N.W.A. ストレート・アウタ・コンプトン Pt.2 | Minako Ikeshiro' s Tokyo Journal

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音楽ライター、池城美菜子のblog。2016年8月19日に『ニューヨーク・フーディー〜マンハッタン&ブルックリン・レストラン・ガイド』を出しました。

(こちらはPt.2です。私が考えるヒットの理由を書いたPt.1はこちらです

 N.W.A.は暴力に満ちた現実を、暴力的な言葉で伝えました。「ギャングスタ・ラップ」の祖と言われていますが、映画中でのアイス・キューブの言葉を借りれば、「リアリティ・ラップ」の祖でもあります。「ひどい言葉を使って、ひどいことを言うな」と批判する恵まれた人たちと、「いや、曲の中身より現実の方がもっとひどいから」と応戦するアーティストのギャップを映像で見せたのが、この『ストレート・アウタ・コンプトン』とも言えます。



 オープニングの週で興行成績1位を記録した直後、ジャーナリストのディー・バーンズが有力ブログサイト、Gawkerに「映画ストレート・アウタ・コンプトンで描かれていないこと」というタイトルで、ドクター・ドレーに殴られた件について手記を載せました。これが、さすがプロが書いた、ドラマティックかつ説得力のある文章で、派手に波紋を呼びました。彼女は元々N.W.A.のメンバーと近く、人気番組“Pump Up”のホストを務めた際にアイス・キューブがN.W.A.を口撃するのに加担した、と取られて、クラブでドレーと言い合いになり、手を上げられたそうです。ほかにも、元カノのR&BシンガーもDVを受けていたそうで、ドレーはビジネス・パートナーのアップルと共同で、謝罪の文章を発表しました。

 うーん。N.W.A.~デス・ロウ時代は、ドクター・ドレーも怖かったこと、みんな忘れているか、新しいファンは知らないのかな、と思いました。このディーンさんはドレー版『Behind The Music』にも出ていました。そこでドレーは「言っていることは大げさだけれど、事実だし後悔している」と言っていて、裁判も示談で終わっています。男性が女性に暴力をふるうのは、最低です。それは、絶対にそう。でも、彼女の文章は「私はもっと有名になるべき人間だった」というエゴが行間に滲み出ていて、鵜呑みにできない。映画でも、シュグ・ナイトが怖過ぎて目立たないものの、ドレー役もいいペースで、人をバンバン殴っています。彼女が書くように「いい人ぶっている」とは思わないし、ヒップホップのリリックが内包する女性蔑視の問題を、N.W.A.だけに原因を求めるのも、違うでしょう。

 ディーンさんは、「黒人の男性は、社会で暴力にさらされて、その鬱憤で黒人女性に対して暴力を振るう」とも書いていて、鋭利です。手を上げられた当人が恨んでいるのは仕方ないでしょうが、それに張り切って乗っかっている人たちは、私の目にはどうしても憂さ晴らしに映ります。ほかに、怒りを抱えているのかな、という。Facebookで「女性蔑視の映画なのね。観なくていいかも」と書き込む黒人女性の友だちは多いし、ワシントン・ポストやヒップホップ・サイトとして大きいOK Playerまで「ドレーはひどい、映画は真実を伝えていない」と書き立てているのは、2015年にこの映画がヒットしているそもそもの理由、「黒人男性に対する偏見」を結果的に助長していて、そちらの方が負のループだと思ってしまう。ドレーでも、ジェイ・Zでも、黒人男性が社会的に大成功すると、ほかの人種よりひどく反発され、足を引っ張られます。

 N.W.A.は、ドレーの天才的な音楽センスと、アイス・キューブの巧みに言葉を操る才能、そしてイージー・Eのカリスマ性が合体した奇跡のグループです。ドレーもアイス・キューブも、なんどかすべてを投げ出して人生をリセットし、その度にさらに大きな成果を出して来ました。アイス・キューブはすっかりハリウッドの重要プレーヤーだし、ドレーはAppleのビジネス・パートナーです。映画を見ながら、タイミングや運、才能ももちろん必要だけれど、それ以上に上に行く人は、誰を信用するか、誰に手の内を見せるべきかを、痛い思いをしながら学ぶんだなぁ、とも思いました。

 『ストレート・アウタ・コンプトン』は2時間弱で、様々な教訓を、刺激的な方法でガンガン放り込んでくる優れた映画です。

 日本での公開を、切に願います。