきこもることになったのか、その理由を伝えてくれたのである。





「ケイです。まさかお返事を頂けるとは思っていませんでした。読んで下さり、お返事を頂きとても嬉しい気持ちでいっぱいです。ありがとうございます。

(中略)

母の話を聞く限りいい先生のようですが、まだ病院の扉をくぐる勇気が出ないのです。病院の匂い、雰囲気、先生の冷たい目、壁、椅子、机……全てが鮮明に思い出されては震えてしまうのです。本当に情けない程に弱い自分に嫌気がさします。

ですが、作業所へ行くこと、少しずつでも社会との繋がりを作ることが少し先の私の目標です。そのためにも病院へはいつか自分の足で赴くつもりでいます。再び統合失調症と診断を受けるのか……どのような結果になるか分かりませんが。

初めて診断を受けた日から、統合失調症という病名を受け入れようと必死になってきました。病気を受け入れれば、薬さえ飲めば良くなるのだ……しかし、私はその薬を止めてしまった。その事が正しい事かどうかも誰に聞けばいいのか分からない。統合失調症じゃないかもしれない、でも本当に統合失調症だったら? そんな疑問を誰かに聞いてもらい、受け止めてもらいたかったのだと思います。

かこさんからのメールを読んで、涙が止まりませんでした。

(中略)

役所経由で行った病院は○○市にあります××医科大学病院です。
 大学病院の精神科に行ったのはこれが最初で最後でしたので、それが普通なのかは分かりませんが、「おそらく統合失調症だ」と仰った先生はその日以来顔を見せることはありませんでした。

病棟の担当医は統合失調症という診断名の元、私の話を聞いたためでしょうか。毎日のように「見られている感じはしますか?」「大丈夫です」「薬が効いていますね」このようなやり取りばかりでした。


一番疑問だったのは、ひきこもりの原因にもなった父親の話の件です。


父親は私が小学2年生の頃に事件を起こし刑務所へ入り、それをきっかけに両親は離婚しました。そしてその事を話した際に、罪は何かと尋ねられ、正直に殺人罪だと伝えました。

この事を口にする事は非常に躊躇われましたが、その事がきっかけでイジメが始まった事、不登校になった事、たまに外出しても同級生に見つかり「外に出るな」と罵られ、外出が怖くなった事。これらの話をして、ひきこもりになった経緯をきちんと話さなくてはならない、そう思っていました。

しかし、そこから先の話は聞かれることはなく、父親の話もそれっきりでした。この時は、聞きにくい話だと思われたのだろうと自分に言い聞かせましたが、やはり今となっては(統合失調症による)妄想だと思われ、取り合ってもらえなかったのではと疑心暗鬼になってしまいます。

また長文になっていましたね……。お時間をとらせてしまい申し訳ないです。長々読んで頂きありがとうございました。それでは失礼致します。」




精神科医というものは、一度統合失調症の診断がくだった患者の言うことはすべて「妄想」としか考えないということだろうか。人間としての、悲しさつらさ、背負わされた十字架などには、はなからまったく興味がないのだろうか。患者に寄り添う気持ち、その「心」をすくい上げようという思いを抱くことはないのだろうか。

生活保護の申請が絡んでの精神科の診断。

初めて精神科を受診して、誘導尋問のような質問で統合失調症と診断された。罠にはめられたようなものだ。

そもそもは「ひきこもり」である。その原因をきちんと語っているのに……ひきこもりになって当然といえば当然の出来事があったのに、それをまともに取り合おうともせず、薬を出すのみ。そして副作用でジストニアになっても激やせしても、何も感じないのか、薬を飲み続けさせる……。

さんざん痛い思いをしている人をさらに医療で痛めつける。

今更ながら、本当に、精神医療って何なのだろう。