碧い瞳
昨日から始まったばかりの
「食べ放題」↓、ではなく
ゴッホ様に会いに行った。
相当な昔、やはり秋だったが西洋美術館でのゴッホ展へ
行ったような記憶があるのだけれど。。。
今回は「壁の色がヘンで、展示室の形もヘンで、話し声がウルサイ」と
娘には不評の美術館。
お母さまは娘が言うようなことは、もうどうでもいいのだけれど(人格が丸くなった)
急に抱き合う30歳前後のアベックや、香水プンプンなスーツ姿の青年や、
「喉が乾いたからお水飲んじゃいましょう♪」と平気で言うオバサンに
ゴッホに感動以上のオドロキを感じて来た。
これらのことにお外の公園で遭遇したのなら、どうということはないのだが
展示室の作品の前でとなると・・・
退場命令出したいぞ!
この展覧会は、特別な美術教育を受けていないゴッホの芸術が
どのような過程を経て生まれて行ったのか時期を追って6つの章に分けられ、
影響を受けた巨匠達の作品と共に紹介されている。
入ってすぐに、
《自画像》
1887年 3-6月 41×33cm
《秋のポプラ並木》
1884年10月 99×66cm
《白い帽子を被った女の頭部》
1884年10月―1885年5月 44×35.9cm
《籠いっぱいのじゃがいも》
1885年9月 44.5×60.5cm
こう見ると、ホントただのジャガイモの絵以外の何物でもないのだけれど
実物はキラキラ光って、とてもジャガイモとは思えない。
黒いダイヤが原石で輝いているような(見たことないけれど)
そう感じられるような光り方なのだ。
ガラスやライトの具合なのかもしれないが、強烈な印象。
《バラとシャクヤク》
1886年6月 59.8×72.5cm
《花瓶のヤグルマギクとケシ》
1887年夏 80×67cm
《マルメロ、レモン、梨、葡萄》
1887年9-10月 48.9×65.5cm
額もゴッホのお手製。
黄色が一番好きな色、そんなわたくしには満面の笑みになれる嬉しすぎる作品。
ゴッホ美術館さん、譲ってください
《セーヌの岸辺》
1887年5月中旬―7月中旬 32×46cm
この絵の左上部の雲には、彼の指紋が残されている。
彼の作品には、偶然かそれとも何かの効果かを狙ってなのか
多くの指紋が残されているそうだ。
雲が柔らかく、とても自然で、動きも感じられるような気がする。
指摘されているからこう感じるのかもしれないが、
ゴッホが雲に指を重ねたときキャンバスに生まれた表情は
子供が大きな発見をしたときの喜びの笑顔に重ねられる。
雲もゴッホもその瞬間、煌くような笑顔になった…
そういう光景をわたくしは思い浮かべる。
《ヒバリの飛び立つ麦畑》
1887年6月中旬―7月中旬 53.7×65.2cm
《アルルの寝室》
1888年10月 72×90cm
この絵が立体的に再現されている。
青い扉、ベッド、肖像画(《ウジェーヌ・ボックの肖像》と《ミリエの肖像》だと思う)
そして鏡にはわたくし達の姿も映る。
ゴッホと同じ空間に、今のわたくし達が生きている!
《あおむけの蟹》
1889年1月 38×46.5cm
あの~、どういう味付けで召し上がりましたか?
いろいろ美味しい食べ方あるでしょうが、東南アジアの黒胡椒にどっぷりと
浸った炒め物、大変美味でございます。
ゴッホ先生に食べさせてあげたいな
《サント=マリ=ド=ラ=メールの風景》
1888年6月1日―3日 64.2×53cm
《サン=レミの療養院の庭》
1889年5月 91.5×72cm
《アイリス》
1890年5月 92×73.5cm
《草むらの中の幹》
1890年4月後半 72.5×91.5cm
いつものように、当然ながら此処の写真と実際の作品は
「月とスッポン」の言葉にも及ばないほどの激しい差がある。
この作品など、その甚だしきもの。
上の↑《アイリス》も圧巻だったが、この絵の優しさには泣きそうになった。
荒々しい幹なのだけれど、彼の心が静かで落ち着き安らぎを得ていた時間に
描かれたように思えるのだ(実際どうだったのかは分からないけれど)。
繊細で純粋な気持ちの人だったのではないかな。
沢山の画家から多くを学び、自分に取り入れてゆく。
あたかも砂漠に水が吸い込まれていくように。
もっとその命がこの世にあったのなら、どのような作品を残してくれたのだろう?
もっともっと沢山の日本を知ってくれただろうに。
日本文化を愛してくれたのは、わたくし達と同じ感覚があったからだと思うし
だから逆にわたくし達も彼が好きでたまらない。
そんなに碧い瞳だとは知らなかった。
澄み切った瞳を知って、もっと彼が好きになって来た。
ちょっとコワイ、か!?