多くの方のご厚意に、心より感謝申し上げます。

ずいぶん久しぶりとなってしまいましたが、少しずつ、また体験談など、お伝えしていこうと思います。

北陸のある地方都市に住んでいる、現在23歳になる息子さんのお母さんからメールをいただき、ひと月ほど前ですが、電話で話をうかがいました。

 精神薬・減薬についてまったく知識も理解もない医師、それを取り巻く周囲の人たちの医師への無条件の信頼感、そうしたなかで母親が孤軍奮闘せざるを得ない話の内容に、またしても精神医療の貧しさを感じる結果となりました。


養護学校の紹介で受診したのがすべての始まり

 鈴木さん(仮名)の息子さん(仮に隆士さん)は、小さい頃交通事故に遭い、それがもとで軽度の知的障害を負った。学校は特殊学級だったが、友だちもでき、マンガを読んだり、ゲームをしたり、ただ勉強の内容を覚えるのが少し苦手というだけで、生活はごく普通にできていたという。

 しかし、左半身に軽い麻痺があり、高校は養護学校に進んだ。麻痺のため指先の細かい動きができず、ベルトが締められない。できないことが少しずつ積み重なって、隆士さんはイライラが募るようになった。そして、あるとき、不貞腐れて、停車中の通学バスの前に寝そべってしまった。そのことで、学校の先生は、母親である鈴木さんに仕事をやめて送り迎えするように言ってきた。

高校に入って親しい友だちができなかったのも一つの原因かもしれない。隆士さんに抱きついて離れない子どもがいて、そのことでもイライラが増していき、さらにあることを友だちにバカにされていると思い、授業放棄したこともある。

 入学して3ヵ月経った頃、養護学校の先生から「医者に行くように」と言われた。しかし、母親とすれば、家では普通に過ごしていたので、なぜ? と思った。それでも、先生から言われれば断りきれない。紹介された、県内でも発達障害を診ることで有名なある医師を受診した。そして、薬が処方された。

テグレトール400㎎、デパケン400㎎、コントミン50㎎、アキネトン2㎎。

ここから地獄が始まったのである。

隆士さんは、学校にいるあいだ、延々と歩き続け、男性教師に殴りかかった。それを聞いた医師は隆士さんを「多動」と診断。

夏休みになると生活は完全に昼夜逆転となった。夜中に出かけていき、何度も車で探し回った。ちょっとしたことで怒りが爆発し、まるで腫れものに触るかのような日々。

「事故に遭ったあと、人を笑わせるのが上手で、癒される子だったのに、別人みたになってしまった」と鈴木さんは言う。

 しかし、医師は薬の副作用など疑ってみることもせず、「こうなったのは親の対応が悪いから」と言った。学校は学校で「無理して登校しなくていい」と言う始末。

 治療が始まって3ヵ月後、大学病院を受診した。診察中、隆士さんは駐車場を走り回って、そのまま入院となった。

 テグレトール200㎎、アキネトン3㎎、リスパダール4㎎、デパケン200㎎。

 この頃には、好きだったマンガもゲームもできない状態になっていた。笑わない、冗談も言わない。それでも、学校へは通っていた。買い物に出かけたり、外食もなんとかできた。

 しかし、半年後、ボーっとした状態が続いたので、鈴木さんは薬を減らしてほしいと医師に頼んだ。すると、テグレトールを一気にやめ、アキネトンを3から2㎎、リスパダールを4から3㎎に減らした。高校3年の冬のことだ。

 その後、声が出なくなり、食欲がなくなり、何か食べようとするとこぼすようなった。何事かうるさく言い続け、ときには死にたいと言ってナイフを体に当て、やがてほとんど寝たきりの状態に。


統合失調症の診断

 息子の身に何がおこっているのかわからないまま、鈴木さんはいろいろ本を読み漁った。その中の一冊から、高次脳機能障害の専門医を知り相談をすると、精神科に回されて入院となった。

 声が出ないのは薬の副作用かもしれないからと医師は言い、それまで飲んでいた薬をすべて一気に切って、ひたすら点滴をされた。

 その後、エビリファイが処方され、一週間後、隆士さんはかすれる声で「宇宙人が」とか、母親に向かって「おまえは誰だ」とか「俺は捨て子じゃない」などと言い始めた。医師は統合失調症と診断した。

しかし、鈴木さんはエビリファイの副作用ではないかと感じて、医師に言うと、ジプレキサに変薬になった。すると、今度は顔から表情が消え、鉄仮面のような、ロボットのような顔になってしまった。それを医師に言うと、あっさりエビリファイに戻された。

常にイライラし、女の人の高い声に異常な反応を示し、突然殴りかかったり、眼球も上転した。非常に状態が悪く、1ヶ月の入院予定が半年経っても帰れない。それでも、鈴木さんは無理に息子を退院させた。そのときのエビリファイは30㎎処方されていた。

 退院後は、週に3日作業所に通ったが、副作用はひどかった。とくに食べ物が喉を通らず、隆士さんは横になって食べていた。それを見た市の相談員いわく「食欲があっていいですねえ」、それくらいの認識しかないのだった。


薬剤性の症状

 その後、多飲が悪化して、お茶を10ℓ飲んだり、コーヒーは20杯。震える手で自分でコーヒーを作るものだから、家中コーヒーをこぼしまくって、舌の突出もあったので、口に入れたものもこぼし、「1日に5回は洗濯をしなければならなかった」という。その頃飲んでいたのは、エビリファイの他、アキネトン、リーマスなど。

 家での暴力も出て、それを医師に言うと、薬をとっかえひっかえ処方した。あるとき抗うつ薬が処方され、それを飲んだ隆士さんは3日間、寝たきり状態となり、3日後、目を吊り上げて、人でも殺しそうなほどの錯乱を見せた。

ついに医師は「もう出す薬がない」と投げ出した。

作業所にも行けなくなり、暴力はひどくなるばかりだった。窓ガラスを割り、壁はボコボコになり、それを止めるため鈴木さんは息子と取っ組み合いとなって、服は破れ、髪の毛は抜け、殴り合いになることもあった。ご主人は10年ほど前に亡くなって、2歳上の兄がいるが、兄とも殴り合いとなり、もう家族みんなが疲れ果てていた。

「もうどうなってもいい。死んでくれてもいいと思った」と鈴木さんは本音を言う。


薬の勉強をする

 それでも、最悪の事態になる前に、もう一度……。その思いで、鈴木さんはネット上の「精神科セカンドオピニオン」のHPで薬の勉強を始めたのだ。毎日毎日3~4時間、隆士さんの状態を見ながら、1年半ものあいだ精神薬についての知識をかき集めた。そして、去年の10月、笠医師に相談をして、減薬を始めたのである。

 減薬が進むと、離脱症状のため、状態はさらに悪化した。何度も2階から飛び降りそうになったり、家の中や家具など壊され、取っ組み合い、殴り合い――「被害総額50万円以上かも」と鈴木さんは言う。

「正直、もう死んでもいいと思ったことが何度もあります」


 リスパダール1㎎、デパケン400㎎、リボトリール0.5㎎にまで減薬したところで、ついに家ではどうにもならないと感じて、「精神科セカンドオピニオン」のHPに書かれていた、近くの病院を受診した。

 医師は、薬が重ね着されているので、どうなっているのかわからなくなっていると言った。デパケンとリボトリールを足してみたところ、悪化してしまった。そんな隆士さんの状態を見たある男性ヘルパーは腰を抜かさんばかりに驚いて、二度と鈴木さんの家に来なくなった。

しかし、市の相談員は、減薬に取り組む鈴木さんの行為を、母親が勝手に薬を減らしているから状態が悪化していると医師に告げたのである。医師の言うことを聞かずに薬をきちんと飲ませないから息子の状態が悪い、母親のせいで息子の病気がどんどん悪くなっている……そうした周囲の受け止め方があるため、鈴木さんは徐々に周囲から相手にされなくなっていった。

                       (つづく)