128回目はUNCONSCIOUS (無意識)です。




「抑圧された無意識というようなものはここでは論点にはならない。というよりも、まだ理解されていない何かであるとか、理解をするが許されていないというようなものと言った方がいいだろう」

----- Adler




「まだコンセプトとして確立されていない意識というプロセスに我々は取り組んでいる。もし、誰かがその1つのプロセスを発見し、言葉に置き換えるとするならば、無意識から意識に何かを引っ張りあげたものだと言うかもしれない。しかし、それは対して重要ではない」

----- Ansbacher & Ansbacher




「アドレリアンは個人の統一性という考え方を持っており、無意識というものは不思議な現象の1つの形と考える代わりに、1つの専門的な概念として考えている」

----- Bruck




「意識と無意識は、心理学的プロセスを特徴づけるものである・・・しかし、我々は無意識という存在を証明する証拠がない。それとは逆に、我々に何が起こっているのかという意識の程度において、1つの連続性があるようだ」

----- Dreikurs




無意識というコンセプトではなく

アドレリアンは副詞的、形容詞的な意味合いで

この言葉を使用する。




基本的誤りは無意識なものであると言うのなら

アドレリアンにとってそれは受け入れられるものである。

なぜなら、人間の全体論見解に背かないからである。




同様に、個人は無意識的に行動していると

言うかもしれない。




アドレリアンは無意識という概念を

2つの理由から拒んでいる。


1) それは、個人の行動の責任を緩和させてしまい、格闘する事が出来ないその不思議な何かの犠牲者として考えてしまうこと


2) 個人を部分部分に分けてしまい、そのどれかが他をコントロールしているという概念が生まれてしまうから




アドレリアンセラピストの役割の1つに

患者が以前に概念化した事がない

誤った信念や動機、推定を即時に明らかにする事なのだが

そこには材料や資料、情報などがあり

個人は行動の1つの基礎として

それを使用し続けているのである。