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2016年07月01日(金) 12時00分22秒

Zelig's playlist#1 〜結団式〜 チケット発売。

テーマ:Zelig works
皆様、ただいまから主催ライブ、Zelig's playlist#1 ~結団式~
9月19日(月)敬老の日 二子玉kiwa 16時開演
発売です! チケットは 3000円+1ドリンク
ぜひ、遊びに来てください。
ご予約は info@zeligworks.com まで!

出演は
中村仁美
ラクライ
森山公一 with Mayu Onishi
cocoroage


https://www.facebook.com/events/991990487562822/

http://oasis-kiwa.com/schedule-detail/802/160919/
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2016年06月27日(月) 19時44分37秒

中村仁美のこと

テーマ:Zelig works
こんばんわ。
連日、暑いのか寒いのかわからないのは、
僕が夜から朝までの仕事が続いたり、室内にしかいないからでしょうか。。。

今日は、僕がプロデュース進行中、中村仁美ちゃんを紹介させてください。

中村仁美 22歳 福岡在住のシンガーソングライター

まだ活動歴2年ですが、持って生まれた声とメロディーセンスは
年月とは関係ないものです。
彼女の歌は、優しさや郷愁そういう感情を動かすものがあると確信してます。
今年ずっと準備を進めてきて、
9月のライブまでに1曲、11月にシングルとして数曲発売します。
僕の得てきた全てを使って彼女の良さを引き出して、
大好きな昭和のポップスを継いだものにしていきたいと思っております。

9月19日は、彼女の初東京でのライブになります。
その記念を皆様にも共有していただければ幸いです。

以下は、僕がどうやって仁美ちゃんと活動するようになったか、
40男のそのストーカー気質を余すところなくドラマ化したものである。。。
(例によってここからくだらないです)

昨年末の僕は副鼻腔炎に悩まされてて、あまり仕事ができませんでした。
厄年でやんわり病気ですよ、もう道に悩みますよ、そりゃぁ。
で、家で寝てばかりだったので、定額制の音楽を聴くだけでは飽きてきて、
あぁもっと好きな歌ないかなぁ~っと漁ってたんです。


ほんでその日も You tube 見てたんですが、
横のウインドウ適当に押してネットの海をサーフィンというか人生のごとく流されてたわけです。
そしたら、見つけてしまった。

声とメロディーがズバっと入ってきちゃって、あ、この人いいじゃん! って思った。
それが中村仁美ちゃんでした。

で、いろいろ聞いてみようと調べたけど、あまり曲も情報もない。
名前も名前だけになかなか検索もヒットしない(ごめんね)。
で調べてるうちに、あれ?? 
まだ活動始めてそんなにたってなくて、大きな活動してないのか~。。。。
と思ってるうちに、僕一緒にできないかな? と。

で、連絡を取ろうと思ったんだが、まず福岡遠いし、
いかんせん40過ぎたおっさんが
「初めまして、東京の(川崎だけど)音楽業界のものですが僕と一緒に音楽作りませんか?」
って、、、、怪しい!!! 俺なら絶対断る。怪しすぎる。。。

考えた、オレ久々に考えた。
で、簡単なことに気がついた。オレ気がついた。
あ、アレンジしちゃえばいいじゃん。音造りはウソツカナァイ。
って思って、You tube にある彼女の曲を譜面に起こして
勝手にアレンジしちゃいました。
同僚の須藤豪まできてもらって、ピアノとか弾いてもらって。
(ちなみにアイツも気合いれて7時間も色々こだわって弾いてたんだよ~)
で3日ぐらいかけて一応本気なデモができたので、それを送ろうと思ったんだけど、
送るにしてもいきなりは厚かましいな。。。と考えて、、、
そうだ!!!!
おれ福岡友達いるじゃん!!!!
てことで、頼みました。 友達の HIROYA.T くんに。
ヒロヤくんは福岡でプロデュースやアレンジの活動をしていて、
福岡行く際はよく一緒に飲みに行くんだけど、、、
僕の方が年上なので、ついに吹かすときがきたわけです。 あの風を、、、
そう先輩風を!!

中村仁美のツイッターみたら「今日天神で路上ライブやります!」
って書いてあるから、
即電話。
『HIROYA.T、、、出動!」「ラジャー!!」
的なノリで、路上見に行ってもらい、CD購入させて、声かけまでしてもらい
もうお膳立てばっちり。
大人ってのはこのぐらいの腹芸みせないとな、うん。

で、ツイッターで返信使って連絡を取り、結構本気な音源送りつけて、
そのあと口八丁手八丁で今に至るわけです。

いやぁ、まず HIROYA.T くんありがとう。これからもよろしくね!

というわけで、それ以降、曲作りをしたり、写真撮ったり、歌どりの練習したりで
あっという間の夏がきます。 
もうすぐ彼女の音源を発表して、世に出していくわけです。
音源のない今、多くを語るには意味のないことかもしれませんが、
僕の感性にひっかかった彼女の歌は多くの人にひっかかると信じてます。
Zelig works が間違えなければ!

というわけで、皆様には楽しみにしていただきたい!と思います。
きょうはまず、その僕がいいな! と思った動画をどうぞ。

では、ごきげんよう。
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2016年06月24日(金) 22時11分00秒

相方、森山公一のこと。

テーマ:Zelig works
こんばんわ。
今日は、ともに Zelig works を立ち上げる森山公一についてお話しさせてください。

森山公一は、ぼくと同い年のシンガーソングライター。ざっくり説明すると、
オセロケッツというバンドでデビューして、その後カントリーミュージックに傾倒し、震災後に家族とともに地元大阪に戻り、
いま大阪で歌ったり、教えたり、プロデュースしたり、色々やっております。

ぼくとの出会いは、前述のオセロケッツです。 1999年かな??
先日投稿した、僕の事2 の後、ぼくはシンセプログラマーとして活動を始めていたわけですが、
当時、絶賛売り出し中、CMとかドラマにちょっとでちゃったようなバンド、オセロケッツのレコーディングで呼んでいただきました。

僕を呼んでくれたのは、かのギターリスト小倉博和さん。
その時のオセロケッツのシングルのプロデュースは小倉さんで、
一緒に作るプログラマーに僕を起用してくれました。
当時の僕は、アレンジャー門倉聡さんの事務所にいて専属のプログラマーでした。
どういう事かというと、まだペーペーで世話になっていたという事です。
そんななか、小倉さんに呼んでいただき、初めて門倉さんと違うアレンジで仕事するという事で、
緊張していたのをよく覚えてます。まぁ若かったので、根拠のない自信みたいのだけはあったんですがw

小倉さんとの、二人でアレンジを固める作業、プリプロダクションを経て、
ついにレコーディングになりまして、オセロケッツの面々と対面です。
町田のダッチママというスタジオでした。
いやぁ~、、、輝いてましたw
大学の友達4人で大阪から呼ばれてデビューして、売れだしてテレビとか出てって
すごくないっすか?
こっちは、前書いたみたいに逃げて逃げて音楽続けて、楽器とか運んで、
正直まだよくわからない機材とか使って人に言われた事こなすの精一杯なのに、
自分たちの曲で演奏して売れてるんですよ。
いやぁ10代の過ごし方って大事だよなぁって思いました。
でも、いやな感情じゃなくて、同い年で音楽の仕事を一緒にするのって
初めてでほんと嬉しかったし、素直に憧れたんです。

で、そのバンドでほとんどの詞曲を書いてるボーカルの森山公一くんは、
なんかもう才能の塊みたいで。
音楽詳しいし、4時間しか寝ないとか当時言ってるし、新聞読むし、
詩とかなんか小難しいし、曲もポップとマニアック両方あるし、
ギラギラしてるのに関西人で面白いしで、
けどみんなの会話すげーくだらないしで、
もうね、オセロケッツ大好きになっちゃった。
レコーディングは、若い僕らの未熟さで困難を極めつつ
小倉さんの気合でなんとか無事完成をみまして。

そのシングルは 「恋愛」という曲で、いま聞くと自分の不甲斐なさばかり感じるわけなんですが、
オセロケッツのなかでもヒットした曲になると思うので、嬉しかった。
少しプロになれた気がしました。

https://www.youtube.com/watch?v=gPbRrbrXsws

けどまぁオセロケッツの面々と仕事はそれきりする事はなくて、
基本照れ屋なので、連絡とかする事もなくw
恋か! 

まぁ、そんなんでしばらく会わなかったわけなんですが、
僕がラクライやってる時に森山くんがライブ誘ってくれたりで
再会して以降ちょくちょく連絡はとるようになって。
人って面白いもので、彼が震災後大阪に帰ってから
彼が大阪で始めた活動など、僕がツアー仕事で大阪行った時には手伝うようになって
徐々に一緒に作ったりライブしたりしだして、、
遠距離って燃えるよね。 交際か!!

まぁ、そんなこともあり、
音楽をやる上で、センスは合うけど
お互いにできないことができるっていうか、信頼できるっていうか、 
うまく頼りながら作ることも増えて。
のろけか!!!

といったこともあり、今回一緒に立ち上げようって方向になってます。
宣言か!!!

とにかく森山の、歌声、ことば、メロディーどれを取っても
いまだ素晴らしいので、そしてこれから年相応に良い変化をするだろうから
僕としては、彼の音楽はもっと多くの人に聴いてもらいたいし、
もっと一緒に音楽を作りたくてしょうがない。

なによりも僕にはない、人が集まる人間力というか、
人を許せる空気みたいなものが羨ましいのであります。

Zelig works という名称も 森山命名です。
意固地にならない自戒がふくまれていて、
とても気に入ってます。

東京(川崎だけど)、大阪(東成区だけど)からの
2方向で動ける自由さと可能性も僕ら自身が楽しみにしてます。

彼はやはりシンガーソングライターだし、
こうやって文章で多くは語らないでしょうから、
今日は僕から見た、森山をとりあえず、ざっくり語らせていただきました。

https://www.youtube.com/channel/UCmSB6WkX9mMg9-eNmSyq_4w

いつも、、、サンキュ
90年代か!!!!

では、みなさま良い週末を。
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2016年06月21日(火) 21時00分03秒

僕の事。2 


テーマ:ブログ
こんばんわ。
昨日、長々と書いたのですが、思いの外自己顕示欲が強くてまだ続きます。
ちょっと海外の自己啓発セミナーで自分の事語るみたいなアレになってますが、
今の僕には必要みたいです。どうかお付き合いください。
暗い話とか、トラウマは全然ないので!

今日は僕の音楽履歴を語らせてください。
僕が今やりたいことを説明するに必要だと感じたので。
ほんと長いけど、5歳から20歳まで書いちゃうので。
もうこの際諦めて、いまだけ俺の事みてちょ。

母親がピアノやってたんです。
父親がギターとかベース弾いてました。
小さい頃に、うちで母がピアノ教室始めました。
いきなり脱線するけど、子供ってみんな間違うところ一緒で。
ピアノとふすまで挟んだ部屋で静かにお絵描きしながら、
必ず間違える場所が来るたびに緊張して待つと、やっぱり間違えるわけ。
もうイライラするわけですよ。なんで練習してこないんだよ!って。
脱線脱線。

たぶん、母が一緒に演奏したかったんだと推測してますが、
5歳の時にバイオリンを勧められて始めたんです。
僕もよくわかってないけど、始めました。
スズキメソードの品川支部。戸越3丁目の教室です。

当時の演奏、聞いてないからどのぐらいできたかは定かじゃないけど、
(カセットどっかにあるんだよなぁ、、、、)
母もそれなりにスパルタで、出かける時にカセット録音されてたりして
いやいややってました。こわい先生も苦手で。
ぼく、さっきあんな事書いといて、練習が好きじゃなかったです、エヘ。
効率の良い練習とかは考えるんですが。
プレイヤー向きじゃないんですね、もともと。

そこそこやってましたが、大会みたいのですごい人みちゃうと、
もう、少し心折れましたね。 あ、ぼく天才じゃないな、って。
でスズキメソード7巻の途中までやって、やめました。
それからしばらくやめてたんだけど、地元にすんでる先生に個人で習いだしたんです。
小6の時。 すごく良い先生でぼくのダメなとこわかってて、
うまくしかってくれるんだけど、教則本がバルトークとかになって、
もっとつまらないの。メロディとかよくわかんなくて。
でも、やめても特技がなくなっちゃうのが嫌で。
体小さいし、ケンカ弱いし。
中学入ったらブラスバンドやりたいなて思ってました。

で、中学生になったんです。
ブラスバンド部覗きに行こうとしたんですが、
最初の音楽の授業で、先生がすごく苦手だという事に気づいてしまいました。
あと、ずっと音楽やってきて、これから始める人と一緒にやる事に抵抗がありました。
そう、プライドだけの塊です。やなやつです。

というわけで、学校内のブラスはあきらめて、
学校の外で、アマチュアの品川区民オーケストラに入って、
バイオリンをなんとなく続けました。
お姉さん達が優しくしてくれて~~~
許してくれるっていいね!
オーケストラを経験できたのはやはり今に生きてると思います。
この頃には練習したくない代わりに、
テレビつけたりレコードかけながら
きこえてくるものをマネして弾く癖がつきました。
歌謡曲、アニソンでメロディ以外のなってる楽器を
コピーする事が楽しくてしょうがなかったです。
この時に和声とかやっておくべきだったんでしょうが後の祭りw
とにかく全て単音で物事を捉えつつ、フレーズ解析してました。
オーケストラだから、全部が一人一人のメロディって捉え方だったんですよね。

そうこうしているうちに、
うちには父のベースとギターが置いてあります。
ドラムセットもあったんです(うるさいからたたいちゃいけないw)
で、バイオリンじゃないものも弾いてみたくなってきて。
あ、ピアノはダメです。弾くと絶対母とケンカになっちゃうんです。
もうピアノはほんと苦手意識がいまだ抜けませんw
で、ベースなんてバイオリンに似てるから弾けると思って。
案の定、右手の指の豆ができたぐらいで、まぁまぁ弾けました。
ドラムもやりたくて、椅子を叩いて練習してました。
この頃、オタク全盛期だったので、当時のアニソンで練習しました。
速い8ビートなら、マスクマンのエンディングです。「愛のソルジャー」。
バンドブームでしたけど、あまり 聞かなかったです。かっこいいのが別世界に思えて。
あ、なにより一番の衝撃は PRINCESS PRINCESS  で、これはほんと驚いて
必死で練習しましたが、全然同じにならなくて、ギターとか
カセットに同時で録音するんだけど同じこと弾いてるのに全然違くて。
音符をコピーできてれば良いわけじゃないんだということが
エレキでもよくわかってきた頃です。
徐々にバイオリンは弾かなくなりました。

高校生になりました。 駒込にある 聖学院という高校です。
すこし地元から離れたかったんです。
バンドがやりたくてすぐに色々声かけて始めました。
やはりドラム叩けるのは重宝されて、ドラムやることが増えて
だんだん夢中になりました。
Zeppelin から洋楽に入って、ヘヴィメタが好きになっていって、
そういうバンドをやることが増えました。
初めてツインペダルを買った日は嬉しかった。。。。

その頃、学内で出会いがありました。
小松亮太 という男です。
背格好がぼくに似ていて、バンドメンバーを探してるといいます。
彼は、バンドネオンという楽器をやっていて
タンゴという音楽をやっているそうです。
は?たんごぉ~、、、って感じです。
黒猫? あばれはっちゃく????
です。
なんにせよ譜面が読めて楽器が弾けるということで
さそわれました。
最初バイオリンを頼まれましたが、無理。
やってみたけど全然無理、弾けない。ってことで
エレキでよければベースを弾くよってことで、
小松くんのタンゴバンドを手伝うことになりました。
彼は中2からバンドネオンはじめて、同年代とバンドを
やったことがないということで気合入っていて、
夏休みは泊りがけで練習したり、ずいぶんぼくは鍛えられました。
小松の父上、勝さんや亡くなられた松永孝義さんの演奏を参考にさせていただいて。
今ぼくがあるのは、間違いなく小松くんのおかげでもあります。
高校2年生ではじめて、旅にも出て、演奏でお金をもらうことができたときは
すごい大人な世界だ!と内心感動しました。

こうして高校の時は、ヘヴィメタバンド、タンゴバンド、
あとエースをねらえに感化されてテニス部にいました。
男子校ですが。
まぁでも基本だらだらしてました。

そのうち高2の冬にもなると進路を選ぶ時がきます。
タンゴ本気でやるために、ウッドベース始めるのもいいな、とか
甘い考えもありましたが、ドラムが好きでした。
しかしそこはプライドの塊。
どうせなら、音大ぐらい行かねばと思ったのです。
ちなみに、ぼくでかい音で叩くことしか考えてなくて、
二つ打ちもしりませんでした。。。。
ゴーストノートなんて俺にはリアルゴーストです。
まったくいい気なものです。
ココだ!ってとこに、2と4が入ればいいとしか考えてなかった。
ひどい落差です。

で、学校の先生から音大の打楽器科でた方を紹介していただき、
はじめて打楽器の練習を始めました。
いやね、座って叩くと思ったものを立って、しかも足使わないで手だけで演奏とかマジ無理。
全然リズム取れないの。なにより手が動かないし。下手すぎて。
で練習きらいじゃないですか。
まぁ、上達しなくてね。

浪人しましたよ。。。。
お父さんお母さん、ほんとにすみませんでした。

で、浪人中とかも、みんな凄まじいの。
あ、ちなみに打楽器は楽器の特性上なのか
集団レッスンすることもよくあって、
だいたい受験生みんな顔馴染みになるの。
で火花ちらしてみんなすごい形相で練習してて。

あ、こりゃぁダメだ、と思っちゃった。
もう気持ち負けちゃって。

で、結局浪人中もダラダラして、
最後に洗足学園の当時まだあった短期大学部の打楽器科に滑り止めで入学しましてね。
これ、言っちゃうけど、24人受験して24人合格ですよw
ほんと助かりました。前田さんありがとう僕に居場所をくれて。
で、大学中覚えたことは、、、
酒。
酒ばっか飲んでた。。。
練習、、、あまりしなかった。。。
けど、いろんな楽器みれたのは確かに良かった。
副科で声楽やれたのも良かった。
まぁ一応、2年いたから少しはドラム上手くなったけど。

この時に、今もラクライ一緒にやってる赤間慎に出会って。
もうガツーン!てやられちゃったの。
自分が絶対できないドラム叩いてる!って。
で、あぁドラムもダメだなって、すぐぼんやり思いながら
酒ばっかり呑んでました。
人と比べるのは意味がない!って言える人になりたいです。。。
そうこうして2年が経って、4年制に編入って話もあったんだけど、、、
まだまだ逃げたい僕は、留学でもしようかなって(誰の金だよ!まったく)。
ほんでもって2年で卒業することにしたんです。
この時まもなく21歳。
僕に転機が訪れます。

長い!!!
ここまで書いて僕はスッキリしましたが、
そのあと色々あって今の仕事について
あっという間の20年です。
この続きは知りたい人がいれば、、、、

とりあえず、僕はこうやって音楽を続けてきました。
おおよそほとんど逃げ道だった気もしますが、音楽しかやってないっちゃぁやってない。
悪い事もできないし、遊びにもいかないし、女の子は緊張しちゃうし、喧嘩なぞももってのほかだし、勉強も好きじゃないし。


音楽で生きていける場所に置かせてもらい20年経って
色々覚えて、できる事も仲間もふえてきて。
ここにきてようやく、逃げなくても楽しんで向き合える気がしてきたので、

ようやく重い腰が上がったというわけです。


若いうちに作る音楽だけがポップスじゃない。
経験や技術は、音楽の感情を失う事じゃぁない。
ただ瞬間で消費されるようなものではなく、
リスナーの年齢の変化とともに出会える音楽は増やせないか。
せっかくの定額制やYouTubeでこんなにたくさんの音楽が選べるなら、
そういう音楽の楽しみをもっと生活の近くにそっと置けないか。
僕らはそういう音楽を提供、紹介できないだろうか、、、、
Zelig works で僕がやりたい事です。

その為の、プロデュース、アレンジ、マニピュレートをしたい。

本当に長くなりましたが、まだ具体的になにができるかも
明確ではありません。

ただ居心地の良いコミュニティーになれば、とは思うのです。

皆様の意見なども伺いつつ、
まずは、いま製作中のアーティスト、プレイリストを
9月にお届けいたします。

今日は、ただ僕の自己発見に付き合ってもらうだけの長文になってしまいました。
最後まで、読んでくれてありがとうございます。

Zelig works 毛利泰士
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2016年06月20日(月) 22時38分46秒

僕のこと。

テーマ:ブログ
Zelig works という名で、森山公一とレーベルのようなものを
立ち上げることにしました。
Zelig worksの活動内容はおいおい詳しく書かせていただくとして、
きょうは、僕のことを書いてみようと思います。
長文乱文ですが、興味あれば読んでみてください。

ありがたいことに音楽を仕事にさせていただいて、20年すぎました。
シンセプログラマーからスタートして、いまはマニピュレーターとして
活動していることが多いです。
浮き沈みはありますが、とりあえずこの形で生活できてます。

いつも、どうしてこうなったのか不思議に思います。
向いているんだろうな、と前向きにとらえてますがw
恥ずかしい話で、シンセもコンピューターも21歳のときに
楽器運びにいったスタジオではじめて見て、それが縁になり
実はあまり知らないまま、仕事をさせていただいてました。

その時は、Macとシンセさえあれば自分でいくらでもパートを重ねて
音楽を作れるんだ! と興奮していたのです。
編曲が小さな頃から好きでした。
そう、要は音楽が作りたかったんです。

マニピュレーターとしてそこそこ働かせていただいて、
ある時から、職人としての気構えを意識するようになりました。
大事なことなんですが、思い込みが強い僕は
そっちの目線みたいなことにとらわれ、
あまり音楽を作らなくなっていたような気がします。

いつでも作れるし、いい機材はたくさんあるのに、です。
もったいねぇな! ほんと。 贅沢病かよ。

気がつけば、レコーディングの仕事はほぼなくなり、
ライブとその準備に手一杯な生活をつづけてました。
その頃からか、居場所はココじゃないなぁ、、、って思うようになってました。
全くまだ中学生ですか? 14歳のまま、15の夜にもたどりつけません。
もうバイクは盗めません。そもそも悪いことする勇気ないです。
ていうか、ライブの仕事も好きです。
場所のせいにしちゃぁいけません。
だいたい居場所はそこです。

なにかやってないとおかしくなるので、
ラクライというバンドをやったり、
友達とライブやったりしてもやもやしてたんです。
誰でもよかった、、、好きにライブができれば。。。
(嘘ですみんなとやりたかった!!!この活動も楽しいです)

そんな中、森山公一がたまに編曲を誘ってくれたり、
しまいにゃあ、彼のアルバムをプロデュースしてくれ、というのです。
いや、ほんとありがたいですよ。

で、ちょうどその頃、うちマンションなんですけど、
ぼく家でコーラス録ってたんです(結構歌うんですよこれでも)。
そしたら10年すぎた分譲にもかかわらず大苦情もらっちゃいましてね、
いや申し訳ないやら恥ずかしいやらで。(高音でハァ~~って言ってたし)
で、一度苦情なんてもらっちゃったら、もうでかい音出せないじゃないですか?
アダルトビデオ見る時みたいにテレビに布団被せてって訳にもいきませんしね。。

でね、仕方なしに防音しようと思ったんです。
マニピュレーターの仕事も自宅ででかい音出せないと
正直厳しいご時世でして。
でプラン考えてる時に、「仕方なしに防音」って嫌だなって。
どうせならできないことができるようになりたいなって。。
ぼく、打楽器叩けるんだから録れるようにしたいなって。。。
スタジオほしいなって! 
なってなってなって。。。。(エコー)

てことで、自宅改装してスタジオにしちゃいました。
工事中とか木屑がすごいの、犬なんてストレスで腰やっちゃうし。
もうほんとやになっちゃう!
ここだけの話、寝るところ無くなっちゃって、リビングで寝てますのよ。
リビングオンプレイヤーですわよ。
3年目のリビングオン、、、もういいですね。

でもそのおかげで、1年かけて森山のアルバムを作りながら
自分のスタジオで色々実験できて、音楽作れて、幸せだったんです。
あ、自分ってこういう音楽だったのかって発見もあったりして。
ぜひ 聞いてよ、 森山公一 「Record!」
You tube で大半きけるから。

でね、そんなこんなで、マニピュレーターもやらせてもらいながら
音楽作る生活も根付いてきたんですが、
自分が好きな編曲して(もちろんアーティスト最優先でよ)
最近こんなのやってます!ったって、そう都合よくいかないじゃないですか。
で、ぼく徐々にこういうことをやってますって、ちゃんと言いたくなってきたんですよ。
プロデュース、編曲してます。いや、もっとしたいです! って。

で、厄年とか経由しながら、ふと気がついたの。

やればいいじゃん。

って。
やりたい事やらないとじゃん。
当たり前だけど、気が付かなかったんですよ。

で、森山に相談して Zelig works 立ち上げようと。

ずっとオフィスインテンツィオに守られながらやってきたけど、
実家の近所で同棲ぐらいの感じで、なにかやってみてもいいじゃん、
的な。

そういう心境なのです。

長くてすみません。
でも、これでもまだ説明が足りないんです。
だから、明日も書きます。

今日はこの辺で勘弁しといてやる。
覚えといてね!


Zelig works 毛利泰士




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