みなさま、おはようございます。
彫刻工房くさか日下育子です。
本日は素敵な作家をご紹介いたします。
彫刻家で、宮城県美術館創作室教育普及学芸員の
斎正弘さんです。
斎正弘さん
(”パラサイト”という名前のカッコイイメガネをご愛用です。)
前回の白川美紀さんからのご紹介です。
斎正弘さん 第5回『抽象絵画の始まり』
斎さんは、今回、抽象絵画のはじまりについて宮城県美術館が最も力を入れて
コレクションしてきた20世記初頭の画家ワシリー・カンディンスキーをあげて
お話してくださいました。
また、そのことから『人間はみんな違っていて、同じ人間』ということにお話が展開していきました。
それから、読者のみなさまへ。
斎さんのお話は、直接お聴きすると、感動で、目からウロコがボロボロ落ちます!
けれども、私がそれを文章でお伝えしようとすると凄く難しいのです。
私自身、とってももどかしいのですが斎さんから直接お話をお聴きしたら、100倍面白い!
と思ってお読みいただけましたら、とっても嬉しいです。
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日下
斎正弘さんのブログにあった文章で、
※『作る人も含め、ほとんどの人にとって美術はほぼ「見る」ことだけだ。「私(個人)が見る」ことにこだわったとき、美術はどのように使えるのか。その実践的使い方(類型=公共的ではなく)の点検を通して、20世紀的な概念では見つけにくかった基本になる美術概念の気付き/見つけ方を考える講義。』というものがありますが。
※斎正弘さんが現在、行っている美術探検―実践余話 の内容です。このブログの
一番最後に案内を掲載しました。
斎正弘さん
それは日本ではと言った方がいいと思う。日本ではもともと、絵は日本画だから。
日本がイメージしている美術と西洋人がイメージしているアートというものはどうも違うんじゃないかという気がしていて。
絵を描く時って、モノを見て描かないでしょ。見てると描けないじゃない。だから描く時、紙見て描くじゃない?で、紙見て絵が描けるというのは何を見ているかというと、何を見ていると思う?
日下
頭の中。
斎正弘さん
そうですね。だから絵って、頭の中を見ているんですよ。
これは小学校6年間で図工をやっている間は、頭の中っていうのはまだビデオテープ1本 なんだよね。だからファイルされていなくて、頭の中に見えているのは最後のところだけだから、何回も同じことしても大丈夫なのね。
だけど中学に入って来ると例えば、多重化してくるんですよ。例えばお茶碗とか時計とか。時計っていうと何思い出す?
日下
時計ですか?
斎正弘さん
ほら、この段階でもう違うでしょ。人の頭の中って見られないので。段々分かってくるんだけど、普段ボーっとしてるときって、大人になると『憎しみ』って
どんな感じ?『愛する』では何が見える?とかってなってきて、実は、『頭のなかってグチャグチャなんだよね。』というのが分かって言えるようになったわけよ。
20世紀になって初めて。
それまではそんなこと言えなかったわけです。そんなことを言うと『おまえは魔女だ!』なんて言われて火あぶりにされていたわけです。
日下
そうだったんですか。魔女が火あぶりにされるってそういうことだったんですね。(驚)
斎正弘さん
昔は神様がちゃんといらして世界が完成しているので、全部理論があってピチッとして、モノには全て理由があるなんていって、その頃はまだ『頭の中はグチャグチャなんだよね』なんて、あまり分かっていなかったんです。
でも神様がいなくなってから、光は曲がっているとか言う人が出てきて『エーッ!?』って混乱してきたでしょ。だから物理も混乱しているでしょ。
で、絵って頭の中を描くってわかっていたので、私達は抽象画を描けるように
なったわけよ。これまで無いんだからね、抽象画って。一個も。こんなにあるのに
一個も無いんだよ、抽象画って。模様はあるけど。『すごいよなッ。』っていうのが20世紀なわけです。
そういうことがあり、カンディンスキーという人が初めて抽象画というのを描いてくれたから、『頭のなかってグチャグチャなんだよね。』というのが分かってきた。
美術と言うのは頭の中を描く練習というところがあって。カンディンスキー自身も、初めて描いた時は、『見た通り描いたらグチャグチャになった・・・!』と思ってしまったのよ。
日下
ええ、ええ。
斎正弘さん
カンディンスキーも、『これ絶対に先生クビになるな』と思っていたのよ。でも思い切って描いて出してみたら、見てる人達が『ひえーっ!』とか言って、『やべぇ、カンディンスキー、お前もこう見えてたの?』っていうのがあって。
普通の人は、作家が描いて見せてくれないとわからないのよ。作ってくれるから初めて見えるのよ。その人の頭の中が。それまではそんなことを言うと罰が当たるとか、口が溶けるとか言われていたわけよ。
日下
口が溶ける、ですか。(笑)
斎正弘さん
そう。でもね、言っても大丈夫だったわけよ。そして、それこそ真実だなんてなってしまったから、みんなすごい慌てたのよ。
・・・というような、こういう言い方で理解していくあたりが美術館での美術の普及なの。
日下
あぁ~、とっても引き込まれます。斎さんのお話は分かりやすくて、とっても面白いです。
斎正弘さん
そういうことをカンディンスキーって1911だか14年に発明したのよ。抽象画を。
今なんと2012年になってしまったじゃない。今誰かカンディンスキーみたいなそういう奴いるか?そういう奴って出たときは、みんな相当動揺したんだよ。でもそのときは分からないんだろうな。『いや、俺もさ・・・。』という人がその後も何人かはいたのよ。でもみんないまだに具象をやっているんだからな~。
でも私たちは常に20世紀のカンディンスキーみたいな、価値観というか、概念の転換みたいなものについては注意深く見ていて、注意深く見るほどがっかりするけれどな、最近。何かいろんな場面でがっかりすることが多いけど。
日下
はい、そうですね・・・。
「 時空船―トブ-カゲ 」
「時空(トキ)のかなたをすぎる箱船(フネ)?ツレ-モク 」
個展 復脚類収集癖会場風景
斎正弘さん
だから美術館でデイビット・ナッシュとか、日本の有名な作家とか、優秀な作家の手伝いをさせてもらっていると、美術って、新しい概念を作って行くというのが仕事なので、みんな同じ言葉を使ってはいるけど説明しにくいのよね、相手には。
つまり『みんな同じ言葉を使ってはいるけど』というときの、その言葉の概念が日下さんと僕とでは違うのよ。
日下
えっ!?えーと、どういうことでしょう?
斎正弘さん
僕は”みんな違う”と思って『みんな同じ』だと思ってるけど、あなたは”みんな同じ”だと思って『みんな同じ』だと思ってるでしょ?
日下
ええと・・・??
斎正弘さん
僕は”みんな違う”ということが『みんな同じ人間』だと思ってる。だから違う事をやったり、変なことを言って来たりする子どもたちに『おお、そうか。』って言えるのよ。
学校の先生は変なことを言ってくると『何言ってるんだ、正弘。お前そんなこと言ってるから駄目なんだ。』ってなってしまう。でも僕は、私たちはみんな人間だから、みんな違っていて、みんな同じ人間だと思っているので『何だ、正弘、みんなと同じじゃないか』と言ってしまう。でもそうすると子どもも『日下が変なこと言っている。あいつが人間だ』って言うわけよ。そうすると誰もいじめようが無いじゃない。
というような、物凄く基本的な深い所にかかわるのが美術の仕事なのね。そういうことを出来るだけ一般化したいというのはあります。さまざまな活動の中で。
日下
なるほど~。深いですね。
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今回、抽象絵画のはじまりの話が、とっても目からウロコでした。
カンディンスキーの抽象画のように表現を通して、人間同士の共通するところを
見つけたり、違っていても当たり前と認めたり、その発見の作業に美術が関わって
いるのだと改めて教えて頂きました。
『美術って、新しい概念を作って行くというのが仕事』
『物凄く基本的な深い所にかかわるのが美術の仕事』
ということをズシッと受け止めました。
斎さん、ありがとうございます。目からウロコのインタビューはまだまだ続きます。
どうぞお楽しみに。
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◆斎正弘さんのブログ
◆斎正弘さんがかつて主に子どもとの向き合い方を書いたエッセイ
仙台の情報誌に毎月1回、10年掲載されたもののWEB版です。
おとうさんのひとりごと on the web
◆斎正弘さん執筆で、河北新聞夕刊に掲載されたコラムのWEB版
美術、ほんとのところ
◆斎正弘さんの本
『大きな羊の見つけかた』 仙台文庫 987円
仙台文庫
◆斎正弘さんのお話が直接お聴きできる催しです。
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