半月 最終章



月下の宴 (3)


粋なところを披露してくれた迫田さんは、席に戻るなり卓
ちゃんをつかまえた。

「なあ、卓ちゃん。今度あさみちゃんと二人でやる店は、な
んて名前にするんだい?」

「ふっふっふ。当ててみてくださいよ」

卓ちゃんが、たっぷりじらす。

「うーん、やっぱり『月』が付いてるのかなあと思うんだけ
ど」

「それは当たり」

「半月とか、美月とか?」

「そんなことは出来ないっすよ。オレらにとっても、半月に
来てたみんなにとっても、半月や美月さんは他のものに代え
られんでしょ?」

卓ちゃんが、わたしを見てにこっと笑う。

「美月さんとのお別れの時、オレは美月さんに、店やるから
必ず食いに来てくれってお願いしました。だから、オレらは
美月さんが来るのをずっと待ってないとなんない」

「それをね。そのまま店名にすることにしました」

ふうっと一呼吸置いて、卓ちゃんが朗々と店名を披露した。

「月待(つきまち)。それが、オレらの店の名前です」

「おおっ!」

気に入ったみたいで、迫田さんが思い切り相好を崩した。

「月が出るのを待つ間、ちょいと小腹を満たそうか。そんな
ふうに気軽にメシを食ってもらえればってね。だからうちの
店は料理屋じゃなくて、メシ屋。定食屋。この宴席の料理
は、まさにオレらの目指す形なンすよ」

「ふうむ。やるなあ」

「酒も出すけど、あくまでもそれは添えもん。オレが飲め
ねーから、こだわることも出来ないしね」

迫田さんも、ぐっちぃ、さわちゃんも。
改めて卓ちゃんのセンスに驚いたと思う。

卓ちゃんは、自分の中にいろいろなものを閉じ込めてきた。
人と深く関わる事を恐れるあまり、人を入れないだけでなく
て自分も外に出せなかった。
その中には、卓ちゃんが長い間温めてきたアイデアや理想も
いっぱい入ってた。

卓ちゃんは今、それを惜しみなく外に出してる。
卓ちゃんが想いを形にしていくたびに、わたしは卓ちゃんの
大きさと温かさを感じるんだ。

卓ちゃんの温かい想いをいつも間近に見られること。
卓ちゃんが目指していることにわたしも加われること。
卓ちゃんを全力で手伝えること。
それが、わたしにとっては何より嬉しい。

迫田さんが、満足そうに頷いた。

「俺らが通いつめられそうな店にしてくれよ」

「まあ、腹一杯食ってってください。ぐっちぃ、さわちゃん
もね。晩飯作んのが面倒だったら、うちでメシ食ってくかっ
てくらいに」

いたずらっぽく笑ったさわちゃんが、ぐっちぃの方を見て。

「うん、楽しみ」

「おいおい」

ぐっちぃは苦笑いしてる。
さわちゃん、手抜きし過ぎたらだめよー……って、わたしも
人のことは言えないか。あはは。

ぐいっと背筋を伸ばした卓ちゃんが、よく通る声でみんなに
アナウンスした。

「さて。今日は特別な日なので、ぐっちぃとさわちゃんのた
めのスペシャルメニューも用意しました。これは今日限り。
たぶん、オレはこういうのをもう二度と作るこたあないと思
う。だから、みんなにどうしても見ておいてもらいたいんす
よ」

そう言うと、空いた小鉢を片付けて大きな角盆をそこに据え
た。それは……。

盆の上が世界になっていた。
月を愛でるために、湖に船を出した雅(みやび)な人々。
その情景が全て料理。

みんな息を飲んだ。もちろんわたしも。

卓ちゃんは、とんでもなく腕が上がっていた。
でも、それを見せびらかすことは決してしなかった。

だから盆の上の光景は、紛れもなく美月さんと半月への渾身
の捧げものだった。

どんなに美しいものでも永遠には続かない。
食べればなくなってしまうこの世界も、もちろんそう。
でも、それはわたしたちの心にくっきりと残る。

美月さん。
わたしたちは、たくさんのものをあなたからいただきました。
美月さんはもういないけれど、わたしたちの心からあなたと
いう月が消え去ることは決してありません。
わたしたちがあなたの許に行くまでは。

どこまでも深い卓ちゃんの想いを。
わたしたちはしっかりと味わった。


           −=*=−


そのあと迫田さんは、わたしとさわちゃんをいいだけからか
い続けた。
そりゃあもう、迷惑なセクハラ親父と変わんないレベルで。
やれやれって呆れてたんだけど、どこかにすごく寂しそうな
気配を感じたの。

「迫田さん、もしかして何かあったの?」

かなり出来上がっていた迫田さんにそう声をかけたら、俯い
た迫田さんがきまり悪そうに頭を掻いた。

「愚痴は言いたかねえけどな。幸せそうなあんたらを見てる
と、ヤけるのさ」

「どして?」

「娘が出戻ってきたんだよ」

あっらー。

「俺もかみさんに逃げられちまったからよ。娘にだけはそう
いう思いをさせたくなかったんだが。うまくいかねえもんだ
な……」

そうこぼして、むっつりと黙り込んだ。