ハンドルネーム「ジョバンニ」さんという男性から「僕の身に起きたことを知ってほしい」と連絡をいただき、会って話を聞くことになった。
彼は現在39歳。会う前の電話で彼から「メンタル系の男と、2人で会って、怖くないですか?」と冗談とも思えない真面目な口調で言われたが、実際会ってみたら、礼儀正しく、すごく優しい男性であった。
高校時代の異常ないじめ
ジョバンニさんの身に起きた「事件」はいまから18年前のこと。彼が21歳のときに起きた。
それ以前、高校1年生のとき、登下校の際、彼は、隣接する私立高校の生徒たちからひどくからかわれるようになった。最初は少人数だったが、日に日に人数が増えていき、やがてものすごい人数の生徒たちからやじられ、指をさされ、笑われ、まるで見世物のような状態に。
高校3年生の卒業を目前に控えたころには、自分の通う高校にも、隣接する学校の生徒たちから彼がいじめを受けていることが知られてしまい、同校の下級生から喧嘩を売られるほどの事態になった。
しかし、彼は友だちにも親にも相談できず、かといって高校くらいは卒業したいという思いもあって、3年間、何とか耐え抜き卒業した。
卒業後は、高校の近くにある情報処理の専門学校に入学した。しかし、彼をいじめていた生徒たちも同じ学校に入ってきていて、再びいじめが始まってしまったのだ。もう彼にいじめを耐えるだけの気力は残っていなかった。ジョバンニさんは疲れ果て、専門学校を休学、そしてついには退学することになった。
彼には中学生の頃からアトピーがあった。それが、その頃かなり悪化して、自宅に引きこもる生活に。それだけでなく、小さい田舎の町のこと、彼をいじめていた生徒たちに町でばったり会うのが怖くて、なおさら外に出ることができなくなった。
それまでいじめについては誰にも話さなかったが、専門学校を休学した時点で、その理由を母と10歳年上の姉(両親は彼が小学校6年のときに離婚)に言わざるを得なくなり、ジョバンニさんは打ち明けた。
しかし――。
「いじめなんかなかったと一方的に決め付けられ、なぜか二人に大笑いされました。ものすごい数の人たちが僕をからかってたから、とてもじゃないけど、町を歩くこともできない。僕がそう言うと、母なんか、そんなことあるわけないと、腹を抱えて笑ってました」
ジョバンニさんには耐えがたいことだった。あれほど苦しんで高校に通い、結局専門学校もやめざるを得ないほど辛い経験だったのに、信じてもらえず、それどころか笑われた……。
事態の深刻さをアピールする気持ちもあって、彼はわざと物を投げたり、壊したりした。もちろんそこには、言い知れぬ悲しみと、信じてほしいという怒りがあった。
一度目……
そして、21歳のとき「事件」は起きたのだ。
その頃はアトピーがさらに悪化し、顔が腫れ、人前に出られないほどの状態となったため、彼は病院に入院をして、きちんと治療するしかないと考えていた。
その頃、離婚が成立して、実家に戻っていた姉が、病院を探してあげるというので任せていたところ、ある日、「いい病院が見つかった」と言ってきたので、彼は入院の準備を始めた。
いざ入院というその日、なぜか付き添うはずの姉は突然体調が悪いと言い出して、結局、ジョバンニさんは母と二人で、タクシーで病院へ向かったのである。
診察の様子をジョバンニさんは、以下のように書いているので、その部分を引用する。
「目の前にややどもり気味に話す年配の男の医師が現れました。
僕は皮膚の症状を言いました。それを医師はカルテに書きこみます。その後です。
医者「お母さんに暴力を振っているの?」
なんでそんな質問をするのか、すぐに気がつきました。ここは皮膚科じゃない、精神科だ。いったいどういうことだ。何が起きているんだ。
私「暴力なんか振っていません。指一本触れたことない」
医者「本当に?」ニヤニヤしながら、後ろに立っていた母に目線を向けます。
母「それはないです」
でも、母は物を壊されたことをいいます。僕もそれは認めます。
医者「どれくらい家にいるの?」(学校をやめてからどれくらい)
私「3年くらい」
医者「テレビ見たり、本読んだりしているの?」
私「まあ、そうです」
医者「入院しましょう」
私「……」
医者「入院しましょう」
私「入院なんかしない」
医者「入院しましょう」
私「入院なんかしない」
医者「入院しましょう」
私「入院なんかしない、僕は病気じゃない」
医者「病気の人は皆、僕は病気じゃないって言うんだよ」ニヤニヤしながら言います。
診察室に緊張感が走ります。看護師たちが何人もやってきました。勝手に看護師に血圧を測られます。血圧が高くなっていたようです。女性看護師が大げさに数値を叫びます。……
こうなったら黙秘して対抗しよう。しかし、こんな短い会話でどうやって診断しているんだ。人権がかかわる状況でなぜニヤニヤ笑ってるんだ。不安と恐怖で押し潰されそうになりました。
精一杯勇気を振り絞ります。
「入院なんかしない」
しばらく沈黙があります。何分経ったか、耐えかねて一言だけ。
「差別されている」と言いました。いじめにあった。あまりにもいじめの相手が多いので、町中で出くわすのが怖い。
そうしたら、医師は確信を得たという表情を浮かべました。後ろに立っていた母は、密室で医師と男の看護師たちに取り囲まれた状態におびえており(母は昔、父に暴力を振われていた)――「入院させます。働いてほしいんです。いじめはあったと思うのですが、妄想もあると思うんです」
そして、精神分裂病(当時はまだこの病名だった)に決定。おびえた母はそのまま念書にサインをし、医療保護入院。保護室に入れられました。」
そして2日目、髪を後ろで縛った別の男性医師がジョバンニさんを診察し、「あれは大げさな診断だった。病名はボーダーライン」と告げた。しかし、彼はそれにも納得せず「違う」と主張。医師は多少動揺したように見えたという。
そのせいか、その後、心理テストや知能テスト、絵を描かされたり、いろいろな検査を受けたが、結局異常は見つからなかった。
一方、母親は自分でサインをしてしまったものの、病院の対応に不信を抱き、院長に面会を申し込み、しぶしぶ面会に応じた院長は、母親の言い分を完全に無視した。
しかし、入院中ジョバンニさんは、「人権侵害だ」、「裁判で訴えてやる」と言い続けた。結果、看護師からかなりひどい嫌がらせを受けた。言葉の暴力、あからさまな嘲笑、他の患者は「さん」づけで呼ぶのに、ジョバンニさんだけ「君」づけで呼ばれた。そして、敵意むき出しの対応。
彼が「訴える」と騒いだせいか、病院側から、「それなら、いじめがあったこと、いじめが今も起きていることを、看護師長と二人で2回外出させるので、立証しろ」「30分くらい喫茶店にでも行って、いじめの事実を看護師長の前で証明しろ」と迫られた。そして、立証できなければやっぱり「病気」であるというのである。
結局、この話はうやむやになったものの、訴えると騒いだら、立証責任を患者に負わせるとは……。
それでも、彼が看護師から嫌がらせを受けながらも騒いだためか、その後、入院形態が任意に変わり、入院して3週間、ようやくジョバンニさんは退院できた。
退院当日、最初に診察をした医師がやってきて、薬についてジョバンニさんと母親に説明したが、彼は怒りをこらえて、
「なぜ、こんなことになったのか。なぜ分裂病にされたのか?」と問うと、医師は「誤解されるようなことを言ったから」と答えたという。
そして、山ほどの薬を持たされ、ジョバンニさんは家に帰った。
(つづく)