僕がこの仕事をはじめることになったきっかけ。 | 夢が毛利毛利

僕がこの仕事をはじめることになったきっかけ。

今日は坂本真綾さん初日です。
あっというまのリハーサルでしたが、すばらしい楽曲と歌声、楽しいバンドで
いい感じになってると思います。

さて、今回の坂本真綾さんのアルバム You can't catch me のクレジットをみていて
みずうみ という楽曲、かの香織 の作曲 だと書いてありました。
これをみて昔の事を書いてみたくなりました。

初の毛利毛利歴史編です。

たまに若かりし頃の気持ちのままで文章にするので
とっても失礼な記述もあるやもしれませんがご容赦。

たぶん1995年だと思うんですが、
僕は洗足学園短期大学打楽器科というところに通っておりまして、
まもなく卒業する頃だったと思います。

当時の僕は打楽器科といってもドラムしかほとんど叩いてなくて、
レッスンもろくすっぽ受けない日々。
さかえやという居酒屋でお酒をのむことに執着してました。

将来のビジョンはまだなくて、
物心ついたときからずっと音楽をやってきて
なんとなく音大まできちゃって、けど打楽器をひたすら演奏する自分はあまりイメージできなくて、
4年のコースに編入の予定をやめて、2年ぐらい、いとこのいるロンドンにでも行って
英語しゃべれるようにでもなれたらいいなぁっていう感じでした。
まぁ、あのときのテンションじゃ英語しゃべれないままだったと思うのですが。

年もあけて、そろそろ語学学校も決めて申し込みしようかな、って頃
ある日の夜電話が鳴りました。

電話の主は、当時の親友、今もラクライを一緒にやってるドラムの赤間慎です。
電話をでると、あ、なんかお願いされるなってすぐわかりました。
あの男、困ってるときは妙に丁寧語を使うからです、、、、、

同い年ですが、僕は一浪していたので彼は一足さきに社会にでてました。
なんだかどこかのアレンジャーのボーヤ(アシスタント)をしているはずです。
で、電話の内容は
「免停になっちゃった。そのままだと仕事クビになっちゃうから2ヶ月代わりに運転してくれないか」
といったものでした。
記憶に間違いがなければ、一生のお願いだったはずです(笑)

時期的にはロンドンに行くはずの時期です。
あぁ、無理かなぁっと思いましたが
やはり男子たるもの、友にお願いされて断るわけにはゆきませぬ。
正直、さきほど書いたように本当に欲して英国行きを決めたかは自分でもわかりませんでしたし、
ここには自分を必要としている人間が一人はいると思ったら
急に魅力的に思えて、やる事にしました。
あと何より、プロのポップスの現場ってのはどの程度のもんか見てやってもいいなって興味がありました。
正直、逃げ道を見つけたような気持ちでした。

話をきけば
そのアレンジャーの名前は 門倉聡 
Winkとか数々の歌謡曲を手がけて、ガンダムF91の音楽もやってるそうな、、、な、何?!ガンダム!
ちときになるぞ。あ、もしかしてアイドルに会えるんじゃないの。。。。

そんなこんなで、初めてなんに使うかもわからない機材っちゅうものを
まだ慣れない運転で赤間とともに運んで赤間がセッティングするのをボケッと手伝って
いろんな大人達にあいさつし、隅っこで小さくなって(いつも小さいけど)見学はじめました。

さっき運んだ機材を、なんか難しい顔して難しそうにいじってる人は
シンセサイザーオペレーターの水出浩さんというらしい。
コンピューターとか使うんだ、へぇ~ しちめんどくせぇなぁ。
見た目が楽器とは思えねぇしなんかパッとしねぇや。
パッと演奏しちゃえばすぐ終わるのになぁ。。。。。

まだシンセサイザーもサンプラーもなにも知らず、興味もなかった僕が
初めてスタジオレコーディングを見学したその日。

アーティストの名前は かの香織 さん
今からできるであろうその曲のタイトルは 午前2時のエンジェル だったのです。

さて、そうやって始まった僕がなんでかこんな事をいまやってます。
続きはまた。

では初日がんばってきます!!!