半月 第五章



告別 (2)


卓ちゃんが、すっと席を外した。
別れが辛くて我慢できないのかと思ったら、店の冷蔵庫から
小皿を盆に乗せて運んできた。

「美月さん、みなさん、オレもね。ぐっちぃと同じで、今日
は何の気なしにこんなものを作ってたんです。評判がいいよ
うだったら、今度店のメニューに入れようと思って。どうぞ
召し上がってください」

それは……見事な半月だった。

「影の部分は鰈(かれい)の煮凝りです。細く削いだ冬瓜を
混ぜて固めました。明るい方は甘鯛の蒸し寄せ。さっと黄身
を塗ってあります。雲に見立てて、ごく薄い餡を張りました」

卓ちゃんは相変わらずいい仕事をする。絶品だ。

「ねえ、卓ちゃん」

食べ終わった美月さんが、下を向いてほっと息をついた。

「もっと食べたかったなあ」

卓ちゃんが笑顔を向ける。

「食べに来てくださいよ。オレは店をやります」

美月さんは、かすかに微笑んだ。

「美月さん。オレはね、半月で料理の楽しさを覚えたんで
す。旨いと言ってくれる人の顔が見られる、その途方もない
喜びをね」

「だからぐっちぃと同じで、オレもさよならは言いません。
まだ半端なオレの腕が、これからどれだけ上がるか。そして
オレの作った料理で、どれだけ笑顔が増やせるかを。必ずそ
の舌で、確かめに来てください」

そう言いながら、卓ちゃんの顔はもう涙でぐちゃぐちゃだっ
た。

ぐっちぃも卓ちゃんも、美月さんとの永久(とわ)の別れだ
ということは分かってるんだ。
だから自分の道を照らすことで、美月さんの旅立ちを明るく
しようとしている。

わたしも……堪えきれなくなってきた。

ずっと俯いていたさわちゃんが、震える声で何か話し始めた。

「わたしね……。美月さんにも、ここのみんなにも迷惑しか
かけてない。だから、わたしは何も美月さんに贈れない」

「でも……美月さんは最初に会った日、わたしに言ったの。
月が人を狂わせるんじゃない、狂った人が月を見ているん
だって。その意味を、今の今までずーっと考えてた」

「わたしは自分の不運を全部人のせいにしていた。月が、不
運がわたしの人生を狂わせているって。でも、狂っていたの
はわたしの方。わたしは、自分の闇を月に投げ続けてたの。
まるで、月に吠える犬みたいに。届くわけなんかないのに。
全部、自分に落ちてきちゃうのに」

「それは。本当はもうずっと前から分かってた。でも認めた
くなかった。どうしても認めたくなかったの。わたしの心の
穴は、絶対に誰にも分かってもらえない。自分の力じゃ、ど
うやっても埋めらんない。そう自分に思い込ませて。甘やか
して」

ぽろぽろと涙をこぼしながら、さわちゃんが唇を震わせた。

「穴だらけのわたしは、もっと穴だらけの人を探すように
なった。自分の穴が小さく見えるから。自分がまともに見え
るから。でも、別れが来る度にわたしの穴はもっと大きく
なった。そうして、いろんな人を傷つけた」

「とうとう、最後にわたしは空っぽになった。そこに足を踏
み外して落ちそうになっちゃった。その時にね。やっと分
かったの。わたしの闇の底にも、美月さんの光が届いてたっ
てこと。だから……」

さわちゃんは、顔を上げてハンドバッグから携帯を引っ張り
出し、ぱちんと開くと。

大きな音を立てて真っ二つに折った。

「わたしは、これから自分を見る。逃げずに。目を逸らさず
に。わたしが美月さんに贈れるのは、たった一つ。その決意
だけ」

美月さんが、さわちゃんの決意を聞いて柔らかく微笑んだ。

「さわちゃん。がんばってね」

さわちゃんも、美月さんに笑顔を返して頷いた。

「はい」

凛とした姿。
わたしは、さわちゃんがキレイだと、初めて思った。
涙で化粧が流れていたけど、それすら美しかった。




HM25





I've Lost the Moon by SayWeCanFly