クリケット・クラブの本領:「ブレーン」と「ハート」が共存する場所 | 覚え書きあれこれ

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記憶力が低下する今日この頃、覚え書きみたいなものを綴っておかないと...




国別対抗戦が終わりましたね。


最終日のEXにおける羽生選手の演技やジャンプ披露が、最後の最後に大きな盛り上がりを作ったと聞いています。一つ前の記事に寄せていただいた数多くのコメントからも、現地観戦された方々、テレビでフォローされていた方々の感動・興奮が伝わってきます。


世界選手権では銀メダルに終わったけれど、来シーズンに向けて「五輪チャンピオン、羽生結弦」の実力と存在感を印象付けるには格好の機会だったと思います。羽生選手も良い形でシーズンを締めくくることが出来て良かったですね。


さあ、これから夏にかけて日本の各地でアイスショーが行われることになります。


カナダでも5月中は各地で「スターズ・オン・アイス」があり、トロントには5月9日に

カート・ブラウニング、ヴァーテュー&モイヤー、パトリック・チャン、ジェフリー・バトル、ラドフォード&デュアメル、ウィーヴァー&ポジェ、そしてナム・ニューエン君

などがやって来ます。私はこのショーに行く予定にしていますので、またそのレポートを載せたいと思っています。


さて、そのナム君、どうやら今年も日本でのファンタジー・オン・アイスに呼んでもらえたようで、えらく興奮した様子でツイッターに流していますね。(急いでたのか、スペルミスもあったりして)






このツイートに対して、日本のファンから「どのショーに出るの?」との問い合わせが寄せられています。


そりゃあそうでしょう。フェルナンデス選手がすでに出演を表明しているのだから、ナム君が来て、そこに羽生選手が登場したらめでたく「クリケット・ブラザース」が勢ぞろいして、お客さんは得した気分になりますよね?


トロント近辺の高校は大体、6月中旬から学年末試験が始まり、下旬から夏休みに入るので、日本に行くのはその後かな(つまり、金沢と神戸?)、と私などは予想しています。

まあでもナム君はアスリートとしての特別待遇を受けられる学校に通っているようなので、これはあくまでも私の想像、ということで。



前置きが長くなりました。


シンクロの大会やら国別対抗戦にかまけていて間が空きましたが、少し前に「クリケット・クラブの本領」という題の記事でナム・ニューエン君を例に取り、このクラブがどうして練習拠点として成功しているのか、を論じました。


ブライアン・オーサーたちが確立させてきた「システム」とも言えそうなものが功を奏している、と要約してしまえるかも知れませんが、今日の記事ではこのシステム以外の「付加価値」についてちょっと書いてみたいと思います。


羽生選手やフェルナンデス選手たちのインタビューにも良く出てくるように、クリケット・クラブには豊富なコーチ陣がいます。かつては織田信成さんのコーチも務めたリー・バーケルが昨シーズンからチームに加わり、その他にもスピンやジャンプの専門家たちが控えている。

だけどそれだけではない。

ジェフリー・バトルやデイビッド・ウィルソンといった世界でもトップ・クラスの振付師たちがクリケットには常駐している。シーズン前の振り付けの時だけではなく、シーズンを通して選手のプログラムの出来をフォローし、大会前の仕上がりにも目を光らせる。さらに、シェイリーン・ボーンやカート・ブラウニングなどは基本的にグラニット・クラブがホームリンクですが、振り付けを担当した選手からの希望があればクリケットでの練習に付き合っているようです。


このようなシーズン中の多様なサポートは選手にとって大きな武器になります。(世界選手権前のフェルナンデス選手はデイビッド・ウィルソンが付きっきりで練習を見た、と聞いています。)


クリケット・クラブはネットワークの広さを誇りとしていて、往年のチャンピオンたちが未だによく顔を出したり、他のスケートクラブ所属の現役選手でも練習をしに来るのだそうです。

シンクロ大会でトロントを訪れていたエルビス・ストイコが滑りに来たり、パトリック・チャンが寄ったり、はたまたローマン・サドフスキー君なんかもトロント市内の別のリンクから大会前の仕上げにクリケット・クラブに来たり。

(一方、グラニット・クラブはエリート選手の輩出においてかつてはクリケット・クラブと双璧を成していた老舗のクラブですが、最近ではクラブの正式会員以外の滑走には制限が課せられ、スケートの練習だけに来るエリート選手たちの受け入れはしていないようです。カート・ブラウニング、パトリッ ク・チャンがここの出身でしたね。


人が人を呼ぶ、と言うように、クリケット・クラブには近年ものすごい「吸引力」が発生している気がします。そして良いエネルギーが充満して、選手全員に良い影響を与える。


また、前の記事でも少し触れましたが、クリケット・クラブの選手たちはシーズンの途中で「シミュレーション」に参加し、貴重なフィードバックを得ることができます。


この点についてはベヴァリー・スミスさんの四大陸後のナム君に関する記事("To quad or not to quad: that is the question")に:

Nguyen tried the quad in a short program simulation recently and judge monitors told him that the quad “took a lot of energy from the program, which didn’t look nice at all, especially the footwork,” he said. “I didn’t put a lot of effort into it, because I was thinking of the triple  Axel that was after my footwork.” That helped him make his decision to return to the old setups.

という記述があったので、確認のために問い合わせてみました。

「ナム君がショートプログラムのシミュレーションを行った時、ジャッジの人たちが~~と言った、とあるけど、この「シミュレーション」って何ですか?」


スミスさんのお返事によると、要するにこれは大会の状況をそのまま再現する練習のことだそうです。

もちろん衣装をつけて、本番同様に6分間練習から始めて、自分のあてがわれた滑走順によってそれなりの準備(後の方の順番だったらいったん、靴を脱いで、など)をし、演技をするところまで、全て試合通りの流れを再現する。

そしてジャッジが試合同様に採点も行ない、そのフィードバックを元にプログラムの構成を修正したり、減点や加点の説明を受けてその後の練習のヒントとする。


といった流れです。


なお、このような「模試」はクリケット・クラブの選手たちだけが行ってもらっているものではありません(カナダ連盟が選手たちのシーズン中のフォローアップのために奨励している、とスミスさんは言ってました)が、採点を公式ジャッジ複数名に依頼できるだけの組織力を持ち、シミュレーション滑走に参加する選手のレベルが揃う所はそうそうないでしょう。


ちなみにスミスさんによるとこの時のシミュレーションの直後に、例のナム君とハビのサイドバイサイド4Sの動画が撮られた、と言っていますが






そう思って動画を見てみると、ナム君もハビエルもSPの衣装をつけていますね?そしてこのリンクは明らかにクリケット・クラブではなく、大会会場を想定した客席付きのリンクであることが分かります。つまりそこまで綿密なシミュレーションが行われた、ということです。


さて、最後になりましたが、クリケット・クラブの(ブライアン・オーサーを除いて)最大の付加価値、トレイシー・ウィルソンについて少し。


ブライアン・オーサーがクリケット・クラブの「ブレーン」であるとしたら、トレイシー・ウィルソンはおそらくその「ハート」だと言えるでしょう。





現役時代はカナダの名アイスダンサー、1988年のカルガリー五輪で見事、北米初のメダルをパートナーのロブ・マッコールと共に獲得しました。その他、世界選手権で3度の銅メダルを獲り、引退後も世界プロ・チャンピオンに輝きました。






この頃からすでにブライアン・オーサーと親しく、一緒に数多くの試練を潜り抜けてきた、と語っています。



1989年頃の(左から)ロブ・マコール、トレイシー・ウィルソン、そして別人かと思われるほど細いブライアン・オーサー



その中の一つにマッコールの死があり、トレイシーはしばらくスケートから離れてしまうほどのトラウマとなりましたが、ブライアンと二人でクリケット・クラブのスケート部門を立て直す役目を担ってスケートに対する喜びを取り戻します。(この辺りの事に関しては過去記事の「クリケット・クラブ復活の立役者たち」を参照してください)


すっかり立ち直った彼女は、今ではクリケット・クラブの選手たちにとっては面倒見の良いお母さんのような存在だと言われています。皆とコミュニケーションをまめに取り、リンクの明るい雰囲気を創り出す。

しかし、クラブ名物と言われるストローキングのレッスンが始まると現役の選手たちに負けないほどの体力で滑ります。また、選手たちの筋力を上げるための練習を考案するのもトレイシーだったりします。


オフアイスの体幹トレーニングにピラテスを取り入れたり、メディシン・ボールで負荷をかけたまま滑らせたり、鉄アレイを持たせてジャンプを跳ばせたり...フェルナンデス選手や羽生選手もこの厳しいトレイシー・メニューから逃れるための手を色々と考えては、とっ捕まって結局ヘトヘトになるまで練習をさせられているようです。



また、かつてはCBCの解説者として活躍し、今もカナダのTSN局ではカナダ国内の大会を担当、そしてアメリカのNBC局のレポーターとしてもテレビの仕事をバリバリ続けています。






常にスケート界の最前線に身を置き、注目を集めている彼女のおかげでさらにクリケットクラブのネットワークが広がっていると言えます。


でもでも、何と言っても暖かい笑顔がトレードマークのトレイシーが、どれだけ教え子たちを可愛いと思っているかを良く表しているエピソードをご紹介せずには終れません。


これは2012年のグランプリ・ファイナルの直前に放送されたCBCの番組でのことでしたが、当時、トレイシーはまだスコット・ラッセルブレンダ・アービングたちと共に、CBCの解説チームの一員でした。





ブレンダに今シーズンから新たにクリケット・クラブの選手に加わった羽生選手が、フェルナンデス選手と一緒に練習している様子を毎日見ていてどんな感じなのか?とコメントを求められます。

トレイシーはアイスダンスの VIRTUE&MOIR とDAVIS&WHITE が同じコーチについていることを例に挙げ、これが最近の傾向だという前置きをして…

見てて素晴らしいのは、二人とも生来、本当に良い、心の優しい人たちだってこと (what’s been wonderful to watch with them is they are both inherently such good, kind people)


お互いを気にかけ合ってるし(they look out for each other)、二人にとっては良いことづくめ(they get the best of both worlds)。



目をキラキラさせ、手を胸に当ててうっとりと語るトレイシー



面白いのは、ユヅが目の端でハビエルがクワッド・サルコウを成功させるのを見てたり (Yuzu looking at Javier out of the corner of his eye, seeing him rotate this quad sal)、ハビエルはユヅがエネルギー満々でジャンプを次々と飛ぶのを見てたりしていること(Javier looking at Yuzu just doing jump after jump with all that energy)。


一 人は落ち着いてて、リラックスしてるタイプ(one’s calm and relaxed) もう一人はどちらかというとハイパー(テンション高い=one’s kind of hyper)。とっても良いコンビよね(wonderful combination together)。

今のところ、本当にうまく行ってて、お互いがインスピレーションとなっている。



と、本当に嬉しそうに一気にまくしたてるトレイシー。


そこでブレンダが


でも誰でもそうやって(ハビエルとユヅのように)上手く行くってわけじゃないでしょ?



と聞くと、いきなり声が二段階くらい大きくなり




NOnonononono
いーえいえいえいえいえ


と、いっぺんここで息継ぎして,ブレンダの手を握り

Nonono, you gotta be a nice guy!
いえいえいえ、良い子じゃないと(上手く行かないわよ)~~~!


(雰囲気的にはこの後、「うちの息子たちみたいにね~、おーほっほっほっほ~~」とトレイシーが誇らしげに高笑いをしているかのように見えました。)




当時、私は何故かこの場面がものすごく印象的で、他のファンの方々にも教えたいと思って自分のブログではなくて別の方のブログにお願いして記事にしていただきました。(Mさん、その節はお世話になりました)


文字で起こしただけではなかなかこの場面の傑作さが伝わらないでしょうから、どなたかが動画にアップしてくれないかと期待しているのですが。。。



以上、クリケット・クラブの付加価値についてでした。




羽生選手、今年のオフシーズンはアイスショーほどほどにして、トロントに長く居てくれるかな?


クリケット・クラブが待ってるよ。