(2からのつづき)

M教授の「人格障害」発言

 M教授は数時間に及ぶ聞き取り調査で、大学側の調査委員に対し、K子さんが「妄想性人格障害」「自己愛性人格障害」であり、K子さんのいうことに信用性はないと主張していたのである。 

 そう主張する根拠として、M教授は、大学内の精神科教官、○○病院(精神科病院)の医師、M教授の大学の後輩である精神科医、3名の医師に対してK子さんの言動を説明し、さらに、K子さんが自己愛性人格障害の判断基準である9項目と、妄想性人格障害の判断基準である6項目に該当すると主張、それに対して3名の医師全員が同意したというのだ。

 もちろんK子さんは3名の精神科医誰一人と会ったこともなければ、話したこともない(したがって、診察など受けるはずもない)、さらに人格障害に関するテストも受けたことはないのである。


 M教授は内科の医師であり、精神科医ではないものの、医師という立場の人間であることに変わりはない。医師から、突然、一方的に精神障害者であるとの主張をされたことを知って、K子さんは言いようのない怒りを覚えた。

 それだけではない。M教授は、大学の聞き取り調査においても、K子さんは「人格障害」だから、K子さんの訴えはすべて妄想であると主張して、さらに、大学から訓告処分を受けた後、「心の病の者の話を信用するのか」という文書を大学に提出して、処分に異議申し立てまでしているのである。

 そして、K子さんが雇い止めとなり医学部を去った後には、きっとK子さんが仕返しのため大学に忍び込んで、事件を起こすに違いないと主張して、研究室の鍵を交換させているのだ。そしてポットに毒物を入れられることを恐れ、教授自ら毎日、講座のポットを洗浄した。(まさに教授自身が被害妄想的と言えそうな行為であるが。)

 また、これはK子さんがまだ雇い止めになる前のことだが、大学側がK子さんを保護するために他の講座に移動させようとする動きを察知すると、M教授は、K子さんのことを「人格障害者」であると吹聴して、K子さんを受け入れる講座がなくなるよう働きかけていたということも後で知った。




精神鑑定を依頼する

 当初、被告が原告のことを「妄想癖がある」と主張することはよくあることとして楽観視していたが、途中から「医師の主張であるから、軽視しがたい」ということで放置できない雰囲気になった。

原告側(K子さん側)は著名な鑑定医に精神鑑定を依頼することを決めた。

鑑定では、何度も問診や診断テストが繰り返され、脳の画像診断ほか、長期間にわたる多数の調査が行われた。そして、鑑定医はK子さんと弁護士に鑑定結果を説明、鑑定書が手渡された。

鑑定の結果は、「人格障害と診断することはできない」である。

それだけでなく、鑑定書の最後に、「M教授の主張は精神医学の悪用である。原告を人格障害と述べたこと自体、M教授のアカデミックハラスメントあるいはパワーハラスメントに該当する」という文章でしめくくっていた。

鑑定医は、昔、M教授と同じ大学の医学部教授であった。その元○○大学の教授が公正な鑑定を行い、現○○大学の教授の主張に対し、このような文章を書いてくれたことに、K子さんは救われた思いを抱き、涙があふれた。




 この鑑定書を裁判所に提出後は、さすがにM教授も他の精神科医をひっぱりだしてK子さんを「人格障害」と主張することはなくなったが、両教官はなおも鑑定結果を否定している。検査方法に欠点があると言うのである。つまり、K子さんがネットなどで知識を集め、検査の結果を予測して回答し、正常者のふりを装っていたと。偽装して鑑定をごまかせるほど、検査は簡単なものでないことは、医師でなくとも医学博士の学位をもっている者ならば、想像がつきそうなものである。



 裁判の審理を重ねるに従って、その他さまざま判明した事実もある。例えば、K子さんの名前を利用しての研究費の不正隠し、有害物の違法管理、労災隠し、勤務時間届の不正……。



「しかし、私が最も許せないのは、この「人格障害」の主張です。医師の主張を否定できる者は医師しかいません。私は運良く公正な鑑定医に出会う幸運に恵まれましたが、私のような例は極めてまれだと考えます。多数の方々がM教授のような医師により、覚えのない「障害」をいいたてられているのではないかと考えると、黙っていることができません。

今現在も裁判は公判前の審理が続いています。裁判官が医師である医学部教授らに対してどのような判断を下すのかまったくわかりませんが、私はこの事件を広く知らせたくてなりません。」

とK子さんはメールの文章を結んでいる。




医学部というところ

私もこの事件を大勢の人に知ってもらいたいと思う。できることはせめてブログで、この事実を文字にして、より多くの人に読んでもらうことである。

そもそも、医師という立場の人間が、その権力を盾に、自分に不利益を与える人間を病人に仕立て上げ、その主張を「妄想」として片付けようとするやり方は、医師以前に人間として首を傾げざるを得ない行為と思う。

そして、K子さんも言うように、「一般の人にこの話をしても、理解してもらえなかったこと」それがどれほど当事者を孤立させ、辛い思いを増幅させることになるか……。

大学で、まして医学部で、そんなことが起きるはずがない。医学部はいわばエリートたちの集まりで、そういう立派な人間が、まさか、そんなことをするわけがない……。

精神医療の被害を受けた人たちも、よく口にするのが、まったく同様のことである。いくら薬の害を訴えても、一般の人たちは、医者がそんないい加減な処方をするはずがない、問題はやはりあなたの方にある……と、まともに受け取ろうとしてくれない。

被害を受けるだけでなく、そのことを世間に訴えることさえかなわないもどかしさ、悔しさは、言葉で表現するのが難しい。言えば言うほど、「被害妄想」「人格障害」のレッテルをさらに補強してしまうことになりかねないのだ。

一度、そういうレッテルが貼られることの恐ろしさ――。もがけばもがくほど、深みにはまっていく理不尽さ。

K子さんの場合も、M教授の「人格障害」発言によって、大学職員の間にそうした噂が流れ、K子さんと面識のない人々にもその「医師の言葉」が広まった。




そのことで被る当事者の不利益は計り知れない。

裁判で勝たんがために、精神医療を悪用し、医師という己の立場を利用して、相手を「妄想性人格障害」「自己愛性人格障害」として陥れることに、良心の呵責もなければ、医師としての責任感も、微塵も持ち合わせてはいないということだろうか。

しかも、きちんとした鑑定結果が出てもなお、それを否定しようとするその神経は、もはや尋常とは思えない。

もしかしたら、医学部というところは、私たちが外から見て感じているほど、立派な人もいなければ、人格者なども存在しないのかもしれない。いわゆる「世間知らずのぼんぼん」が集まるところ。小さい頃からちやほやと育てられ、人間としての肝心な何かを学びそこなってしまった人たち。

もちろん、例外はある。立派な医師もいるし、現にK子さんを鑑定した医師は、さまざまなしがらみを乗り越えて真実を述べてくれた。

しかし、この事件を見る限り、私はどうしようもない苛立ちを禁じ得ない。人の「いのち」を預かる医師が、平気で人を精神病者に仕立て上げ、己の罪を逃れようとするそのやり方……。

給与に関しても、身内同士の馴れ合いの中、ただ働きを強要し、勤務時間の管理もいい加減。そうした緩んだ雰囲気の延長線上に、結局は研究費の不正、有害物の違法管理などが蔓延し、今度は隠ぺいへとひた走る。大学は大学で、臭いものには蓋といった対応しかせず、そうした渦中に飲み込まれた当事者は、多くの場合、見えない圧力に屈して、泣き寝入りを余儀なくされるのではないか。

しかも、そうした歪んだ空気が治療の場にまで持ち込まれないとも限らない……。




雇止め後のK子さんの求職は苦難を極めた。研究機関の常勤職には推薦状が重要だが、K子さんの状況ではそれは望めなかった。研究職以外の職を求めても、「女性の博士さまを雇うことはできない」と面接以前に断られた。

現在、K子さんは市の臨時職員として働いている。給料は10万円ちょっとだ。阪神大震災の苦難を乗り越えて、奨学金をうけながら大学院を修了し、博士学位を取得して研究者を志していたのに、思いもかけない出来事から、いまはその道を外れざるを得ない状況となっている。

大学内にはK子さん同様、悲惨な状況にいる職員もいたが、誰もK子さんのように声を上げることはなかった。他に職がない事が分かっているからである。



裁判を起こすということは、相当なストレスを伴う行為だ。

にもかかわらず、正々堂々、大学や教官を相手取り裁判で争おうとするK子さんの行動に、私は共感し、エールを送りたい。

裁判においては、真実が白日のもとにさらされ、M教授、T教官の行いが正しく裁かれることを願いつつ、みなさんにもこの事実を強く訴えたいと思います。