先月のプリンスの急逝のニュースを受けて、改めて有名人と我々一般人との「関わり方」、あるいは「接点の持ち方(あり方)」について考えさせられたのですが、うまく自分の考えを表現する自信がまだありません。
でもやっぱり書きたいテーマではあるので、とりあえずトライしてみようかな、という思いでこの記事をアップします 。
プリンスが亡くなった時、彼に関して、最近のものだけではなく時代を遡って様々な記事を検索して読みました。高校や大学に通っていた頃のことを思い出すと私の周りに はいつもロック音楽が鳴っていたという印象なのですが、当然、プリンスの曲もよく流れていました。
しかしプリンス本人に関してはあまり興味がなかったらし く、このたび調べてみるまではほとんど彼がどういう人物だったのかは知りませんでした。しかも1980年代の大ヒットアルバム「1999」や「パープル・ レイン」などを発表した時代以外、全く彼の音楽についても認識がなかったことに気づきました。
そしてちょっと妙な言い方になるのですが、
「へー、プリンスにもプリンスなりの人生があったんだ」
という結論に達したのでした。
つまり私にとって、プリンスはほんの数年の間しか存在しなかったのに、当然のことながらその前にもその後にも彼は実在していて、私の計り知れないところで年月を重ねていたんだな、というごく基本的なことに気づかされたわけです。
でもこれはプリンスが私のロック・ワールドにおいてさほど中心的な座を占めていなかったからではなく、
たとえば私が11歳の時に初めて真剣に好きになったミュージシャンで、今でも彼らの曲の歌詞はすべて暗記しているビートルズにしても、
中学時代ほぼ毎月、ファンレターを送っていたKISSのポール・スタンレーにしても、
はたまた高校三年生の時に恋い焦がれたTOTOのスティーブ・ポーカロにしても、
多少長い期間、私の生活の一部であっただけで、いつの間にか忘れて他のこと、他の有名人に夢中になっているのです。
そしてある日突然、何らかの形でニュースになった時にだけ改めて思い出したり、
自分のことは棚に上げて現在の姿にちょっとびっくりしたり。
さらに驚くのは自分があれだけ情報を集めて、穴が開くほど資料を読み込んで、生い立ちから子供時代を経て、バンドの結成の経緯から解散の原因まで、かなり詳しく把握していたと思っていたことが、実は彼らの口から述懐される実態とあまりにもかけ離れていたりすること。
自分で作り上げた彼らの像に熱中して、勝手に泣いたり笑ったり、感動したりガッカリしたりしていたんだな、と。
もちろん、アーティスト側からのインプットがあってこその虚像でもあります。ファンにはそういう風に見てもらえれば良い、本当の自分は違うんだけれどどうせ音楽を通してだけの関係なんだから。
そう考えると改めて思うのは:
どんなにその時は「寝ても覚めても」その人のことしか考えられなかったとしても
たとえ十年、あるいはそれ以上長い間フォローしているアーティストであっても、
私たちファンにとって彼(彼女)たちは一時的な憧れの対象であり、
家族と違ってお互い相手の人生に責任を持つ、という関係ではあり得ない
逆に言えば
相手のために人生を著しく変化させる関係であってはいけない、とも言えるかな、と思います。
この「変化」はもちろん、ポジティブなものであれば問題はありません。
私はビートルズのおかげで英語をマスターしたいと思うようになって、実際、必死で勉強したし、KISSやTOTOのおかげでバンドを組むようになって楽しい経験もいっぱい、しました。
その一方で、好きなアーティストや彼(彼女)らが力を入れている事業をサポートするなど、ファンとしてできるポジティブな貢献もあり、アーティストたちはそれを感謝して受け止めるでしょう。
しかしマイナスの変化に至るようなことがあっては本当に残念だし、時には危険なこともあります。
(つづく。。。のでコメントはもう少しお待ちください!)