(2からのつづき)

<全部ウソでした>

17年間の治療において、こうした出来事を挙げていけばきりがないほど、さまざま理不尽な対応を受けたが、T医師はこの病院を、突然、6月で辞めることになった。

そして、辞めることが決まってからというもの、T医師はもう言い訳すらしなくなり、S男さんに「全部ウソでした」と言ったというのだ。

「すみません、今まで言ってきたことは、全部ウソでした」

 これまで口から出まかせを言ってきたと本人が認めたのである。

 抗精神病薬でイレウスは起こらないと言ったのもウソ。抗コリン作用で認知機能は落ちないと言ったのもウソ。減薬でアカシジアは起きないと言ったのもウソ。SSRIのことは経験上よくわかっているから、弟には合わないと言い切ったこともウソ。その他いろいろ。

 S男さんが、

「臨床40年と言っても、先生は薬のことはまったく知らないですね。もう処方箋は書かないでください」と言うと、T医師は、

「大失敗でした。私は統合失調症が専門ですから」


「バカにするのもいい加減にしてくれと思いました。17年間、強迫性障害と言い続けて、最後になって、じつはずっと統合失調症を疑っていましたと言い、しかも、専門じゃないので、強迫性障害のことはわからないとは、本当に人をバカにしています。あれが、あの立派な本を書いている人物なのかと思うと、あきれて物が言えません。肩書に臨床40年と書きたいために、その年数を稼ぐために、週に一度外来を担当しているだけ、そんな感じがして仕方ありません」



 T医師の主張は、少しの薬を使って、精神療法で治すというものらしいが、その精神療法にしても、S男さんの印象では、ただ黙って話を聞くだけ。話が途切れたところで「じゃあ、薬を出しておきましょう」といって終了である。そして、何か気に障ることを言ったりすると、すぐに怒鳴る。

挙げればきりがないが、例えば、入院中シーツ交換などリハビリを兼ねて患者が行っているのだが、K男さんは優しい性格であり、体の弱い患者の分も手伝っていた。

しかし、病院の規則は手伝ってはいけないことになっており、K男さんは看護師に叱られると怯えていた。だから看護師に叱らないよう伝えてほしいとT医師にお願いしたところ、T医師は、怒鳴りながら「ホテルでお客さんにシーツ交換させますか? この病院が法に違反しているんです」という始末。もちろんそんな法はない。これもウソだった。

 弟のK男さんは、小さい頃からおとなしい性格で、学校生活の中でいろいろ傷を受けてきた。受動型アスペルガーの傾向が強いとS男さんは言う。

 そういうタイプの人にデタラメを言って怒鳴って、家族には、何かあったらすぐにパトカーを呼ぶようにと指示をする。外で暴れてそのたびに通報され、パトカーがやってくるという経験をしているK男さんがどれほどパトカーを恐れているか、17年間も主治医をしていれば当然理解していてしかるべきである。T医師は、臨床心理学者でもあるのだ。



<いい医師を紹介します>

 S男さんの追及を受けたT医師は、あるとき、17年分のK男さんのカルテをすべて自分でコピーして持ってきた。しかし、それは新たに書き直されたもので、T医師はそれを見せながらK男さんの治療について自分なりのストーリーを構築して説明し始めたのである。

 S男さんは、そんなカルテはいりません、説明も聞きたくないと突っぱねた。



 そして、いよいよ最後の診察という日、T医師は突然「いい先生がいるので紹介します」と言って、名前をあげたのである。

 その医師は、ある意味で現在とても有名な内科医だが、T医師と面識があるとは思えない。どうやら名前だけ出して、それで終わりにしたかったのだろう。

 S男さんはその医師のことをネット上で知っていた。じつは、薬についての知識はその医師の書くHPからほとんど得ていたのである。

 T医師が名前を出す前からS男さんはその医師に減薬について、何度も相談をしたことある。しかし、K男さんについて、これまでの経過を伝えると、医師から次のようなことを言われたのだ。


 減薬をするうえで、リスクはつきものである。それに耐えられなければ、多剤で楽するしか無い。あなたが主治医に、弟に怒鳴るのをやめさせようとすることは、ある意味で過保護である。それを望むのだとしたら、動物園の檻の中にいればいい。むしろ薬だらけで鎮静していたほうが周りは楽でしょうね。


 S男さんがいう。

「患者本人は絵を描くのが好きです。多剤で錐体外路症状を起こしている家族を見る、それのどこが楽なのでしょう。辛いです。軽く言わないでほしいです」

「最初に精神科へ連れて行ったことは家族の自業自得。そんなことは家族もみんなわかっています。わかった上で反省し、減薬しています。薬について医師を信じて、ずっとそのままできてしまった。だから、自業自得……



この医師の言う自業自得とは患者家族にとって今さら言われなくても、嫌というほどわかっていることである。それをあえて尽きつけるのはどういうことなのか。

さらに、この医師は、子どもが薬を飲ませた親を殺せば本望だ、みたいなことも言っているが、親を殺した子どもがその後どうなるか、考えたことがあるのだろうか。大きな十字架を背負うことになる。どれほどの傷を負ってしまうか。医師であるなら、そこまで考えて物を言うべきだろう。

 すでにこれ以上ないくらいに傷ついている患者、家族をさらに傷つけ、追い詰めるようなことは、たとえそれがその医師の流儀だろうが、「治療」方針だろうが、やってはいけないことである。そんな権利はないはずだ。少なくとも、精神医療として関わる限り、己の主張を押し付けるのは、決して治療とは言えないし、それで患者が「良くなる」とも思えない。



 現在、K男さんは家族の管理のもと、減薬を進めている。Cpも2256から今は425にまで減らしてきているが、状態はけっして良くない。

「この17年間、気の休まるときがありません。両親も私ももう疲労困憊です。弟が外に出て、何か問題を起こすのじゃないかと、パソコンももう何年もじっくりやったことがない。外出もままならない状態です。両親もですが、私も一時は20キロ痩せました」

 S男さんは会社勤めを辞め、家でできる仕事をしながら、K男さんの面倒を見ている。

「面倒を見ると言うより、監視役です」というように、現在、K男さんはかなり強迫観念が強まっている。警察に逮捕されたらどうしよう。冤罪で捕まったらどうしよう……

リスパダールを飲んでいるので、強迫観念が増強され、その果てに人に危害を加えてしまいかねない。それが今は一番怖い。家族としては緊張の連続だとS男さんは言う。したがって、減薬も今は中断せざるを得ない。

まったく先が見えない状況。この先、いったいどうなるのか……



T医師の書いた本には実に立派なことが書いてある。評価もすこぶるいい。「こころ」の何とかという題名の本が多いが、その書評に次のようなものがあった。

「「あの人はああいう人だから……」と目を逸らして安易に精神医療に送り込む「ふところの浅い社会」に、本書で警鐘を鳴らしているのだと思います」

「精神科医である著者が、時には研究者として、また、時には臨床医として接してきた人の心のメカニズムを解りやすい言葉で考察した良書である」

「臨床医」という肩書、「臨床40年」を言いたいただそれだけのために非常勤として、あのような無責任な治療を続けてきたというのだろうか。

 何の治療方針もなく、場当たり的に薬を処方し、物を言い、患者や家族をこれほどまでに振り回し、挙句の果てに「全部ウソでした」。そのような医師がきれいごとの本を書き、世の人々に称賛される……。

 K男さんの人生を、いったい誰が取り戻してくれるというのだ。