現在29歳になる男性(仮にIXさん)からメールをいただき、十数年前に始まった精神科治療について伝えていただきました。現在、IXさんは、当時飲んでいたたくさんの薬を減薬し、一つ残されたメイラックスの減薬に取り組んでいるところです。


いじめから不登校、そして精神医療へ

 IXさんが初めて精神科にかかったのは、今から16年前、中学2年生のとき(1998年5月、当時13歳)だった。

それ以前、中学1年のときにいじめに合い、不登校。昼夜逆転の生活で、3ヶ月ほどひきこもっていたが、不安感が強くなり、パニック発作も起こしたので、IXさん自ら親に「病院に入院したい」と訴えたのが始まりである。

 親は、都立梅ヶ丘病院(この病院に関しては、20103月に東京都立小児総合医療センターに統合されたこともあるので実名を出すことにする)にIXさんを入院させた。

「当時はただどこかで傷ついた心を癒して欲しいという考えだけでした。精神科がどういうところかも知らなかったので、入院をすれば治してくれるんだろうなと期待していました」とIXさん。

 入院するまで少し期間があり、その間は、母親が病院に行って、1日3錠ほどの薬をもらってきていた。飲んだ瞬間、とてつもない不快感に襲われたのをIXさんは覚えている。


 1998年5月。親の車に乗せられて、入院。

 主治医は、単に両親から話を聞いただけで、IXさんを診察しなかった。

 自分から入院を言いだしたものの、梅ヶ丘病院の何とも言えない雰囲気の病棟を前にして、IXさんは「こんなところに入りたくない」と訴えたが、時すでに遅かった。

入ったところは、二重扉に鉄格子があり、とても病院とは思えない劣悪な環境。

小児専門病院ということで、患者もIXさんと同じくらいの中学生から、上は18歳くらいの子どもがいたが、かなり様子のおかしい人もたくさんいた。

入院初日からほぼ1週間、夜眠れなかったので、IXさんはナースステーションに行き睡眠薬をもらったが、かなり強い物を出されて、フラフラになった覚えがある。

さらに、暴れてもいないのに、ベッドに革の手錠のようなもので拘束された。トイレに行きたくても行かせてもらえず、そのまま失禁していたのを覚えている。

結局、 あれこれ訴えれば訴えるほど薬が増えていき、13錠ほどだった薬もどんどん増え、入院して半年ほど経った頃には、1日に25錠ほど飲まされていた。

退院したのは1999年5月、約1年の入院生活で、退院したときの薬は以下のようなものである。(当時の薬の説明書から)


(平成11524日)

・レキソタン2mg 朝1 昼1 夕1

・セレネース1.5mg 朝1 昼1 夕1

・メレリル10mg 朝2 昼2 夕2

・アーテン2mg 朝1 昼1 夕1

・アキネトン1mg 朝1 昼1 夕1

・ベンザリン5mg 就寝1

・メレリル10mg 就寝2

・テグレトール100mg 朝1 昼1 夕1

・メレリル25mg 頓服

・レキソタン5mg 頓服

・レボトミン



 これだけの量の薬を14歳のとき、IXさんは飲んでいた。入院中はおそらくもっと多かったに違いないと言う。

「薬のせいで頭が回らず、不安が強くなり、不安を消すために頓服薬を飲むという悪循環です。梅ヶ丘病院には、2003年の春頃まで通院していましたが、ここにいたら絶対に良くならないと思い、「武○小○○南口診療クリニック」に転院することになりました」


根本に横たわる母親との関係

「武○小○○南口診療クリニック」での話はあとで触れることにして、IXさんと母親との関係についてちょっと触れておこう。

 現在、IXさん母親とは絶縁状態である。もともと関係はよくなかったが、この梅ヶ丘への入院、それに対するIXさんの恨みの気持ちが、絶縁の引き金になってしまった。

「母親と私の関係は小学校3年生頃から日に日に悪化していました。きっかけは、その頃、私が泌尿器科で尿道炎の治療をしたことです」

 ある日のこと、IXさんは尿が出なくなったり、出ても膿が混じっていたりで、病院に連れて行かれ、そこでの治療がかなり乱暴で非常に痛い思いをした。その経験がもとで、IXさんは精神的に不安定になった。

些細なことでも不安感が湧き上がるようになり、そうなると、ひっきりなしに母親に「○○は大丈夫?」と確認するようになった。

 そうなると今度は、東京清瀬市にある小児病院に連れて行かれ、カウンセリングを受けた。しかし、カウンセリングといっても、ただ子どもを遊ばせているだけで、特に悩みを話すようなこともなく(その後、入院することになる梅ヶ丘病院は、ここでの紹介である)、結局、何の効果もないまま、IXさんは相変わらず母親に「大丈夫? 大丈夫?」と不安を口にし続けた。

そして、ある日のこと、母親のストレスが爆発したのである。狂ったように、手当たり次第に物を投げたり、IXさんを蹴ったり、殴ったりした。

IXさんにしれみれば、被害者は自分なのだが、姉や祖母には、あまりにしつこく「大丈夫?」と確認を続けたIXさんが母親を追い詰めているように見えたのだろう。小学4年生だったIXさんに「謝れ」と迫ってきた。

「今考えても、大人3人でいっせいに子どもを責めるなんて行為は考えられません。そういうこともあり、その後は母親がヒステリーを起こして怒鳴りだすと、私も言われたら言い返す、殴られたら殴り返す。だんだんそうなっていきました」

 小学生の頃はまだIXさんも小さかったが、中学生になった頃には、力も大人たちに追いつき、そうなると家中、夜通し、怒鳴り合い、殴り合い、引っ張り合いすることもあったという。

 そして、中学校でのいじめ、不登校、ひきこもり、夜通し母親との喧嘩―→IXさんに不安感、パニック発作が出て、自ら言いだした入院が、息子の態度に困り果てていた親の意向とぴったり合い、そのまま梅ヶ丘病院に入院ということになったのである。



IXさんは小学生の頃、よく母親から次のようなことを言われていたという。

「(お前は説明するのが下手だから)話し方教室にいけ」

「中学になったら寮に入れる」

「あんたのせいで一家離散」


「散々言いたい放題、子どもを追い詰めた挙句、精神科に入れられた。梅ヶ丘から退院して、薬が徐々に減っていくなかで思考回路が回るようになった19歳のある日、入院への怒りと母への怒りがとてつもないものになりました」とIXさんはいう。


当時、IXさんは、薬によってひどいめに合った経験から、薬の勉強をしたいと薬学部を目指して浪人。勉強を続けていた。しかし、親に入れられた梅ヶ丘病院、薬のせいで、13歳~17歳という一番大事な時期に、人と同じように勉強することができなかった。したがって、高校も通信制の高校に行かざるを得なかった。

「なんで自分がこんなに苦労しなければならないんだ」その思いがIXさんの中で膨らんでいき、そんな中再び母親が、浪人の受験生であるIXさんにこんなことを言ったのだ。

「あんたは無謀な挑戦をしている」

IXさんは侮辱と感じ、中学生の頃までよくやっていた大喧嘩が再び始まった。



薬の副作用もあり、怒りに火がついた

「私としては、元々母から暴言などで被害を受けた上に、精神科に入れられたという経緯がある分、今回に限っては全面的に母を許せないというのがありました」

 そして、19歳のある日、怒りにまかせてIXさんが母親を押したところ、頭を打って救急車で運ばれ入院する出来事が起きた。

 その事件が起きた時は、18歳で転院した「武○小○○南口診療クリニック」に通っているときで、一度減らした梅ヶ丘の薬が再び、入院時と変わらないくらい増えていた頃でもあった。ちなみに、そのとき飲んでいたのは、15種類33錠。


(平成16928日)

・レスタス2mg 夕2錠

・デパス1mg 朝2錠 昼2錠 夕2

・ツムラ補中気湯エキス顆粒 朝2.5g 昼2.5g 夕2.5

・トフラニール25mg 朝1錠 昼1錠 夕1

・コンスタン0.4mg 朝2錠 昼2錠 夕2

・メイラックス1mg 朝1錠 昼1錠 夕1

・リーマス200mg  朝1錠 昼1錠 夕1

・エバステル5mg  朝1錠 昼1錠 夕1

・ガスコン40mg  朝1錠 昼1錠 夕1

・セレニカR200mg 朝1錠 夕1

・マイスリー10mg  不眠時11

・ロヒプノール1mg  不眠時 12

・ベンザリン5 5mg  不眠時 12

・ハルシオン 0.25mg 不眠時 12

・マイスリー10mg   不眠時 11



 ベンゾ系、抗不安、睡眠薬、抗うつ薬、気分安定薬、しかも多剤で、まさに殺人処方である。

 それ以前、IXさんは、高校生になってから始めた空手のおかげで、体調もわりによくなり、ここに転院する頃は、1日10錠ほどに薬が減っていたのだが、薬学部を目指して予備校に通ううち、慣れない場所と緊張から「呑気症(空気を飲みこんでしまう症状)」になってしまったのだ。

それで、結局、「武○小○○南口診療クリニック」への通院が始まり、あっという間に上記のような薬の処方となったのである。今から思えば、精神科など必要ない、ただの思春期に起こる一過性の症状だったと思うのだが……とIXさん。

「こうした薬を飲んでいると、気分の変動が激しくなり、すごくイライラしたり、急に落ち込んだりしました。多剤大量処方で気分をコントロールできなくなっていることと、受験のストレス、梅ヶ丘での恨み、母の暴言……それで母と喧嘩が再び始まり、思わず暴力を振るってしまったという感じです」