今日(9月4日)の読売新聞朝刊(気になる! という欄)に、『「医師に相談を」広告が急増』という記事があった。

 こんな症状があったらお医者さんに相談しましょう、と呼び掛け、たとえば最近では薄毛、ニコチン依存症、頻尿、ニキビ、そして不眠症などの「疾患」が取り上げられている。しかし、コマーシャルに商品名は出てこない。

 広告主は製薬会社である。広告を見た人が、自分もそうかもしれないと疑い、医療機関を受診して、医師がその薬を処方する。つまり間接的な広告で、これを「疾患啓発広告」というらしい。

 医師が処方する薬は、日本を含む大多数の国で、商品名を出した消費者向けの広告が規制されているため、ダイレクトに薬を売り込むかわりに、まずは「疾病」を売り込もうという戦略である。新聞によると、電通の調査で、2009年は前年の1.6倍、103億円に上っているという。

そして、製薬会社の担当者が言うには「医薬品市場は伸び悩みつつあり、市場拡大のため、潜在患者の発掘が重要になった」のだそうだ。

新薬開発が衰退したいま、他に活路を見出そうというわけだろうが、潜在患者の発掘……とはよく言ったものだ。しかしそれは、潜在というよりも、新規開拓といったほうがいいかもしれない。要は、新たな「疾病」の創造(ねつ造)である。

病気とまではいえない(かもしれない)ものまで「病気」の範疇に入れて、人々の不安をあおり(たとえば、薄毛は病気なのだと思わせ、同時にそれは治る見込みのあるものだという期待をもたせ)、病院を受診させて、製薬会社が売りたい薬を医師に処方させる――。



うつ病100万人の陰に新薬あり

 そこですぐに思い出すのがSSRI発売(1999年)にあわせて繰り返しお茶の間に流れた「うつは心の風邪」のコマーシャルである。もちろん製薬会社が作ったCMだが、これが見事に当たった。

 うつ病患者は10年前の2.4倍に急増、今年ついに100万人の大台を超えた。

 今年の1月6日の読売新聞朝刊に、『「うつ100万人」陰に新薬?』という記事が載ったが、その中でパナソニック健康保険組合予防医療部の冨高辰一郎部長(『なぜうつ病に人が増えたのか』の著者)はこう述べている。

「SSRIが発売されたのに伴い、製薬企業による医師向けの講演会やインターネット、テレビCMなどのうつ病啓発キャンペーンが盛んになった。精神科受診の抵抗感が減った一方、一時的な気分の落ち込みまで、『病気ではないか』と思う人が増えた」

 結果、製薬会社として、抗うつ薬市場はぼろ儲けの感がある。それまで年間販売高がせいぜい170億円台だった抗うつ薬市場は、1999年にSSRIが登場してから急伸し、2007年には900億円を超えた。当然のことだが、売上高とうつ病患者数の推移は見事に一致している。

「疾患啓発広告」は、つまり、「そういう手もあったのか!」という発想の転換である。そして、最近の「医師に相談を広告の急増」はうつ病啓発キャンペーンの成功が裏付けとなっていることは間違いにない。(だから、テレビで、「まずは医師に相談を」と親切ごかしに言うコマーシャルが流れるたび、私はカチンカチンと来るのだろう。)


製薬会社と医師との「不適切」な関係

 そういう目で雑誌をいろいろ見ていたら、こんな論文が目についた。『精神科治療学』2010年3月号(vol、25)の『グローバルな製薬企業と精神科臨床』、著者は東京武蔵野病院の江口重幸氏。

 製薬企業と臨床医との関係を中心に、薬を処方する前に考えておくべきことを覚書としてまとめた、と抄録にはある。

 医師が薬を処方するとき、私たち患者は(少なくとも、それまで無知だった私は)、医師が私の症状を聞いて、そのうえであれこれ考慮して、それに見合った薬を(慎重に)選んでくれているものと思っていたが、この論文を読んで、そんなことはまったくの希望的思い込みにすぎなかったことを思い知らされた具合である。

まず、現在日本の医師全般(精神科医に限らず)が経験する学術研究会や学会セミナー、あるは学会や学術雑誌の多くは製薬企業の主催や後援で成り立っている

 製薬会社からのサポートがなかったら、現行の研究会の8割は消滅することになるだろうと筆者はいう。

さらには、製薬企業から医師に対しての、有形無形、ピンからキリまでの「利益提供」があり、利益を受ければ、それに対して恩返しをしたくなるのが人情というものだ。つまり、臨床の場がそのまま製薬企業のマーケットになってしまうということである。

にもかかわらず、多くの医師は臨床的判断や医療感はそのようなことに左右されず、あくまでも「学問的、科学的」領域の側にあると考えているらしい。

おもしろいデータが載っている。

日本における製薬企業と医師との関係についてのインターネットによる調査結果だ。それによると、「61%の医師は製薬会社からの働きかけにより自分は影響されないと考えているが、自分以外の他の医師も影響を受けないと考えているのはたったの16%に過ぎない」というのだ。

つまり、自分は清廉潔白だが、このような環境にいる限り、みながみな清廉潔白でいられるはずがない、と多くの医師が考えているということだ。

そして、「患者もまた、自分の主治医は他の医師よりも製薬会社のバイアスを受けないはずだ、と考えている場合が多い」という。いかにも日本人らしい心情といえば心情だ。


精神医学は製薬会社の市場原理に連動する

筆者が最も問題視している点は、今日の精神科医が依拠しているはずの精神医学の「学問的・科学的」基盤そのものが、市場原理と緊密に連動しているという事実である。

たとえば、向精神薬の治療アルゴリズムを見ると、いずれも優先順位の高い推奨薬は、特許期間中の、高額な薬剤が並んでいるという事実。そして、特許が切れると、それらはアルゴリズムから自然と脱落していくという。

また、ある薬の臨床試験の場合、その製薬企業が試験のスポンサーとなれば、プラセボとの間で有意差がない、いわゆるネガティブデータが、論文として発表されにくいという事実もある。

さらには、企業のMRから医師に配布される雑誌の別刷りやプロヒーディングスは、実際の専門誌の研究論文なのか、学術風な宣伝なのかわからない体裁のものが多いらしい。

そして、製薬会社主催の研究会での発表がどのようなものになるか。利益供与を受けていれば、その会社の製品を悪くは言えなくなる。聞いている医師たちも、それはもう心得たもので、ほとんどの医師はバイアスの入った宣伝講演と割り引いて聞いているらしいが、こうしたことが続けば、研究や学術論文そのものの信憑性や価値はほとんどなくなってしまうだろう。



すべてが出来レース

筆者はここで、イギリスの精神科認定医のデイビッド・ヒーリー氏を取り上げている。

ヒーリー氏が一番の問題としているのは、精神薬理学論文のゴーストライティングだ。つまり、製薬会社が出資して、特定の薬物の効果を含めた論文(草稿)が専門の代作会社(ゴーストライターによって論文を制作する)によってできあがり、さらには、著者の選定やその論文の投稿先までが(事後的に)戦略的に決定されるというのである。

極端なケースでは、製薬企業が研究機関の臨床試験に出資し、企業内でそのデータ解析が行われ、この「代作」作業が導入され、さらにつづいて別の会社に依頼してその論文が欧米の有力紙に掲載されるように誘導するというのである。

(今年6月、ヒーリー氏が来日し、講演を聞きに行ったが、欧米には代作会社は結構たくさんあるし、臨床試験請負会社もかなりあるらしい。請負会社はすでに300億ドル市場とか。そして、そうした会社は発展途上国において試験を行っているという、まさに映画「ナイロビの蜂」さながらの世界だ)。

要するに、臨床試験の段階から作為があり(都合の悪いことを隠す)、さらに論文作成においても都合のいいことだけを、書くプロによって仕立てあげ、その上、その論文ができあがってから、それにぴったりはまる医師を筆者としてあてがい、有力な医学雑誌に掲載できるよう画策する会社まで存在するというのである。

最初から最後まで、製薬会社の息のかかった論文が、あたかもエビデンスの基準となるかのような扱われ方をして、医学の先行きを決定してしまう。

「グローバル化した製薬企業のマーケティング戦略が、従来の自社製品の宣伝にとどまらず、「学術的・科学的」領域の舞台裏で、医学的・科学的知の生成や疾患概念の変容にまで拡大している」という事実は、実に恐ろしい。

そして、「それは私たち(精神科医)が依拠する臨床エビデンスの生成ないし変容という領域にまで入り込んでいる」と筆者は書くが、だとしたら、私たちが精神科医から受ける治療は、どのような基準で行われ、どのようなレベルのものなのか、考えるとさらに恐ろしい気持ちになってくる。

無作為割付比較試験に基づく臨床試験――作為的臨床試験、言ってみればねつ造

欧米主要医学雑誌に掲載されるその試験結果――ねつ造に権威を与えるもの

そこから導き出されるエビデンスに基づく医療――つまり、いかなるエビデンスにも基づいていない医療ということである。


そして、私たちは10年ほど前、「うつは心の風邪」という、製薬会社のマーケティング戦略の一つである「疾患概念の変容」にまんまと乗せられ、SSRIを飲まされて、しかもうつ病が治るどころかうつ病100万人時代を迎え、それだけならまだしも、添付文書にこれでもかと書かれている副作用に苦しむ人を大量に作り出してしまったというわけだ。



製薬会社も一つの利潤を追求する企業である。だが、そのために科学を操作することは絶対に許されない。そして、その尻馬に乗るような医師もまた、医師として一番大事な何かを失ってしまっていると思う。

しかし、そのような精神論はもはや通用しないのかもしれない。だとしたら、論文の最後にも書かれているが、研究者や臨床家と製薬会社とのあいだにおける「利益相反」や「利益供与」の情報開示の義務付けはどうしても必要になってくるだろう。(欧米の主要学会誌や学術雑誌では、執筆者の情報開示は厳しく義務づけられているらしい。日本でも公務員の場合、開示しなければならないが、それを詳しく見ていくと、製薬会社からの理由のはっきりしない「お手当」が結構ある)。だが、すべてが義務付けられたとき、どのような結果が出てくるか、いまらかもう心中戦々恐々の医師ははたしてこの日本にどれくらいいるだろうか。