少し前に1歳児がこんにゃくゼリーをのどに詰まらせて亡くなったというニュースがあった。
そして、今日のニュースでこんなのがあった。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081008-00000012-mai-soci
事故そのものは痛ましいと思うが、少なくとも1歳児に対しては親がきちんと付いていてやる責任もあったとも思うのだが、ニュースなどでは全くふれられていないのが不思議だ。
親の保護責任というものだ。
1歳ではまだ言葉もしゃべれない。
ようやくよちよちと立ち上がったくらいだろう。ついていてやるのが当たり前だと思うのだが・・・・
いや、それ以前に幼児にこんにゃくゼリーのように口の中で溶けにくいものを与えるのもどうかと思うが・・・・
記憶だけだが、以前からこの手の事故は時折起きていたため、くだんのこんにゃくゼリーも一口では食べられず、スプーンを使って食べるようにサイズを大きくしたはずだ。
ある意味、犠牲者が物言わぬ幼児であるというだけで無条件に製造者の責任ばかりを追及している気がする。
勘違いしてほしくないのは、勝手にのどに詰まらせたこどもが悪いなどと言っているのではないということ。
一方的にマスコミによって悪役のレッテルを貼られてしまい、もう一方の管理監督責任などについてはまったく語られていないことに恐怖を覚えるのだ。
少し前のシュレッダーでこどもが指を切断した事件だってそうだ。
もちろん、設計上の配慮としてこどもの手のサイズを考慮していなかったのはミスだとも思えるが、従来の日本の家庭においては、親がこどもに、「危ないから」あるいは「他人への礼節」として、してはいけないことを教育する文化があったはずだ。
しかし、今はそれが全くないのだろう。
馬鹿な親は学校任せ。学校は馬鹿な教師が偉そうにしているだけ。
こどもはがんじがらめの規則の中で反発し、無秩序と自由をはき違えるようになる。
何かが間違っているよ。
いつだったかの東芝クレーマー事件もそうだが、馬鹿なユーザーが増長しすぎている面もたぶんに有るように思う。
特に工業製品などは正しい使い方をしなければ、時として危険なことなど当たり前だったはずだが、今はその防止策をすべて製造者責任法の名の下に、製造者になすりつけている気がする。
車は正しく使えば、便利で楽しい乗り物だ。しかし一歩間違えれば、簡単に人を殺す道具にもなる。
極端な例は刃物だ。
包丁は切れなければ意味はない。しかし、危ないからと包丁をなまくらにしようと思う人はいないはずだ。
すべては正しい使い方をする前提だろう。
もちろん、うっかり間違いや文字通りの「事故」を未然に防ぐ、あるいは不幸にして起きてしまった時でもダメージを最小限にくい止められる様な工夫と努力が必要なのは言うまでも有るまい。そこを手抜きしていて開き直るような企業は救いようがない。
今回の事故では野田聖子消費者行政担当相が事故の直後にマンナンライフを呼びつけて改善策を要求した。いくら製造者責任とはいえ、いきなりそこまでやっては企業をつぶしかねないとは考えなかったのだろうか?
マンナンライフも主力商品である「蒟蒻畑」が製造中止という苦渋の選択をした上に、イメージダウンしてはこの不景気の折り、つぶれかねない。
せいぜい、同社の商品を見かけたら買ってあげることにしよう。
最後に少し論旨はちがうがおもしろい記事を見つけたので、リンク先を載せておこう。
盗まれた『ホンダCBR1000RR』を、追跡ツール『Snitch』で発見(WIRED VISION)
http://pc.nikkeibp.co.jp/article/news/20081010/1008721/?set=ml