昨日、吉祥寺のある場所で、ずっと心でモヤモヤしていたことを、仲間に声を出して伝えるチャンスがあった。 それを、この場でも、Shareすることにした。

少し前、ISが後藤さんを殺害した残虐な映像がネット上に流された直後の教室での出来事。

教室に集まってきた生徒同士で、
「後藤さんの殺害映像、家族と見たよ」
「学校の友達が、『殺害映像を何度も見たけど、全然平気だったぁ~』って、言っていた」と、生徒同士で話しているのが聞こえてきた~~

『人が人を殺める』という、絶対にあってはならない行為は、絶対に目にしたくない場面だし、絶対に目にしてはいけない場面だ。

人の尊厳を踏み躙る様な場面が、インターネットを通じて、全世界に配信され、誰もが見られる状態になっているのは、なんと異常なことか

それなのに、
興味本位でその映像を見ようとする子どもたちの行為、
家族で一緒に見るという行為、
学校で、先生主導で生徒たちに見せるという行為、
そこには、人に対する『尊厳』の欠片も見当たらない。

一体何が起きているの~
「インターネットという二次元での出来事」で、済ませていいの~
「遠い世界の出来事」で、済ませていいの~

死をネットという媒体を通じ晒し者にするという行為は、絶対に犯してはならないし、増してや、それを興味本位で見ようとする行為は、罪深い。

人が亡くなった時、私たちはその死を痛み、畏敬の念を持ち、儀式(葬式)をもち、敬意をもってあの世に送り出すべきだ。

人は、相手の立場や気持ちを想像する力を持っている。
例え、それがネット上に配信された動画(二次元の世界の出来事のように見えたとしても、それは現実に起きていることであり)、そこに、悲しむ家族や愛する人々がいることを、私たちは知っているわけで、その痛みを共有することも可能だ。

核家族化が進み、一緒に住むお祖父ちゃんやお祖母ちゃんが歳を重ね、体が弱り、ついには亡くなっていくという過程を目にあまりしない現代の子どもたち。

だからこそ、大人は、家庭・学校・社会、あらゆる手段を使って、「人の尊厳」や「生き方」「死」について、伝えていく必要があると思った。

マザーテレサは、かつて、インドの路上で死を目前にしていた人をホームに招きいれ、手厚く介護し、あの世に送り出した、その精神の爪の垢ほどを、一人ひとりが持てるように、現代社会において子どもたちに伝えていくことは、大人の担った大きな役割であるように思う。