例えば「海」という童謡。
この唄の作詞者・作曲者は共に、海無し県である群馬の出身である。
海が身近に存在しなかった二人の海に対する憧れが、この唄を創ったと言っても過言ではないだろう。
かく言う私は、和歌山県の出身。
実家から15分程車を走らせば、一面の海が見渡せる場所に辿り着く、といった環境で生まれ育った為、海に対する憧れはあまり無い。
海無し県の埼玉に移住してからは、たまには海が見てみたいと思う事はあるが、やはり強い憧れは抱けない。
しかし、雪景色に対する憧れは強い。
和歌山は温暖な気候で、冬は雪が降る事は少なく、積雪となると滅多に無い事である。
何年かに一度、積雪を伴う雪が降ることがあるが、積雪と言ってもほんの2,3センチ程度のものである。
それでも和歌山県内で発行される新聞では、微量な積雪を一面トップ記事として扱う程である。
そして子供たちは、ここぞとばかりに雪だるま作りや雪合戦にいそしむ。
それほど雪には縁のない土地に私は生まれた。
そんな私は、こんな年齢になっても雪景色に人一倍憧れを持っている。
2011年12月、冬の18きっぷが解禁になったある日。
~なんにも用事がないけれど、列車に乗って雪景色を見て来ようと思う~
雪国、雪景色と言えば新潟。
無理なく日帰りで帰って来れる、という観点からも、迷うことなく私は新潟に阿房列車を走らせることにした。
しかし、雪景色を見るだけとなると、何とも味気ない運行になりそうだ。
少しアクセントを加え、幾つか目的地を選定することにした。
12月23日早朝
いかにも冬らしい、灰色の雲が空一面を覆い尽くす天候である。
18きっぷを握りしめ、高崎線経由で高崎駅まで向かい、そこから上越線水上行きに乗り換える。
今まで何度か乗車している上越線だが、やはりこの路線は趣がある。
渋川を過ぎてからは、国道17号とともに、利根川に沿って北上を続ける。
蛇行を続ける利根川の流れを幾度か鉄橋で跨ぎつつ、沼田まで来ると車窓はうっすらと雪化粧が施され始める。
湘南色の115系のクロスシートに陣取っていた私は、既にこの時点で車窓に釘付けになる。
高崎から約1時間で、水上駅1番線に到着。
ここから狭い跨線橋を渡り、2番線に停車中の長岡行きに乗り換える。
グリーンの帯をまとった115系は、雪の中定刻通りに水上を発った。
間もなく新清水トンネルに入り、そのトンネル内にホームのある湯檜曽、土合 をやり過ごす。
10分以上かけて新清水トンネルを抜けると、見事なまでの雪景色が広がった。
私は思わず息をのみ込む。
初めての旅 では、真夏の炎天下の中、深緑に包まれていた車窓だったがそれが一変、今は真っ白な世界が広がっている。
越後中里と、岩原スキー場の間にある大カーブを通過するときなど、自分が今何処の国いるのか分からなくなる程の錯覚を感じた。
私は白い車窓を終始堪能しつつ、宮内駅で下車した。
わりと広い印象のホームを持つ宮内から、直江津行きの信越本線に乗り換える。
柏崎を過ぎた辺りから、進行方向右側に、一面の日本海の景色が広がる。
しかし、冬の日本海は荒れ放題だ。

私はここで、少々不安を感じた。
日本海からの強風。そして高潮。
列車の運行に影響は出ないのか…?
不安はすぐに的中してしまった。
車内放送が流れる。
「現在高潮による塩害の影響で、列車の車輪に空転が発生しており、スピードが出しづらい状況にあります。よって列車に少々の遅れが発生する見込みです。お急ぎのところ、列車が遅れましてご迷惑をお掛け致します」
そんなことって、あるんだな…
でも、少々の遅れなら、直江津以降の行程に影響はないだろう…
しかし再び車内放送が…
「無線連絡が入りました、現在風速が危険領域に達したため、これから列車は時速25キロメートルの徐行運転に入ります。列車には大幅な遅れが見込まれます」
それはマズい!
このままだと、今日のプランは御破算になってしまう…
何とか強風だけでも納まってくれないものか…
暫く徐行運転が行われた後、私の願いが通じたのか、三度目の車内放送が入った。
「強風が納まりましたので、これから徐行運転を解除致します」
私は胸をなで下ろした。
それにしても、海沿いを走る路線は、過酷な環境に置かれているという事を改めて知らされた。
20分程度の遅れを伴って、列車は直江津に到着した。
ここで、さらに福井行きの北陸本線に乗り換える。
一つ目の目的地は目前だ。