石の上にも三年、五年目ともなれば。。。 | 覚え書きあれこれ

覚え書きあれこれ

記憶力が低下する今日この頃、覚え書きみたいなものを綴っておかないと...




いきなり変なタイトルですみません。


これは私が前の記事を書きつつ、思ったことなのですが、四大陸選手権でのキスクラにおける羽生選手とコーチのブライアン・オーサーさんとの様子を見ていて、つくづく


「5年目だもんなあ。。。」



と、感慨深く思ったのが始まりでした。


2012年の世界選手権で羽生結弦選手が衝撃の銅メダル獲得劇を演じた後、間もなくこれまた衝撃的なクリケットクラブへの移籍が報じられました。

私は当時、なんとなく彼が外国に練習拠点を置くのではないか、と思っていたので(何の根拠もない予感でしたが)このニュースに狂喜乱舞したのを憶えています。

その後、誰もが知っている羽生選手の快進撃。私は特に羽生選手のソチ五輪の優勝後、彼の後に続いて日本からどんどん、選手が海外のクラブに出向くのではないかと思っていたのですが、その予想は今のところ、見事に外れています。


もちろん、振付や短期の合宿のために北米やヨーロッパに赴くスケーターたちはいます。

そしてアイスダンスやペアなど、日本ではあまり力の入れられていない競技に関してはアメリカで練習している選手もいるようです。


しかし羽生選手のように拠点そのものを日本の外に置き、専属のコーチが日本人ではない、という例はない、ですよね?

(過去には本田武史さんや織田信成さんも一時期、カナダにいたことは知っていますが)


これは何故なのでしょうか。


まあそこんとこも掘り下げてみれば面白いのでしょうが、まずは羽生選手にとってのカナダ滞在の影響について私の想像力を働かせてみたいと思います。


羽生選手がクリケット・クラブで練習するようになったのは彼がまだ17歳の時でした。それからほぼ5年が経ち、彼は現時点から言うと人生の2割余りを日本とカナダを行ったり来たりするような生活をしてきたことになります。


自分の生まれ育った国、親も生まれ育った国、を離れて別の国で長期間(=これは後で述べますが、私の持論では最低三年間)暮らす経験はどんな人間にも影響を及ぼします。


これは単に物理的な環境が違うから、ということも作用しますが(これについてもまた後ほど)、何よりも文化的な環境が激変して、自分が慣れ親しんだ文化と新しい文化との狭間で良い意味でも、しんどい意味でも「ショック」を受けるからです。


これが「カルチャー・ショック」というやつですね。


一般的にカルチャー・ショックには幾つかのステージ(時期・段階)があると言われています。

たいていは最初、新しい文化環境に遭遇した場合、何もかもが新鮮でワクワクする時期があります(ハネムーン期、とも言う)。

そこからしばらくすると、どうもおかしい、どうも自分が思っていたほどには物事がスムーズに進まない、とフラストレーションを覚える時期。

そして解決の糸口が見つからなかったりすると怒ったり、鬱になったりする時期。

やがてあきらめとも悟りの境地とも言える時期が来たり、

全てが吹っ切れて統合される時期が来たり


最終的には良い面も、自分には合わない面も、全てひっくるめて淡々と受け入れられるようになる時期に到達する。


皆が皆、同じように全ての時期を同じ順番に通り抜けるわけではないし、一つの時期がやたら長かったり短かったり、あるいは全く見られなかったりすることにも個人差があるのですが、私自身の経験上、一巡するまでに最低三年はかかると思っています。


石の上にも三年、とはよく言ったものです。


そこからすると、海外で暮らして一番もったいないのは(あるいは困るのは)二年ほどで自国に戻ってしまうケースです。

最初のハネムーン期から抜け出さずに帰って来た人は、やたら行った先の国に「かぶれて」何でもかんでもあっちの方が良かった、と言う

反対にちょうどフラストレーション期にさしかかって、挫折して帰ってきてしまうと行っていた国の悪口ばかり言う


どちらもバランスが取れていない状態なのが残念です。


というわけで、羽生選手は三年どころか五年が経過して、おそらく今は色々なことが落ち着いてきている時期ではないかと推測しています。


ただでさえ過酷な競技の世界で想像を絶するようなストレスを感じていたであろうに、その上に異文化環境に身を置き、様々な葛藤に立ち向かわなければならない時期もあったことでしょう。


このようなダブルの負荷に耐えられる選手はそうそういない。


しかし彼はそれを貫き、五年が経った。


その甲斐あって今や、彼にとって日本とカナダという二つの拠点を持っていることは大きな武器となっているのではないかという気がします。


物理的に何千キロも離れているという事実は心理的にも作用し、人や物事から距離を保つ助けになります。日本とカナダは確かに同じ地球に同じ時代に実在しているのだと分かっていても、まるでパラレル・ワールドの様にお互いが遠く感じられる時があります。しかしだからこそ、同じ物事を見ていても全く違う観点からとらえることができたり、解放感を味わうことがあります。

実際、私なども日本でくよくよ考えるばかりでちっとも改善しない、と思っていたことがカナダに戻ったとたん、嘘のように目の前が開け、解決策が見つかることが多いです。

羽生選手の試合中あるいは試合後の頭の切り替えの速さ、潔さなどは、度重なる国際移動によってよりいっそう鍛えられたものではないかと私は考えています。(まあこれはちょっと飛躍しすぎかも知れませんが)


また、羽生選手の場合はもっと実質的に、日本では外も歩けないほど有名になってしまったので、カナダでの生活でホッとすることもあるかな?(それもだんだん、難しくなっているとも聞きますが。。。)


何はともあれ、羽生選手が五年間に渡ってクリケット・クラブの一員としてやって来たことは今こそ、ソチ五輪の時にも増して、威力を発揮するのだと私は確信しています。