今回の大震災による福島第一原子力発電所事故の際に起きた、精神科病院「双葉病院事件」をご存知だろうか。

 新聞各紙もそれぞれ一度は報道したようだが、さほど大きなニュースにはならなかったように思う。

 じつは私も、今回論文を書かれた兵頭晶子さん(日本思想史学会会員)の『「双葉病院事件」をめぐって』(「情況」2011年6・7月合併号)を読むまで詳細を知らずにいた。

 兵頭さんとは、先日、ハンセン病療養所で開かれたシンポジウムで知り合い、ハンセン病療養所と精神科病院に共通する問題などについて、いろいろ話す機会を得た。兵頭さんについてはのちほど紹介するが、まだ年若い、気鋭の歴史学者である。




事件の概要

 事件が起きた双葉病院(精神科、神経科、内科)は福島第一原発と同じ大熊町にあり、原発からわずか4キロの場所にある。

 事件は、原発事故により避難を余儀なくされた患者が、自衛隊による計3回の搬送に際して、必要な医療的引き継ぎが行われず、搬送中と搬送後に、計21人が相次いで死亡したというものだ。

病院には総勢300余名の患者がおり、地震発生の翌日の12日、自力で歩ける患者を中心に、まず209名は数十人の職員とともに、役場から派遣された5台の大型バスに乗って避難した。

しかし、同原発で起こった3度目の水素爆発をうけ、15日午前1時に警察の指示で隣村に病院職員が避難した際、同日中に自衛隊が到着するまでの間、残る98名の高齢重症患者が「置き去りにされた」のである。亡くなったのは、そのうちの21人。

この事件はその後、病院関係者から「誤報」を指摘する声があがった。つまり、1回目の救出後、患者98人と院長ら職員4人と警察官が残され、その後、警察官の指示で院長ら職員4人は警察官とともに隣村に避難。合流した自衛隊と共に再び病院に向かおうとしたが、避難指示の対象地域のため、自衛隊だけで向かうことになった、というのだ。

しかし、そうした事情があったにせよ、98名もの患者が「置き去りにされた」というのは変えようのない事実である。

死亡した21人の死因は現時点ではいずれも不明だが、患者の中には、中心静脈栄養(高カロリー輸液・TPNあるいはIVH)を受けていた人たちもいたという。



IVHといえば、2000年に起きた埼玉県庄和町の朝倉病院事件を思い起こすが、精神科病院での、おそらく「社会的入院」による高齢化、そして、保険点数稼ぎのIVHではないかと想像は傾く。




兵頭さんの論文から。

「原発の近くに造られた双葉病院は、もう入院の必要がないにもかかわらず、様々な事情で退院することを選べない「社会的入院」者が多い精神科病院だった。……社会からの心ない差別と偏見に傷つきながら、三十年、四十年もの長きにわたって入院を続け、失意と諦めの内に、病棟を「終の住処」とする社会的入院者たち。震災と原発事故が起きたとき、彼らはなぜそこに居たのか。…………


 「福島双葉病院の驚愕実態 患者残して医者が逃げた!」と題した日刊ゲンダイ記事(2011年3月19日)に対し、インターネット上で飛び交った無数のバッシングの中には「死んだのはキチガイなんだから、野放しにしないで正解」などという、あからさまな『精神病』者への侮蔑があった。この残酷なまでの侮蔑こそ、「精神病」という病気の意味を「どんなはずみで危害を加えるかも知れない」と言い表わされるような〈架空〉の危険と結びつけ、その危険性を殊更に強調して人々の意識に深く浸透させていった〈精神病の日本近代〉という歴史的過程の所産に他ならない。」




「どんなはずみで危害を加えるかも知れない」・・・〈架空〉の危険」に対する恐怖心は、精神病者の治療の過程にも見事に反映されている。つまり、薬による過鎮静だ。

 そして、そうした病院関係者の胸の底には、たとえ理由はあったにせよ、98名もの患者を置き去りにする際に、上記のような「キチガイなんだから……」の心理が潜んでいなかったといえるだろうか。

 病院関係者が患者を置き去りにして避難したのは、警察の指示によるとされている。ではなぜ、警察は患者を置いて避難することを職員たちに指示したのか……?

 そこにはどうしても「精神病」者たちへの特殊な感情が見え隠れして仕方がない。




「原発」の近くに建てられた「精神科病院」――。

 この二つの共通項を、兵頭さんは探っていく。

その際採用されるのが、東北や裏日本という概念である。(原子力発電所は多くがいわゆる裏日本、東北地方にある。また、心神喪失者等医療観察法でまず最初に運営された病棟が、岩手県花巻市の花巻病院と、富山県南砺市にある北陸病院であるという事実をあげている。)




「「精神病」者がその病気ゆえに「同じ罪を繰り返す」という〈架空〉の危険に怯え、できる限り自分たちから遠ざけようと、岩手や富山に医療観察法病棟を建て、そこに事件を起こした「心神喪失者」たちを閉じ込めた。…………

 そして同時に、私たちはできる限り自分たちから遠ざけようと、東北や「裏日本」などと呼ばれる地域に、原発というリスクを日々強いている。だが、こうした犠牲や痛みがなければ成り立ち得ない「日常」に、果たしてどんな意味があるというのか。

自分たちの「日常」を守るために、「できる限り自分たちから遠ざけようと」試みるすべての行為を仮に「隔離」と呼ぶならば、そうした「隔離」の果てに成り立つ「日常」とは一体何なのか。」……



 鋭く深い問いである。

 


原発と精神科病院

世間の「安心感」を保つためという理由によって、長い年月「隔離」され続ける精神病者たち。そして、安全だ安全だと言われながら、結局は茨城県をのぞく関東圏と近畿圏を見事に避けて造られてきた原子力発電所。

 今回の「双葉病院事件」は、そうした「架空のなにか」を内にはらんだ「原発」と「精神病」者という存在を、奇しくも同時に浮かび上がらせる結果となった。前者は「架空の安全性」であり、後者は「架空の危険性」である。



 しかも、この事件には後日談がついている。

『宝島』6月号の織田淳太郎氏の記事「患者置き去り精神科病院 報道されなかった「真実」」によると、事件から約半月後の4月7日、双葉病院内で4人の遺体が警察によって運びだされだというのである。

 つまり、98人(この数字は、新聞各社によってもまちまちである)もの患者をいったんは置き去りにし、のちに搬出、しかしその際、4人の患者はついに置き去りにされたままだったということだ。

 21名もの死者を出したときの同病院長の言い分は、

「搬送に長時間かけたためで、国や県の責任。自分には責任がない」というもの。

 しかし、逃げることもできず、現場で死んでいった4人に対しては、どういう責任逃れの言葉があるというのだろう。



 しかし、考えてみれば、この「双葉病院事件」はたまたま「原発事故」という日本中が注目する中で起こった事件だったため、多少は世間の耳目を集めることができたのかもしれない。

 重く閉じられていた蓋が少しだけ開いたのだ。(そして、それは、この事故を受けてさまざまな事実が判明した原子力発電所についても言えることである。)

 闇から闇へと葬られることが多い精神科病院内での患者の「死」。

 しかし、21名プラス4名、つまり25名の患者の死因を、これまでの「死」同様、絶対にうやむやにさせてはいけない。精神科病院入院患者の「いのち」は私たちの「いのち」と同じ重みをもっている。ならば、なぜIVHが必要だったのかということも含めて、25名の死因をそれぞれ徹底的に調べるのは当然である。

 

 日本の多くの精神科病院に内在する精神医療の暗部――。したがって、双葉病院事件は、原発事故というどさくさに紛れるかたちで、ある意味、起こるべくして起こった事件といえるかもしれない。そして、それを許してしまっている私たちにも、責任の一端はある。




精神病院の成り立ち

 兵頭さんは歴史学者として、こうした日本の精神科病院の成り立ちについて考察、すぐれた論文を書かれている。たとえば「水治療と近代精神病学――あるいは、民間療法施設の近代」から引用する。

「(1927年に開院した)阿波井島保養院は「公安の維持なる警察的意図を持つ」精神病者監護法に基づいて管理されていた。……

 昭和10年から勤務している婦長の記録によれば「嫌がる患者を「水行に」強制的にでも参加させる。それ以外は厳重に監禁した収容所であった。……この荒行(水行)は、興奮する病者を疲れさせ、眠らせる手段として、懲罰的・強制的に行われていた。荒行が行えない夜中に興奮すると、手の先の出ない袖の先についた紐を身体に巻き付け、徘徊する時は柱や窓格子に縛り付けたという保護衣や、仰臥できるだけの棺桶用の箱に鉄格子の蓋がつき、大きな鍵のかかる保護箱といった拘束具が代用された。」


……まさに現在の隔離室の原型であり、「水行」は薬物が登場する前の治療法である


 論文には、ほかに「2つの阿波井神社の歴史から――民間療法施設と精神病院の近代」など多数。また、共著として「「水治療」からは見えないこと──富山県大岩山日石寺の場合」橋本明編『治療の場所と精神医療史』日本評論社、「民間治療場から精神病院へ──徳島県阿波井神社の場合」橋本明編『治療の場所と精神医療史』日本評論社。単著に『精神病の日本近代──憑く心身から病む心身へ』青弓社2008年、など多数ある。