ずっと、富士山に纏わる水を追っています。
西湖は私のブログ記事によく出てくる場所なのですが
このところ追っている「富士内八海」では
「五番 西の海」ということになりますね。
11月21日の西湖。
ここの水は本当に透明感があって
龍神伝説もうなずけます。
渡辺長義さん著の
「まぼろしの富士古文献」は、こちらに来たばかりのころ
すっかりはまった本なのですが
そこにはこんな記述がありました。
(ちっちゃい!!!ゴメンナサイ~)
背の海と龍宮
背の海と龍宮は、今日の青木ヶ原にあった湖で、延暦十九年(800)と貞観六年(八六四)の二回にわたる、富士山の北西側からの大噴火によって、溶岩が流失し、背の海は埋没し、今日に見る三湖となり、青い海原は緑の樹海に変化した。
この湖の北側に、イザナミ尊の第二皇子栄日子命(蛭子命)(エビスのみこと)の住居があった。栄日子命は別名を竜王といい、竜王の住む御家を宮という。
これを省略し、龍宮といい、この龍宮に生まれた豊玉姫を、火遠理命(天津日子火火出見尊)が迎え、皇后にせさらた。
青木ヶ原の龍宮洞穴も、こうした古い時代からの因縁で名も残り、今は無き背の海であるが、背の海神社があり、祭神は栄日子命で、水神さまの本社として古来より崇敬されてきた。
また、河口湖町の図書館にあった「村のしきたり」という小冊子に
竜宮の伝説が書いてありました。
平成六年に編纂された「足和田村」(現在は富士河口湖町)の「村のしきたり」より
雨乞い 八月頃
根場地区
夏の日が照りつけて作物がしおれてくると雨乞いをする。
区長が伝馬という人足を出して龍宮さまへ水借りに行く。一升瓶を持って龍宮洞穴へ行き、セの海神社に雨乞いを祈願して、洞穴の中に溜まっている水を借りてくる。そして湖の岸に榊をたてて、ゆわえ降雨を祈った。
霊験あらたかにおしめりがあると、今度は湖水の水を二升にしてやはり伝馬が出て龍宮さまに返しに行った。
また雨乞いの日には、区長が人止めのふれを出して村の人達が一日中仕事を休んで、骨休めをしながらおしめりを待ったものである。
西湖地区
梅雨も過ぎて七、八月になると日照りが何日も続き、旱魃に見舞われる。
農作物はしおれ、枯れる寸前になると龍宮さまより二升の水を借りて来て湖の中に青木を立て、水を供えて降雨を祈願した。
現在では、富士五湖祭りの一環とし八月二日に龍宮祭の神事が行われている。
雨乞いの祈り文句
十二ヶ岳の黒雲(クーロクモ) 段之の方へ ぶっかーれ
天に雨は にぃーどうか
竜宮洞(リュウゴンドウ)は留守どうか
桑留尾(カールビ)まーりをどうするどう
あわも ひえも かーらから
なべえ くもが巣(スー)かける
雨を降らせ 給ふやい
これによると
龍宮洞穴に御水があったのは
そう昔のことではないようです。
西湖の長老たちは、御水を借りたもんだ、という話をまことしやかに語っていますが、それが聞き伝えなのか、それとも経験知としておっしゃっているのかは、きちんと取材しなくてはと思っています。
宮下文書によると、エビス神であったという表記も興味深いですね。
明日は西湖へ行きますので
長老に逢えれば、お話を聞いてきたいと思っています。
もっとも仕事ですので
時間があったらのお話です。
まだまだ探求の旅は続きます。