以前のエントリーにコメントを入れてくださったお母さんがいます。現在25歳になるお嬢さん、久美さんについてのコメントでした。

その後、メールのやり取りをして、お母さんから久美さんの詳しい経過をお聞きしました。

以下、お母さんからのメールを紹介します。

 

腹痛で胃腸科受診、そして精神科へ

久美は生まれながらに左の頚動脈がなく、それが恐らく原因だろうとする知的障害があります。

それでも、心の優しい穏やかな性格で頑張り屋でした。

小学校、中学校は校区の養護学級に。

高校は養護学校で過ごしました。お友達も増えて楽しい毎日を過ごしていました。

養護学校を卒業後、就労支援施設に入り、就職を夢見ながら作業を行い、その結果▽▽に掃除と雑用で就職が決まりました。

電車とバスを乗り継ぎ、片道1時間半もかけながら頑張って働きましたが、お客さんとのやり取りが思うようにできず、4ヶ月で辞めてしまいました。

その後は作業所で紙漉きの仕事を始めましたが、その頃よりお腹の痛みを訴えるようになりました。

知的障害があるゆえ、どこがどんな風に痛むのかを伝えることが難しく、胃腸科で胃カメラ、産婦人科で子宮を検査しましたが、疾患は見つからず、胃腸科の先生から精神科受診を勧められたのです。

その精神科の先生は以前の養護学校の指定医だったこともあり、私も久美も安心して精神科の門を叩きました。

それが5年前、久美が20歳の時でした。(2007年10月)

お薬手帳を見ますと、最初はデバス0.5㎎ ソラナックス0.4㎎ ブスコパン(鎮痙薬、内臓の痙攣をおさめる薬)という処方でした。

その後1年間は安定剤を何度か変更したり量を変更したりと繰り返しましたが、お腹痛は収まったものの、笑い出すと止まらないという症状が出てきました。

そのことで外に出ることを嫌がり、閉じこもるようになりました。

1年後の2008年10月。マーズレン(胃の炎症を抑える)、テグレトール(抗てんかん薬)100㎎。

この頃より症状がどんどん悪化しはじめました。

一日中笑っている。突然落ち込む。こだわりが強くなり、同じ服しか着られなくなる。幻聴が出現。

作業所で悪口を言われる等の錯覚や思い込みが出現し、仕事は辞めることになりました。

2008年11月、マーズレン、テグレトール、それにソラナックス、リスパダール(抗精神病薬)、レキソタン(抗不安薬)が加わりました。

2009年2月には、セパゾン(精神安定剤)が追加。

その頃から症状がどんどん変化しだし、

2009年8月、ドグマチール(抗精神病薬) アキネトン(抗パ剤・副作用止め) ワイパックス リスパダール ハルシオンが処方されました。

人格がもとの久美のようではなくなり、トイレにもお風呂にも一人で入れなくなりました。

そして、1日中横になり、うわごとのように「怖い怖い」と言い続け、「電気が消える」「人が死ぬ」等の言動が出て、食事もほとんどとれなくなり、激やせしました。

 最初の受診からおよそ2年経った2009年11月には、セパゾン リスパダール アーテン(抗パ剤) テグレトール ハルシオンの処方になりました。

突然の興奮と錯乱状態が出現し、身の回りのことが何も出来なくなりました。

「地獄に落ちる、地獄に落ちる」と言い続ける。

夢遊病者のように家の中をうつろな目で徘徊しだす。

服のシミが気になり、裸で過ごすようになる。

生理の処理もできなくなる。

記憶力、思考力、認知力低下。




娘に何が起きたのか

私は何か恐ろしいことが久美の身に起こっていると感じて、違う病院を紹介してほしいと依頼して、先生のすすめで××精神医療センターに転院しました。

2009年12月、そこでの処方は、リスパダール セディール(抗不安薬) アキネトン  ロヒプノール(睡眠薬) そして、SSRIジェイゾロフト(抗うつ薬)。

2週間ほどは、この処方で何とか元気を取り戻したものの――

2010年3月ころ、身体中に傷ができているのを発見。自傷行為が始まっていたのです。

そして、しゃべりだすと止まらなくなる。外に出かけては必要のないものを買う。食欲増進。

目つきが鋭くなり突然の興奮で家の中で暴れる。また、夜まったく眠れなくなり、ふらふらと外に出ていってしまう。

自傷が激しくなり、その攻撃が他人にも向くようになりました。そして、かわいがっていたペットのハムスターを殺してしまいました。



2010年5月、ついに××精神医療センターに医療保護入院となりました。

主治医は、「夜眠れるようになるまで預かるだけ」と言いました。

診断名は「双極性障害」躁転したということでした。

しかし、外泊時に持って帰った薬は、一回分が3袋に分かれて入っていました。それほどの量だったのですが、薬の内容は教えてはいただけませんでした。

 そして、自傷が激しく、暴れるということで、四肢拘束、オムツをつけ保護室へ入れられました。

 その後、保護室から出たものの、歩行もできない状態となり車イスで過ごしました。

 2ヵ月後の7月1日、なんとか退院。

その時の処方が リスパダール デパケン(気分安定薬) ヒルナミン(抗精神病薬) ロドピン(抗精神病薬) アキネトン ベゲタミン ロヒプノール センノサイド(下剤)。



しかし、自宅に帰ったものの、状態は悪く、激しい興奮と暴力と攻撃性、そして激しい自傷。

退院から1週間後、上記の処方にさらに、セレネース(抗精神病薬)が1日5錠追加 リーマス(抗躁薬)1日3錠追加 イソミタール(睡眠薬)追加となりました。



退院してからも激しい興奮と錯乱で大暴れ、家の中の物も破壊。

何度も救急車を呼び、受診しても、ベッドが空いていないと入院を拒否されました。

保健所に助けを求めて電話をしたこともありますが、埒はあきませんでした。




セカンドオピニオンを受け、減薬へ

久美のあまりの変化に、薬についていろいろ調べ始めました。そして、ある病院に出張で来られていた精神科の医師にセカンドオピニオンを求めたところ、先生から減薬を強く勧められたのです。今の症状は薬による副作用である可能性が強いと言われました。

本当はこの時点で病院を変えたかったのですが、知的障害の精神障害を受け入れてくれる病院はないと言われました。転院は断念し、そのときの主治医に強く減薬を依頼しました。そのときの先生の、本当に怪訝そうな顔は忘れられません。



それでも減薬が始まって、上記の処方から、デパケン ロヒプノール センノサイド リーマス セルベックスのみとなりました。いきなりの減薬がどのようなことになるかなど想像もつかず、私としては薬が減ったことでただただ喜びました。

そして、久美も、薬が減ることによって表情が柔らかくなり、言葉も穏やかになってきました。ときどきはまだ興奮や胸の締め付け感は残っていたものの、多量に服薬していた頃に比べて、人間らしさを取り戻しつつあるように感じ、自傷も減ってきました。

しかし、ときどき、突然訪れる気が狂ったような興奮状態をどうすればいいのか……薬を増やすわけにはいかないとの思いと、もしかしたらこの子には薬が必要なのではないかとの思いに揺れ続けました。



ネットで調べたところ、新潟に脳を診るいい先生がいるとの情報を得て、連れていきました。そして、そこの先生の紹介で○○大学の付属病院に1週間の検査入院。脳の中をくまなく調べてもらい、ここで頚動脈が生まれつきないことがわかったのですが、興奮をひきおこすような脳の病変はないとのことでした。

しかし、この大学病院でも何度も暴れ、1週間待たずに強制退院となってしまったのです。原因は、娘が同じ病院の小さな女の子の首を絞めようとしたから、と私は説明を受けました。



 それでも減薬の結果でしょうか、興奮が収まるとストンと憑きものが落ちたように落ち着き、「迷惑をかけてごめん」とまで言えるようになりました。



                         (つづく)