先月放送されたNHKの「クローズアップ現代」を見て、メールを送ってくれた方がいます。
27年前の話ですが、すでにその頃から、学校からの精神科受診を促す動きがあったというのは驚きです。
まずは、女性のメールを紹介します。
学校の勧めで精神科受診
「私は三重県に在住する40代の主婦です。
今から27年程前に、三重県の公立高校に通学しておりましたが、クラスメートとのトラブルがきっかけで、教室へ入る事が出来なくなり、私自身もともと異端児扱いを受けていたせいもあって、養護教諭と数名の教師から、精神科の受診を勧められました。
私の母は半信半疑のまま、私を養護教諭の知人でもある精神科医のいる病院に、教師の言われるとおりに受診させたのです。
それは人権侵害も甚だしいものでした。
担当医はいきなり、「可愛いですね、あなた彼氏いるでしょ、妊娠しますよ」と言いました。当時私は彼氏どころか、男性と交際したことすらないというのに。
そして、詳しい説明もされずに、注射をされ、投薬を受けました。
注射をされると、すぐ身体に力が入らなくなり、ふらふらになります。靴のひもが結べなくなる程です。
担当医は時々、私を試すような意地悪な質問をしてくることがありました。あまりに腹がたって、私が机を蹴ったのですが、その時医師の言った言葉が「言うこと聞かないと注射しますよ!」。
薬の作用が強すぎるので、減らしてと頼んでも、半年は注射をやめてくれませんでした。学校に行っても、授業など全く受けられる状態じゃないのです。それでも学校に来るように言われ、行かないと担任が迎えに来ます。
母も私の味方にはなってくれませんでした。
校内では、私が精神科で治療を受けているのは知れ渡っており、回りの人は、私を知恵遅れの子に対する接し方をしてくるようになりました。投薬のしんどさも辛かったですが、この扱いにも耐え難いものがありました。
私の病名は当時、よく覚えてないのですが、思春期……(なんとか?)と言われ、治療は10ヶ月くらい続きました。薬のしんどさから逃れたい私は、矛盾を感じても、内心悔しい思いをしながら、必要以上に行儀よく良い子を演じ、医師に迎合する態度を示すことで、なんとか治療に終止符を打つことが出来たのです。
ところが、後日、「薬なんか必要なかったかもしれない」と教師や母が言い、それがいまだに私は許せないでいます。
うちは母と私の二人暮らしで、当時通っていた病院は家から片道一時間半かかりましたが、ふらふらの私を一人では行かせられないと、診察のある日、母は仕事を休まなければなりませんでした。
時々、教師の運転する車で一緒に病院へ行ったりもしましたが、その時には気を使ってガソリン代を払ったり、教師にペコペコし通しの母がいました。
通院にかかったお金もバカになりません。
私は治療が終わってすぐに、学校に対する激しい不信感を拭い去ることが出来ずに、学校をやめてしまいました。
面倒な子どもは薬で黙らせる?
結局あの投薬はなんだったのだろうか? 教師が私を面倒くさがって薬で黙らせただけのような気がしてならないのです。
学校をやめてすぐに、どうしても不信に思ったので、直接文部省に電話で抗議したこともあります。対応した人は、「学校側は、病院に行かせることが一番の解決だと思われたのだからそうしたのであって、正しい判断です」の一点張りでした。
この投薬治療が私にとって、何一つ利点をもたらすことはありませんでした。
投薬を止めてからも、身体のしんどさ、だるさは1ヶ月以上続き、周りの差別的な扱いは相変わらずで、残ったのは周囲の人に対する激しい不信感だけです。
私は「変わった子」と言われていただけで、授業中騒いだり、他の人の邪魔をすることもしていなかったのです。
27年前の私と同じような事がいまだに行われている実態に驚き、怒りさえ覚えます。 子供への投薬治療及び、心理カウンセラーによる過度のアプローチは大変な弊害をもたらします。
どうか、これ以上不幸な子供が増えないよう、行政は、もっと子供のこれから先の人生を考えた対応をして欲しいと思います。」
みんなと同じにしていればいい
以上が、女性からのメールですが、その後、彼女の言葉にあった「異端児扱いを受けていた」について尋ねると、こんな答えが返ってきました。
「私は幼稚園に通うころから、教師の矛盾した態度をいちいち指摘する子供でした。
うちは母子家庭で、教師はいつも母に言うんです。「お母さんはお父さんの役目もしなきゃならないから大変ですね」って。
そこで私がすかさず、
「お母さんはお母さんしか出来ないよ。なんで家族はお父さんが絶対必要だって決めつけるんですか? お父さんがいなくちゃだめなんですか?」
教師はこのような質問には答えられなくて、黙ってしまうのが常ですが、そこでもまた私は言うんです。「人を上から指導する立場の人は、疑問に答える義務があります」と。
しょっちゅうこんなやり取りがあるわけです。
しまいに教師はこう言いました。
「余計なこと、考えんでいいから、みんなと同じようにしとればいいんや」
いちいち考えるなと。
このあたりが異端児、要注意児童とされていたゆえんだと思います。
もともと読書が好きな子供でしたが、高校生の時は太宰治や坂口安吾が好きで、しょっちゅう読んでいました。
私が精神科に通うようになってからは、教師に「そういう暗い作家の本は読まない方がいいのではないか?」と、真面目に言われて、この人たちは本当に教員免許のある人間たちなのか? と、薬でボケた頭で思ったものです。」
この女性自身も気づいているように、教師はいちいち正論をついてくる生徒ときちんと話し合うことも、生徒を納得させることもできず、ただ、みんなと同じように「先生の言うことをおとなしく素直に聞いていればいいんだ」と頭を押さえつけ、それでも足りずに精神科に丸投げしてしまったということです。
こうした行為のどこに「教育」があるのでしょうか。
「ちょっと変わったところのある子ども」は能力のない教師には手に負えず、自分の能力のなさを棚にあげて、子どもの存在を異端視して、結局はその子どもの「心」を潰すようなことしかできません。
大人にとって理解しがたかったり、受け入れがたかったりする子どもの行動に対して、それを押さえ込み、管理しようとし、最終的には「病理化」する。
これは現在進められようとしている、若者への精神科早期介入の問題にそのまま通じるものです。
「こころの健康」とは?
早期介入の本家、オーストラリアで作られた「マインドマターズ」(学校精神保健増進プロジェクト)によると、全校生徒の20~30%に「追加援助が必要な生徒」が存在し、3~12%に「追加の精神保健介入が必要な生徒」がいることになっています。
つまり、これは、最初から生徒をそうした「選別」のまなざしで見ているということですが、この3~12%の中に、この女性のように「教師の手に負えない(と勝手に教師が決め付けた)」生徒が入る可能性は大いにあります。
学校や教師に対して疑念を抱いたり、学校生活に強い嫌悪感を持ったり、そういう生徒は、一般に「正常」とされているものに対して素朴に疑問を投げかけているわけです。そして、もしかしたら、そうした感性のほうが「正常」であるかもしれないにもかかわらず、「みんなと同じように」できないからと「異端視」され、「心が不健康」であるという烙印を押されるとしたら、それはまさに戦時中の思想統制そのものではないでしょうか。
しかし、超党派によって作られた「こころの健康基本法」の骨子案は、ずばりそのことをうたっているのです。
この法案のいう「こころの健康」という概念は、精神疾患にとどまらず、個人の生、あるいは生活の在り方、生活の質というレベルにまで広がっています。つまり、「こころが健康であるか否か」を問うことは、個人の生活の質が「正常であるか否か」を問うのに等しいことになります。
そんなものを国家が、学校がチェックして判断し、そこから外れた者を「こころが不健康」であるとして、精神科受診を促すなど、あってはならないことです。
にもかかわらず、この法案は、72万人もの署名を集めて、国会へ提出されようとしています。
この女性の身に起こったことが「心の健康」などとはまったく関係がなかったように、この法案が訴える「こころの健康」も、「心の健康」の問題に還元できるようなものではありません。
もっと大きな枠組みでとらえ、取り組むべき問題を、国も、学校も、その本質をすり替えて、何でも精神医療に放り込めば問題解決とは、あまりに安易。しかもそこで起きる被害は深く重大であり、取り返しのつかないこともあるのです。
現に27年前、この女性がかかった精神医療のレベルはひどいものでした。そして、それは現在も大差がない。
国は本気でそれがわかっているのでしょうか。
この女性の体験は決して例外的なものではなく、それどころかこの法案が成立すれば、これからますます同様の被害が生まれることは間違いありません。