《ショートショート 0835》
『テーブルベル』 (なみだのいろ 3)
その子とは、特別仲がいいというわけじゃなかったんだけど。
バイト代も良かったし、一日だけっていう約束だったから、
頼みを引き受けたんだ。
大きなお屋敷のメイドさん。
よく小説なんかに出てくるようなコスチュームを着て、ご主
人様なにかご用でしょうか……ってやつね。
それをやって欲しいってこと。
いや、それだけでかいお屋敷なら、メイドさんはいっぱいい
るんじゃないの?
わたしがそう聞いたら、サンディはこう答えた。
「いるよ。でもママのお付きは、誰にでも出来るってわけじゃ
ないの」
「なに、もしかして普段はあんたがやってるの?」
「そ。しゃあないやん。わたししか相手出来ないんだから」
「でも、学校に来てる間はどうしてるの?」
「仕方ないわ。その間は放置よ」
「他のメイドさんたちは?」
「屋敷のことをやってもらわないとならないからね。ママの
いる棟には近付かない」
「??? ちっとも訳が分かんない」
「説明すると長くなっちゃうし、一日だけならその意味もな
いかなあと思って」
「うーん……それもそうか。でも、それってわたしに危険は
ないわけ?」
「ない。ただ……」
「うん」
「我慢出来るかどうかだけ」
「あんたのお母さんの態度に?」
「ううん」
サンディは、寂しそうに笑った。
「ベルの音に」
さっぱり訳が分かんない。
ふうふうふうふうふう……。
甘かった。とんでもなかった。サンディも、自分の母親のこ
とだからってよく我慢してるなあ。
わたしは一応奥様の専属っていう扱いになってるからまだこ
なせるけど、他に仕事しながらじゃ絶対に対応は無理。
それに、もし体力的にこなせる人だとしても精神的に耐えら
れなくなる。
そう。奥様は一分に一回はテーブルベルを振る。
呼び出されたら、あれを持ってこい、それはしまって、あれ
はどうなってるの、これは済んだかしら……次から次へと矢
継ぎ早にリクエストや指令が来る。
その指示の一つ一つ。
かつては、それに本当に意味があったんだろう。でも、今は
全く意味がなくなってる。
その意味のないことをわたしたちにさせるために、頻繁にテー
ブルベルを振るんだ。
あの甲高いちりんちりんという音が聞こえて来る度に、心臓
がばくばくするようになる。そりゃあ……お付きのメイドさ
んていうのは無理だわ。神経が……保たないもの。
わたしも、たった一日が未来永劫続く責め苦のように感じる
ようになってきた。
た……耐えなきゃ。耐え切らなきゃ。
午前中のたった三時間でもう疲労困憊だったけど、逃げ出す
わけにはいかない。そうは言っても……昼食すらテーブルベ
ルで妨害されそうな気がするしなあ。
午後もびっしり走り回されるのは仕方ないにしても、昼食く
らいはゆっくり食べたい。他のメイドさんたちがいる別棟に
避難するのが一番妥当なんだろうけど、向こうに行ったら行っ
たで根ほり葉ほりいろんな詮索をされるだろう。部外者のわ
たしがサンディのことなんかぺらぺら話せないよ。
そうだ。どうせしゃべらないとならないなら、昼食を食べな
がら奥様としゃべってみようか。それなら、食べてる間にベ
ルの音を聞かなくて済むかもしれない。食事を運びに行った
時に打診してみよう。
−=*=−
奥様は、わたしの打診をこともなげに了承した。
「かまわないわよ」
ふうっ……。これで一息つける。
わたしの昼食は安物のカスクルートだったけど、奥様はそれ
に興味を示すでも、けちをつけるでもなかった。
食事の間に奥様がしゃべり続けていたこと。
それは、この家の歴史、マネージメントのこと、そして娘の
サンディのことだった
わたしは食事をしながらそれをふんふんと聞き流していたん
だけど……だんだんと違和感を覚えるようになっていた。
奥様の話の中では、過去と現在の区別が付いていない。
それは……認知障害のせいなのかもしれないし、精神的な疾
患のせいなのかもしれない。でも時制がおかしいだけで、話
している内容自体はとても理知的。感情任せのヒステリック
なものは全くなかった。
テーブルベルで間断なくメイドや娘を呼びたてるという理不
尽。一見猛烈に感情的に思える行為とは裏腹に、むしろ抑制
的、理知的に語られる諸々のこと。そして、崩れた時制。
奥様の話を聞いている間に、その背後がぼんやりと見えてき
た。……そうか。
昼食を済ませたわたしは、奥様に申し出た。
「奥様。わたしは臨時雇いで、今日一日しかお仕え出来ませ
ん。ですので、今日はこちらのお部屋に詰めさせていただき
ます。御用の時は、ベルを鳴らさず直接わたしにお申し付け
くださいませ」
「あら。それはとても助かるわ」
これまでの、どちらかと言えば無表情に近い顔が崩れて、初
めて笑顔を見せてくれた。
それからの長い午後。
奥様の手元に置かれていたテーブルベルは……一度も鳴らさ
れることはなかった。
−=*=−
「エイミー、助かったー。ありがとね」
「ううん。なんとかこなせてよかったわ」
「ベル……すごかったでしょ?」
「午前中はね。午後は一回も鳴らなかったよ」
「!!」
サンディが飛び退って驚いてる。
「う、うそ!」
「まあ……しゃあないと思うけどさ。あんたのお母さん、高
いところに上がって降りれなくなったペルシャ猫みたい」
「……。どういう意味?」
「お父さん、病気で亡くなったんでしょ?」
「そう」
「お母さんは、そのあと家を守るってことに全部自分をつぎ
込んじゃった。だって、あんたはその時まだ小さな子供だし
さ」
「うん」
「執事の人とか弁護士さんとか、お母さんを支えてくれる人
はいっぱいいたんでしょ。でも、その人たちにとっては仕事
に過ぎないよ。お母さんがかわいそうだから手伝ってあげ
るってことじゃない」
「……」
「お母さんは、自分のしんどい気持ちを吐き出せるところが
どこにもなくなった。それでも……がんばったんだ」
「それで?」
「がんばったことで、逆に煙たがられてしまったの。あんた
の屋敷の人たちに。それは……仕方ないと思う」
「……」
「誰も、自分のしんどさを分かってくれない。でも立場上、
それは使用人にこぼせない。誰かに寄りかかりたいっていう
心細さが、ドアベルで呼ぶっていう形で爆発した……わたし
はそう感じたの」
「じゃあ……」
「そう。わたしにはこんな高いところは無理よ。誰か早くこ
こから下ろして! にゃあにゃあ鳴いてそう訴えてる。ずっ
とね」
「でも……それじゃ、なんでわたしにそう言わないわけ?」
「もう壊れてしまってるから。あんたが一日時間が欲しいっ
て言ったのは、ドアベルの音から逃げるためじゃない。お母
さんを療養させるための手続きがあるからでしょ?」
じっと俯いたサンディの目から。
ぽろぽろと雫が垂れ落ち始めた。
「わたしも……その方がいいと思うな。屋敷にいる限り、お
母さんは過去から出られない。上がってしまった高みから降
りられない」
「……うん」
「『今』に、降ろしてあげた方がいいよね」
「ありがと……」
「ねえ、サンディ」
「うん?」
「あんた、優しいし、素敵よ。お母さんは、それだけは分
かってる。今としてね」
「……」
「わたしがお母さんに張り付いてた午後。ずっと聞かされて
いたのは、あんたの自慢話だったから」
わたしに抱きついたサンディは、大声をあげて泣きじゃくっ
た。
そうだよね……あんたもまた……知らないうちに高いとこに
上がってたんだ。そらあ……しんどいわ。
サンディは、事態打開に向けて思い切った手を打った。
屋敷をたたみ使用人を全員退職させて、事業も全部整理した。
その資金を、お母さんを入居させる永住型老人ホームに注ぎ
込んだ。
サンディは、それをお母さんに正直に伝えたらしい。
わたしには家を継ぐ能力がないの。あれこれ心配しながら、
一生をびくびく過ごすのはしんどい。わたしが出来る範囲で
無理のないようにこぢんまり暮らしたい。
その方が、お母さんと一緒にいられる時間を増やせるの。
お母さんは……ただ微笑んでいただけだったそうだ。
老人ホームでの穏やかな生活が始まって。
お母さんがベルを振ることも、その必要もなくなった。
わたしはお母さんから娘第二号と認識されたようで、お見舞
いに行くととても歓迎してくれる。
二人で行ったお見舞いからの帰り道、トラムの中で何やら考
え込んでいたサンディに話しかけた。
「ねえ、サンディ」
「なあに?」
「お母さんはともかく、あんたはちゃんとベルを振りなさい
よ」
「……」
「そうしないと、わたしには分かんないからね」
少しはにかんだサンディが、深く頷いた。
「ありがと。そうさせて」
Calling You by Jeff Buckley
『テーブルベル』 (なみだのいろ 3)
その子とは、特別仲がいいというわけじゃなかったんだけど。
バイト代も良かったし、一日だけっていう約束だったから、
頼みを引き受けたんだ。
大きなお屋敷のメイドさん。
よく小説なんかに出てくるようなコスチュームを着て、ご主
人様なにかご用でしょうか……ってやつね。
それをやって欲しいってこと。
いや、それだけでかいお屋敷なら、メイドさんはいっぱいい
るんじゃないの?
わたしがそう聞いたら、サンディはこう答えた。
「いるよ。でもママのお付きは、誰にでも出来るってわけじゃ
ないの」
「なに、もしかして普段はあんたがやってるの?」
「そ。しゃあないやん。わたししか相手出来ないんだから」
「でも、学校に来てる間はどうしてるの?」
「仕方ないわ。その間は放置よ」
「他のメイドさんたちは?」
「屋敷のことをやってもらわないとならないからね。ママの
いる棟には近付かない」
「??? ちっとも訳が分かんない」
「説明すると長くなっちゃうし、一日だけならその意味もな
いかなあと思って」
「うーん……それもそうか。でも、それってわたしに危険は
ないわけ?」
「ない。ただ……」
「うん」
「我慢出来るかどうかだけ」
「あんたのお母さんの態度に?」
「ううん」
サンディは、寂しそうに笑った。
「ベルの音に」
さっぱり訳が分かんない。
ふうふうふうふうふう……。
甘かった。とんでもなかった。サンディも、自分の母親のこ
とだからってよく我慢してるなあ。
わたしは一応奥様の専属っていう扱いになってるからまだこ
なせるけど、他に仕事しながらじゃ絶対に対応は無理。
それに、もし体力的にこなせる人だとしても精神的に耐えら
れなくなる。
そう。奥様は一分に一回はテーブルベルを振る。
呼び出されたら、あれを持ってこい、それはしまって、あれ
はどうなってるの、これは済んだかしら……次から次へと矢
継ぎ早にリクエストや指令が来る。
その指示の一つ一つ。
かつては、それに本当に意味があったんだろう。でも、今は
全く意味がなくなってる。
その意味のないことをわたしたちにさせるために、頻繁にテー
ブルベルを振るんだ。
あの甲高いちりんちりんという音が聞こえて来る度に、心臓
がばくばくするようになる。そりゃあ……お付きのメイドさ
んていうのは無理だわ。神経が……保たないもの。
わたしも、たった一日が未来永劫続く責め苦のように感じる
ようになってきた。
た……耐えなきゃ。耐え切らなきゃ。
午前中のたった三時間でもう疲労困憊だったけど、逃げ出す
わけにはいかない。そうは言っても……昼食すらテーブルベ
ルで妨害されそうな気がするしなあ。
午後もびっしり走り回されるのは仕方ないにしても、昼食く
らいはゆっくり食べたい。他のメイドさんたちがいる別棟に
避難するのが一番妥当なんだろうけど、向こうに行ったら行っ
たで根ほり葉ほりいろんな詮索をされるだろう。部外者のわ
たしがサンディのことなんかぺらぺら話せないよ。
そうだ。どうせしゃべらないとならないなら、昼食を食べな
がら奥様としゃべってみようか。それなら、食べてる間にベ
ルの音を聞かなくて済むかもしれない。食事を運びに行った
時に打診してみよう。
−=*=−
奥様は、わたしの打診をこともなげに了承した。
「かまわないわよ」
ふうっ……。これで一息つける。
わたしの昼食は安物のカスクルートだったけど、奥様はそれ
に興味を示すでも、けちをつけるでもなかった。
食事の間に奥様がしゃべり続けていたこと。
それは、この家の歴史、マネージメントのこと、そして娘の
サンディのことだった
わたしは食事をしながらそれをふんふんと聞き流していたん
だけど……だんだんと違和感を覚えるようになっていた。
奥様の話の中では、過去と現在の区別が付いていない。
それは……認知障害のせいなのかもしれないし、精神的な疾
患のせいなのかもしれない。でも時制がおかしいだけで、話
している内容自体はとても理知的。感情任せのヒステリック
なものは全くなかった。
テーブルベルで間断なくメイドや娘を呼びたてるという理不
尽。一見猛烈に感情的に思える行為とは裏腹に、むしろ抑制
的、理知的に語られる諸々のこと。そして、崩れた時制。
奥様の話を聞いている間に、その背後がぼんやりと見えてき
た。……そうか。
昼食を済ませたわたしは、奥様に申し出た。
「奥様。わたしは臨時雇いで、今日一日しかお仕え出来ませ
ん。ですので、今日はこちらのお部屋に詰めさせていただき
ます。御用の時は、ベルを鳴らさず直接わたしにお申し付け
くださいませ」
「あら。それはとても助かるわ」
これまでの、どちらかと言えば無表情に近い顔が崩れて、初
めて笑顔を見せてくれた。
それからの長い午後。
奥様の手元に置かれていたテーブルベルは……一度も鳴らさ
れることはなかった。
−=*=−
「エイミー、助かったー。ありがとね」
「ううん。なんとかこなせてよかったわ」
「ベル……すごかったでしょ?」
「午前中はね。午後は一回も鳴らなかったよ」
「!!」
サンディが飛び退って驚いてる。
「う、うそ!」
「まあ……しゃあないと思うけどさ。あんたのお母さん、高
いところに上がって降りれなくなったペルシャ猫みたい」
「……。どういう意味?」
「お父さん、病気で亡くなったんでしょ?」
「そう」
「お母さんは、そのあと家を守るってことに全部自分をつぎ
込んじゃった。だって、あんたはその時まだ小さな子供だし
さ」
「うん」
「執事の人とか弁護士さんとか、お母さんを支えてくれる人
はいっぱいいたんでしょ。でも、その人たちにとっては仕事
に過ぎないよ。お母さんがかわいそうだから手伝ってあげ
るってことじゃない」
「……」
「お母さんは、自分のしんどい気持ちを吐き出せるところが
どこにもなくなった。それでも……がんばったんだ」
「それで?」
「がんばったことで、逆に煙たがられてしまったの。あんた
の屋敷の人たちに。それは……仕方ないと思う」
「……」
「誰も、自分のしんどさを分かってくれない。でも立場上、
それは使用人にこぼせない。誰かに寄りかかりたいっていう
心細さが、ドアベルで呼ぶっていう形で爆発した……わたし
はそう感じたの」
「じゃあ……」
「そう。わたしにはこんな高いところは無理よ。誰か早くこ
こから下ろして! にゃあにゃあ鳴いてそう訴えてる。ずっ
とね」
「でも……それじゃ、なんでわたしにそう言わないわけ?」
「もう壊れてしまってるから。あんたが一日時間が欲しいっ
て言ったのは、ドアベルの音から逃げるためじゃない。お母
さんを療養させるための手続きがあるからでしょ?」
じっと俯いたサンディの目から。
ぽろぽろと雫が垂れ落ち始めた。
「わたしも……その方がいいと思うな。屋敷にいる限り、お
母さんは過去から出られない。上がってしまった高みから降
りられない」
「……うん」
「『今』に、降ろしてあげた方がいいよね」
「ありがと……」
「ねえ、サンディ」
「うん?」
「あんた、優しいし、素敵よ。お母さんは、それだけは分
かってる。今としてね」
「……」
「わたしがお母さんに張り付いてた午後。ずっと聞かされて
いたのは、あんたの自慢話だったから」
わたしに抱きついたサンディは、大声をあげて泣きじゃくっ
た。
そうだよね……あんたもまた……知らないうちに高いとこに
上がってたんだ。そらあ……しんどいわ。
サンディは、事態打開に向けて思い切った手を打った。
屋敷をたたみ使用人を全員退職させて、事業も全部整理した。
その資金を、お母さんを入居させる永住型老人ホームに注ぎ
込んだ。
サンディは、それをお母さんに正直に伝えたらしい。
わたしには家を継ぐ能力がないの。あれこれ心配しながら、
一生をびくびく過ごすのはしんどい。わたしが出来る範囲で
無理のないようにこぢんまり暮らしたい。
その方が、お母さんと一緒にいられる時間を増やせるの。
お母さんは……ただ微笑んでいただけだったそうだ。
老人ホームでの穏やかな生活が始まって。
お母さんがベルを振ることも、その必要もなくなった。
わたしはお母さんから娘第二号と認識されたようで、お見舞
いに行くととても歓迎してくれる。
二人で行ったお見舞いからの帰り道、トラムの中で何やら考
え込んでいたサンディに話しかけた。
「ねえ、サンディ」
「なあに?」
「お母さんはともかく、あんたはちゃんとベルを振りなさい
よ」
「……」
「そうしないと、わたしには分かんないからね」
少しはにかんだサンディが、深く頷いた。
「ありがと。そうさせて」
Calling You by Jeff Buckley