北の大地のおもひで・今昔物語 | 木馬の四方山ばなし

木馬の四方山ばなし

趣味の話や日々の出来事を中心に何となく、自己満足のためにつづっていくブログです。

思えば、今年でバイクに乗り始めてちょうど30年目になる。
その間、バイクに乗らなかった時期はない。


別に意識していたわけではないが、そういった意味では

30周年記念ツーリング

だったのかも知れない。



19才で初めて北海道に行ったときに一番困ったのがお金の保管方法。
野宿などをするのであまり現金を多く持ちたくはない。
貧乏学生の持ち金だ。たかがしれているが、やはり無くしたり盗られたりすると困る。


今みたいにそこいら中に銀行のATMがある時代とは違う。


当時、旅慣れた人は郵便貯金にお金を預けて通帳とはんこを持ち歩いていた。
郵便局ならばどんなに小さな町にも必ずあったからだ。



昔は休憩するにもたばこ屋やパン屋などの軒先で缶ジュースを買うくらいが関の山だった。
トイレは小ならばなんとでもなるが、大は困った。公園や駅などの公衆便所か、ガソリンスタンドを利用することになるが、当時は今のようにきれいに整備され、紙もある・・・なんてことはまず期待できなかった。
だから、トイレットペーパーを常に持参していたものだ。


今は至る所に「道の駅」は有るし、コンビニもある。
便利になったものだ。この点は手放しで喜びたい。



2008 house  二風谷アイヌ資料館 in 2008


1982 house 二風谷アイヌ資料館 in 1982


便利アイテムと言えば、なんと言っても劇的な変化を遂げたのが通信機器。




2008 stones  縁結びの石 in 2008


1982 stones  縁結びの石 in 1982


当時は赤電話ばかりで、大きな町でないとプッシュボタンの公衆電話すらなかった。
心配しながらもボクがバイクに乗ることを認めてくれた母親とは3日に一度、家に電話して無事を伝える約束をしていた。

・・・・もちろん、コレクトコールで・・・(笑)




2008 koufuku  幸福駅 in 2008


1982 koufuku 幸福駅 in 1982

今や、携帯電話がある。
なにがしかの施設があるところならまず、つながらないことはない。インターネットだってできる。
今回のボクのように小型のパソコンを持ち歩くなんて当時は想像すらできなかった。



2008 shumarinai  朱鞠内湖 in 2008


1982 shumarinai 朱鞠内湖 in 1982


同じく激変したのはカメラ
19才の時はコダックのポケットカメラというものを借りて持ち歩いた。
こんな感じのやつ。


codak


film こんな感じのカートリッジタイプのフィルムを使う。


12年前に来たときはカメラは持ってこなかった。持ってきたとしても当時はまだフィルムカメラだ。
しかし、今は高性能なコンパクト・デジタルカメラがある。


P60 ニコン・クールピクスP60

実にこのコンデジは活躍してくれた。電源が単3電池だということのメリットをつくづく感じた。

いや、画質さえうるさいことを言わなければ携帯ですら撮影は可能だ。


ボクが今回、旅の途中でも与太話を書き続け、ブログにアップし続けたことなどを考えると感慨深いものがある。


2008 soya  宗谷岬 in 2008


1982 soya  宗谷岬 in 1982


そうそう、変わったと言えば、ライダーとバイクも変わった。


まずはライダーだが、やはり若い人が少ない。一番多いのが30歳代。あとは60過ぎのじじいもかなり居る。


ハーレー乗りは二極化している。
めちゃくちゃ金のかかったハーレーに乗るじじいと、いわゆるローライダー系の20台から30代前半くらい。


カップルで来ている人も増えた。
それもタンデムで・・・



バイクに関しては、一番目につくのはやはりハーレー。
次がビッグスクーター。
あとはR1とかCBRとかの大型SSモデル。

オフロードバイクはほんの数パーセントくらいだろう。



siretoko  知床峠 in 1982


中にはBMWのR1200GSの様な大型のオフロードマシンに乗っている人もいるが格好やバイクの汚れを見る限り、オンロードだけを走っているようだ。

大型のオフバイクって実はロングツアーにすごく向いているのでまあ、それも有りかとは思う。なんちゃってオフローダーも、ま、致し方有るまい。


明らかにダートを走った形跡のあるバイクは250ccクラスのオフバイクでたまぁ~に居るくらいだ。

もっとも膝カップの入ったMXパンツはもちろん、オフ用のきちんとしたブーツを履いている人にはついぞ、出会わなかった。
ボクのようにモトクロスパンツにモトクロスブーツなんて言う出で立ちはすでに過去のものなのかもしれない。


でも、最終日の朝にかにの家に立ち寄った際、ボクの出で立ちと泥だらけのアフリカ象をみて、小僧のバイク乗りが


すっげぇ~。ダートばっかり走って居るんですかぁ~


と驚愕していた。



ふっふっふ。
こちとらキャリアが違うのよ。チミが生まれた頃からバイクに乗って居るのさ・・・・


kani01 かにの家 in 2008


kani02 かにの家 in 2008


1982 kaninoie  かにの家 in 1982



19才の時は道内には2週間半ほど滞在した。学生だからできたことだ。往復の本州の走行距離も入れて、このときは全行程で4000kmくらい走ったはずだ。


12年前に来たときは後輩たちと5人で来た。約1週間の日程だったと思う。
仲間がいると心強いし、楽しみもあるが、今にして思うとこのとき走ったルートや行った場所は断片的にしか覚えていない。残念ながら、人について走るとこうなるのだろう。


今回はその意味で、自分一人。勝手気ままに、心の赴くままに走った。



始めてきたときのバイクは、XL250R。

2度目の時は、KLX250R。

どちらも250cc4サイクルのオフロードバイクだ。北海道を走るには適していた。


そして今度は、アフリカツイン。

大型オフロードバイクだ。



以前ほどではないにせよ、北海道でツーリングをする場合、ひとたび道道に入り込むと砂利ダートになることは少なくない。
オンロードバイクでもフラットダートなら十分走れる。
しかし、楽しくはないだろう。


ましてボクのようにあえて遠回りしてでもダートを拾いながら移動する人間にとってはオフバイクは必須アイテムだ。



19の時はまだまだ未熟で深砂利ダートだとフロントを取られて転倒し、(今は立ち入り禁止のようだけど)佐呂間の砂州の先端まで砂浜を走ってはまたまた転倒し、という感じだった。


2度目の時はそれなりに腕も上がっていたので、ダートを走っていると先行しているバイクに追いついてしまうことも多く、道を譲ってもらうこともしばしばだった。



そして今回。
さすがにタイヤがオンロードタイプだったので無理はできなかったが、自分で言うのもなんだが、ベテランにふさわしい走りができていた気がする。


技量も多少なりとは上がっているとは思うが、なんと言っても経験値が上がっていたのが大きい。路面を読む力と言ったらいいのだろうか?


フラットダートでも砂利の大きさや量でどの程度滑るのかは想像できる。
轍の真ん中の盛り上がりを乗り越えるときなどは意外に転倒が多いものだが、場所をきちんと選ぶことでリスクは最小限に抑えた。
そして、何よりも富士林道でのどろどろルート。
Uターンでタイヤが横滑りして転かしてしまったのは少々恥ずかしいところだが、あそこでやめようと判断したのは自分としてはやはりキャリアのおかげだったと思う。
若い頃なら無理して行ってしまい、もっと奥深いところでトラブルにあった筈だ。



こうして振り返ると、行った先々も変わっているし、取り巻く環境も大きく変化している。バイクやライダーも違う。

そして何よりも自分自身も大きく変化していることを再認識する。


これからも時代の流れに逆らわず、自然体でバイクライフを楽しんでいこうと思う。


Love&Piece