ゆづが亡くなってから、1年1ヶ月が経過。
1年たってようやく、前向きに ゆづの死を受け止められるように
なりました。
わたしのなかの時間も、流れはじめるようになりました。
事実は受け止めていたけれど・・・ これまでは悲痛な思いと共にあった。
1年1ヶ月がたったけど、わたしのなかの感覚は、ゆづを失ってまだ
3~4ヶ月くらい、またはもっと長く、1年以上が経っているような気もしている。
もうすぐ夏休みが終わろうとしています。
今年の夏休みは、これまで、長男にかまってやれなかった分、
たくさん予定をいれました。
「ゆづがいない」という1点において、恐ろしいほど、生活はふつうで、何事もなく。
あれほど、濃密にかかわっていた医療も、関わることは全くなく。
上達したママの手技をふるう場所も、その必要自体も、なくなり。
家族はみな、健康で。
とくに長男は、健康優良児で。
もう、子供の体調にハラハラする必要も、ない。
将来をびくびくすることも、ない。
ただ、わたしの中で、「ゆづがいない」、という1点においてだけ。
ゆづがいたころ、私にとってブログは、良い吐き出し場所だった。
ゆづがいなくなり、いまは、ブログを続けるエネルギーもしぼんでしまった
けれど、せっかく、ゆづがちいさかった頃から、つづけてきて、
尻切れトンボで終わったままにするのも、なんだかね。
せっかくだから、ゆづが亡くなったときの状況とか、
いろんなこと、書いておこうとおもう。
ゆづが亡くなった日のこと、父が亡くなるときのこと。
いままで恐れていたものが、実際にやってきて、
私の中で、怖がっていたトラウマが、何もかも吹き飛んでしまった。
読んでくださるかたには、「今さら」 感はあるかもしれないけど、
ミラネーゼにとっては、あの日を境に時間も止まっていたので、
本当は、いろいろな思いを、ブログに即、実況中継してたら
よかったかもしれないけど、とてもそういう気になれなかったから、
その「今さら」 を、すこしずつ書いてみようとおもいます。
たいして明るくもない話だけど、おつきあいいただけたら、うれしいです(^^)
ところで、ときどきアメンバーの申請を頂くことがあり、非常にうれしいのですが、
ブログをされておらず、どんな方か全く不明の人からの申請は、
申し訳ないですが、OKしないことにしています。
世知辛いネット社会という事情もありますので、
事前に、メッセージなどいただければと思っています。
どうぞ、ご理解をいただけたらとおもいます。
こんなこと言いたくないのですが、(以下↓白抜きで記載します)
以前、勝手な不正なログインをされて、迷惑をこうむりました。
(ゆづちゃんが、いたころの話です)
世の中みんながいい人で、良識あるなら、いいのにねっ (笑)