《ショートショート 0833》
『フェルト』 (なみだのいろ 1)
「高田くん、これ」
自分の席で友達とだべっていたら、同じ吹部部員の沢井がい
きなり机の上に何かを置いた。
「は?」
味もそっけもない、細長い木の小箱。
たぶん百均かどこかで買ったんだろう。
いや、それはいいけどよ。なに、これ?
沢井から渡されたのがもうちょい色っぽいものなら、俺は友
達から散々からかわれたと思う。
でも、それはどこからどう見てもただの木箱だった。
箱を置いたらもう用はないって感じで自分の席に戻ろうとし
ていた沢井を、慌てて呼び止める。
「おい、沢井ー。なによ、これ」
「マウスピースケースよ。管に付いてたやつでないのを買っ
たって言ってたじゃない」
「そう。オットーリンクのメタルだぜ。ぐひひ」
「あーあ、また尾崎せんせを怒らせるぞー。音出しやすいラ
バーのやつだって、まだしっかり音程取れてないのにさ」
「いいじゃん! 新しいのは部活じゃ使わねえよ。俺が自分
で好きな曲吹く時に使うんだから」
「それはいいけど、きちんと管理しないとすぐだめになる
よ」
「ぐむ」
いてて。それは確かに沢井の言う通りだ。俺はそこんとこが
がさつだからなー。
「さんきゅ。使わしてもらうわ」
ひょいと手を上げて応えた沢井が、席に着くなり課題曲のス
コアを開いて、音符を目で追い始めた。
「熱心だよなー」
俺がなんとなくそう言ったら、俺たちのやり取りを聞いてた
友達から一斉に突っ込まれちまった。
「てか、テル。おめー、もうちょい真面目に練習せんと」
「そだそだ!」
「ソロじゃなくて、アンサンブルなんだろ?」
「みんながベートーベン演ってる時に、おめーんとこだけ佐
渡おけさ鳴りそうじゃん」
ううー、ぼろっくそ。
「部員でないおまえらに言われたくねー」
「部員でなくたって分かるわ。このすちゃらか野郎が」
ちぇ。べっこりへこむわー。
−=*=−
ぴぎーっ! ぐぎゃーっ! ぴすーっ!
「だあああっ! くっそーっ!」
部の練習が終わってから、楽器庫の中でこっそり新しいマウ
スピースを付けて吹いてみたんだけど。惨敗。
このマウスピース、俺の言うこたちぃとも聞いてくれん。
音が暴れるわ、裏返るわ、息漏れるわ、ぼろっくそ。
見栄張って、ティップオープニング大きいの買っちまったか
らなー。全然抑えが効かねー。くっそ!
佐渡おけさ以前だぜ。これじゃあ、絞め殺されそうな牛の鳴
き声だよ。
なんつーかこう、もっと余裕のよっちゃんで、ぼーんと鳴
るっつーかさ。泣きのテナーサックスっぽい音が出るのを期
待してたんだけどなー。
やっぱ、安いから通販てのがよくなかったかー。ちゃんと試
奏してからにすりゃよかった。後悔先に立たずー。
でも、だからもう要らないってわけにはいかないよ。俺にも
ちょっぴりだけど意地がある。コンテスト曲をこれで吹くの
は無理にしても、簡単な曲くらいは吹きこなせるようにした
いじゃんか。
「めんどくせーけど練習すっか。はあ……」
ぴかぴかのマウスピースを外して、ハードケースにそのまま
放り込もうとして。ふと手が止まった。
『きちんと管理しないとすぐだめになるよ』
今朝の沢井の警告が、脳天にぐっさり突き刺さる。
「やべやべ。ちゃんとしまおう。早速使うか」
沢井にもらったマウスピースケースを開けて、はっとした。
「……」
確かに、百均の安物木箱さ。でも、中にはきれいにフェルト
が敷き詰めてあった。
よく見ると、箱の角も丁寧に削って丸めてある。ハードケー
スの中を傷付けないようにってことだろう。
それは……たぶん俺への好意ってことじゃないな。
逆だ。フェルトのように柔らかな沢井の抗議なんだろう。
『あんたはいいよね。何の苦労もなしで自分の楽器手に入れ
てさー』
「ふう……」
沢井の家は金持ちだ。
貧乏サラリーマンの俺ンちとは違う。
でも沢井んとこは姉貴がピアニスト志望で、音大のエリート
らしい。
親は姉貴の全面支援をしてて、ピアノ以外の楽器はカスだっ
て言って認めてねー。
沢井も努力してピアノを練習してたけど、才能のある姉貴と
違ってそこそこにしか上達しんかった。で、親があんたはも
ういいってサポを切っちまったんだ。
あいつは見かけによらず負けず嫌いだから、悔しかったろう
なあ……。
でも高校に入った沢井は、吹部でこれまでと全然違う楽器に
トライすることにした。
ピアノ以外頭にない親は、あんたの好きにすればって感じ。
金持ちなのに、あいつに楽器を買い揃えてやるつもりはない
らしい。
だから、沢井の使ってるのは学校の備品。
あいつが小遣い貯めて買った、中古のラバーマウスピースだ
けがあいつの持ち物だ。自分の楽器じゃねーから学校から持
ち出せない。校内でしか練習出来ねー。
あいつはすごく練習熱心なんだけどさ。それは、ここでしか
吹けないってこともあるんだよな。
家が金持ちなのに、何一つ自分の思うようにならない沢井。
カネはねーけど、とりあえず親に楽器を揃えてもらえた俺。
どっちがいんだか、分かりゃしねーな。
「……」
俺はマウスピースをしっかりフェルトでくるみ、沢井からも
らったケースに収めた。
「あんがとよ」
楽器庫を出ようとしたら、備品の楽器を戻しにきた沢井と鉢
合わせした。
「ああ、沢井ー。ケースあんがとな。ぴったりだったわ」
えへ。そんな感じで、沢井が照れた。
「よかったー」
「でな」
「うん?」
「こいつは、夏休みびっしりバイトして買ったんだよ。親に
ねだったんじゃねー。そりゃあ、楽器本体よりはずっと安い
けど、安もんのマウスピースじゃねえよ」
「そだね」
「まだ全然使いこなせねえけどさ。俺にとってはごっつい
チャレンジなんだ。だから、きちんと音出せるようになるま
で諦めねー」
「ふふ、そっか。ねえ、新しいの見せてくれる?」
「ああ」
俺はハードケースを床に下ろして慎重に開き、沢井のくれた
木箱からぴかぴかのマウスピースを出した。
「うわ……めっちゃかっちょいいー」
「だろ? でも、こいつは手強いわ」
「……。ねえ、吹いてみても……いい?」
「俺がくわえちまってるけど」
「かまわない」
「……」
俺は。黙ってサックスとマウスピースを沢井に渡した。
沢井はリガチャを緩めて俺のリードを外し、プラケースに収
めた。ポーチからウエットティッシュを出してマウスピース
を丁寧に拭くと、沢井が使ってるリードをはめて管につない
だ。
ストラップを首にかけて楽器を構えた沢井は、一発で芯の
通った音を出した。
ぱうあああっ! ぱらららららっ!
それは、いつも沢井が出してる少しくすんだ大人しい音じゃ
なく、普段小さく折りたたまれてる沢井の感情を解き放った
ような……そんなすぱっと突き抜けた音だった。
「くそっ!」
俺は頭に血が上った。
俺が出せねえ音を、軽々と出しやがって!
でも、楽器から出てくる音とは裏腹に。
沢井はだらだら涙を流しながら吹いて……いた。
「……」
ああ。沢井は……フェルトだ。
話し方はそっけないけど、よく気が利くし、尖ったところは
どこにもない。だから友達にも先生にも受けがいい。
きっと親に対しても、真正面から逆らったりしないんじゃな
いかな。
でも、それは沢井の本心じゃないよ。
あいつは……自分の柔らかい手触りとごつい中身の板挟みに
なっちまってて、すごく苦しいんだろう。
ぽたぽた床に涙を落としながらサックスを吹き鳴らす沢井を
見て……俺はそう思った。
ふと音が途切れて。
沢井は、まだぐすぐす泣きながら俺にサックスを返した。
「いい……マウスピース……だね」
「ちぇ。楽々吹きやがって」
「練習してるもん」
「だな。俺もがんばるさ」
俺は管からマウスピースを外し、リードを返して、あとはそ
のまま沢井からもらった木箱に戻した。
「あれ? 拭かないの?」
ウエットティッシュを持って構えてた沢井に向かって、がっ
つり笑ってみせる。
「うけけ。間接キス出来っからな」
「いやあああっ!」
どかんと真っ赤になった沢井が、マッハの速度で楽器庫から
逃げ出していった。
残された俺は、しょうがないから木箱に向かって話しかけた。
「今度、貸しスタで一緒に練習しようぜ。また、こいつを吹
かせてやっからさ」
Jumpin' At The Woodside by Arnett Cobb
あえてコブで。テキサステナーの大御所ですね。(^^)
『フェルト』 (なみだのいろ 1)
「高田くん、これ」
自分の席で友達とだべっていたら、同じ吹部部員の沢井がい
きなり机の上に何かを置いた。
「は?」
味もそっけもない、細長い木の小箱。
たぶん百均かどこかで買ったんだろう。
いや、それはいいけどよ。なに、これ?
沢井から渡されたのがもうちょい色っぽいものなら、俺は友
達から散々からかわれたと思う。
でも、それはどこからどう見てもただの木箱だった。
箱を置いたらもう用はないって感じで自分の席に戻ろうとし
ていた沢井を、慌てて呼び止める。
「おい、沢井ー。なによ、これ」
「マウスピースケースよ。管に付いてたやつでないのを買っ
たって言ってたじゃない」
「そう。オットーリンクのメタルだぜ。ぐひひ」
「あーあ、また尾崎せんせを怒らせるぞー。音出しやすいラ
バーのやつだって、まだしっかり音程取れてないのにさ」
「いいじゃん! 新しいのは部活じゃ使わねえよ。俺が自分
で好きな曲吹く時に使うんだから」
「それはいいけど、きちんと管理しないとすぐだめになる
よ」
「ぐむ」
いてて。それは確かに沢井の言う通りだ。俺はそこんとこが
がさつだからなー。
「さんきゅ。使わしてもらうわ」
ひょいと手を上げて応えた沢井が、席に着くなり課題曲のス
コアを開いて、音符を目で追い始めた。
「熱心だよなー」
俺がなんとなくそう言ったら、俺たちのやり取りを聞いてた
友達から一斉に突っ込まれちまった。
「てか、テル。おめー、もうちょい真面目に練習せんと」
「そだそだ!」
「ソロじゃなくて、アンサンブルなんだろ?」
「みんながベートーベン演ってる時に、おめーんとこだけ佐
渡おけさ鳴りそうじゃん」
ううー、ぼろっくそ。
「部員でないおまえらに言われたくねー」
「部員でなくたって分かるわ。このすちゃらか野郎が」
ちぇ。べっこりへこむわー。
−=*=−
ぴぎーっ! ぐぎゃーっ! ぴすーっ!
「だあああっ! くっそーっ!」
部の練習が終わってから、楽器庫の中でこっそり新しいマウ
スピースを付けて吹いてみたんだけど。惨敗。
このマウスピース、俺の言うこたちぃとも聞いてくれん。
音が暴れるわ、裏返るわ、息漏れるわ、ぼろっくそ。
見栄張って、ティップオープニング大きいの買っちまったか
らなー。全然抑えが効かねー。くっそ!
佐渡おけさ以前だぜ。これじゃあ、絞め殺されそうな牛の鳴
き声だよ。
なんつーかこう、もっと余裕のよっちゃんで、ぼーんと鳴
るっつーかさ。泣きのテナーサックスっぽい音が出るのを期
待してたんだけどなー。
やっぱ、安いから通販てのがよくなかったかー。ちゃんと試
奏してからにすりゃよかった。後悔先に立たずー。
でも、だからもう要らないってわけにはいかないよ。俺にも
ちょっぴりだけど意地がある。コンテスト曲をこれで吹くの
は無理にしても、簡単な曲くらいは吹きこなせるようにした
いじゃんか。
「めんどくせーけど練習すっか。はあ……」
ぴかぴかのマウスピースを外して、ハードケースにそのまま
放り込もうとして。ふと手が止まった。
『きちんと管理しないとすぐだめになるよ』
今朝の沢井の警告が、脳天にぐっさり突き刺さる。
「やべやべ。ちゃんとしまおう。早速使うか」
沢井にもらったマウスピースケースを開けて、はっとした。
「……」
確かに、百均の安物木箱さ。でも、中にはきれいにフェルト
が敷き詰めてあった。
よく見ると、箱の角も丁寧に削って丸めてある。ハードケー
スの中を傷付けないようにってことだろう。
それは……たぶん俺への好意ってことじゃないな。
逆だ。フェルトのように柔らかな沢井の抗議なんだろう。
『あんたはいいよね。何の苦労もなしで自分の楽器手に入れ
てさー』
「ふう……」
沢井の家は金持ちだ。
貧乏サラリーマンの俺ンちとは違う。
でも沢井んとこは姉貴がピアニスト志望で、音大のエリート
らしい。
親は姉貴の全面支援をしてて、ピアノ以外の楽器はカスだっ
て言って認めてねー。
沢井も努力してピアノを練習してたけど、才能のある姉貴と
違ってそこそこにしか上達しんかった。で、親があんたはも
ういいってサポを切っちまったんだ。
あいつは見かけによらず負けず嫌いだから、悔しかったろう
なあ……。
でも高校に入った沢井は、吹部でこれまでと全然違う楽器に
トライすることにした。
ピアノ以外頭にない親は、あんたの好きにすればって感じ。
金持ちなのに、あいつに楽器を買い揃えてやるつもりはない
らしい。
だから、沢井の使ってるのは学校の備品。
あいつが小遣い貯めて買った、中古のラバーマウスピースだ
けがあいつの持ち物だ。自分の楽器じゃねーから学校から持
ち出せない。校内でしか練習出来ねー。
あいつはすごく練習熱心なんだけどさ。それは、ここでしか
吹けないってこともあるんだよな。
家が金持ちなのに、何一つ自分の思うようにならない沢井。
カネはねーけど、とりあえず親に楽器を揃えてもらえた俺。
どっちがいんだか、分かりゃしねーな。
「……」
俺はマウスピースをしっかりフェルトでくるみ、沢井からも
らったケースに収めた。
「あんがとよ」
楽器庫を出ようとしたら、備品の楽器を戻しにきた沢井と鉢
合わせした。
「ああ、沢井ー。ケースあんがとな。ぴったりだったわ」
えへ。そんな感じで、沢井が照れた。
「よかったー」
「でな」
「うん?」
「こいつは、夏休みびっしりバイトして買ったんだよ。親に
ねだったんじゃねー。そりゃあ、楽器本体よりはずっと安い
けど、安もんのマウスピースじゃねえよ」
「そだね」
「まだ全然使いこなせねえけどさ。俺にとってはごっつい
チャレンジなんだ。だから、きちんと音出せるようになるま
で諦めねー」
「ふふ、そっか。ねえ、新しいの見せてくれる?」
「ああ」
俺はハードケースを床に下ろして慎重に開き、沢井のくれた
木箱からぴかぴかのマウスピースを出した。
「うわ……めっちゃかっちょいいー」
「だろ? でも、こいつは手強いわ」
「……。ねえ、吹いてみても……いい?」
「俺がくわえちまってるけど」
「かまわない」
「……」
俺は。黙ってサックスとマウスピースを沢井に渡した。
沢井はリガチャを緩めて俺のリードを外し、プラケースに収
めた。ポーチからウエットティッシュを出してマウスピース
を丁寧に拭くと、沢井が使ってるリードをはめて管につない
だ。
ストラップを首にかけて楽器を構えた沢井は、一発で芯の
通った音を出した。
ぱうあああっ! ぱらららららっ!
それは、いつも沢井が出してる少しくすんだ大人しい音じゃ
なく、普段小さく折りたたまれてる沢井の感情を解き放った
ような……そんなすぱっと突き抜けた音だった。
「くそっ!」
俺は頭に血が上った。
俺が出せねえ音を、軽々と出しやがって!
でも、楽器から出てくる音とは裏腹に。
沢井はだらだら涙を流しながら吹いて……いた。
「……」
ああ。沢井は……フェルトだ。
話し方はそっけないけど、よく気が利くし、尖ったところは
どこにもない。だから友達にも先生にも受けがいい。
きっと親に対しても、真正面から逆らったりしないんじゃな
いかな。
でも、それは沢井の本心じゃないよ。
あいつは……自分の柔らかい手触りとごつい中身の板挟みに
なっちまってて、すごく苦しいんだろう。
ぽたぽた床に涙を落としながらサックスを吹き鳴らす沢井を
見て……俺はそう思った。
ふと音が途切れて。
沢井は、まだぐすぐす泣きながら俺にサックスを返した。
「いい……マウスピース……だね」
「ちぇ。楽々吹きやがって」
「練習してるもん」
「だな。俺もがんばるさ」
俺は管からマウスピースを外し、リードを返して、あとはそ
のまま沢井からもらった木箱に戻した。
「あれ? 拭かないの?」
ウエットティッシュを持って構えてた沢井に向かって、がっ
つり笑ってみせる。
「うけけ。間接キス出来っからな」
「いやあああっ!」
どかんと真っ赤になった沢井が、マッハの速度で楽器庫から
逃げ出していった。
残された俺は、しょうがないから木箱に向かって話しかけた。
「今度、貸しスタで一緒に練習しようぜ。また、こいつを吹
かせてやっからさ」
Jumpin' At The Woodside by Arnett Cobb
あえてコブで。テキサステナーの大御所ですね。(^^)