堕天使のイデア7 | ユークリッド空間の音

堕天使のイデア7

「質問を変えましょう」雨宮は写真をしまう。「率直に答えてください。水川女史が犯人と思われますか」
 結んだ口が震えた。どうやら、恭子の急所を突いたらしい。ただ、これは意外な反応だった。恭子が犯行に関わっているにしろ、樹里が犯人であるにしろ、――そしてふたりが事件に無関係であるにしろ、恭子は「いいえ」と即答すると思っていた。
 結局、恭子は「警察はそう考えているんですか」と、自信なさげに探りを入れてきた。この逡巡には――何かある。
「何しろ、彼女の庭ですからね」雨宮は涼しく返す。
「証拠はあるんですか」
「決定的なものはありません。水川女史と被害者との関係も判りません」
 恭子は一気に攻勢に出た。
「じゃあ、これ以上こちらのことに立ち入らないでください。わたしは被害者のかたを知りません。それは彼女を調べてもらえばすぐに判ります。それに、樹里も亡くなられたかたを知らないって云っているんでしょう? 動機を持たずにひとを殺したりします?」
 今度はこちらの急所を突かれた。
 恭子の証言を鵜呑みにはできないが、現段階で、樹里・恭子のラインには、被害者を殺す動機がない。恭子は暗に「探しても無駄」と釘を刺したので、その点では相当に自信があると思われる。
 恭子の態度を見ると、徐々に疑いが膨らんでくるのだが、やはり動機の壁が立ち塞がる。かりに、右田の目撃した女性が恭子だったとしても、佐々田失踪の動機はその一日で育まれたことになる。これは考えがたい。
「ところで藤原さん、水川女史を訪れた日、画伯から絵を一枚受け取っていますね」
 雨宮はメモに目を落とし、唐突に話題を変えた。
「ええ、地元の警察のかたにもチェックされました。それが何か」
「プレゼントですか?」
「頼まれごとです。樹里の別宅に運んだんです」
「それは水川女史のご意向で?」
「そうです」
「あらかじめ決まっていたんですか」
「急なことでした」
 雨宮はしばらく黙り込んだ。今の内容を反芻しているようだった。
 真野も「おや」と思ったことではあるが、ただ、それが事件に関係しているのかどうかは解らない。
「一ヶ月前、水川女史の家を訪れませんでしたか」
 雨宮はふたたび口をひらいた。佐々田殺害のアリバイ調査だ。
「いえ。その頃にはイタリアにいましたから」
「イタリア!?」
 予想外の答えを聞き、雨宮と真野は声を合わせて驚いた。
「ええ。絵画修復の研修のため、二週間ほどあちらの大学で勉強しておりました」
 どうやら強い武器が見つかったらしいと悟った恭子は、落ち着きを取り戻し、こちらに挑戦するような目を向けた。
 佐々田麻美に最後に接触した人間として、犯人の可能性が有力だった恭子だが、どうやらノーの答えが出たらしい。
 では、犯人は水川樹里?
 捜査は振り出しに戻る。


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