《ショートショート 0804》


『上陸』 (トリロジー 11)


暖かくおおらかな海の羊水を拒み、無慈悲で渇いた陸上へ。

なぜそんな無謀なことに挑んだのか、理由を思い出そうとし
ても思い出せない。

でも、事実としてわたしは陸の上にいる。



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そこは陸地と言っても、海の腕(かいな)を感じられる場所。
汀線。

わたしは、どうするかをまだ決めかねていたのかもしれない。
両腕を砂に突いて立ち上がろうとしていたわたしは、頭上に
降ってきた声に驚いて、また体を伏せた。

「どうした?」

ひげもじゃの野蛮そうな男。
鋭い目つきでわたしを見下ろしている。

「……」

わたしが返事をせず黙していたら、男はくるりと背を向けて、
陸の奥に歩み去ろうとした。

慌てて声をかける。

「あの!」

「なんだ?」

「ここは?」

「浜だよ。あんたみたいのが、いっぱい打ち上げられる」

……。わたしだけではないの?

「その人たちは?」

「いろいろだな」

男は波をせき止めようとするかのように、両腕をいっぱいに
広げて、わたしに向き直った。

「海に帰る者もいれば、迷って浜にずっと漂う者もいる」

「陸に上がる人はいないんですか?」

「ほとんどいない」

「なぜ?」

「陸に耐えられないからさ。陸にいれば渇く。あらゆる意味
でな」

「……。じゃあ、なぜわたしみたいに上陸しようとするんで
しょう?」

「それは俺らには分からない。俺らは陸の生き物だ。それな
のになぜ海に身を投じるのか。それを問うのと同じくらい、
難しいことなんだろうよ」



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男の口調はつっけんどんだったけど、棘や敵意を含んでいな
いように思えた。

「あの……」

「なんだ」

「わたしを……陸に連れて行ってくれませんか?」

「断る」

短い、きっぱりとした拒絶。

「俺らは、あんたらに手を貸してはいけないことになってい
る。それが掟なんだ」

「なぜ、ですか?」

「あんたらは海の生き物だ。陸にはそもそも適応出来ない。
それを無理に陸に馴染ませようとすると、すぐに逃げ出そう
とする。手助けした俺らは、その時に海に引きずり込まれて
しまうんだよ」

「……」

「あんたが真に陸で生きたいと願っているのなら、あらゆる
苦難を自力で凌げ。俺は、そうしろとしか言えん」

わたしを突き放した男は、大股で歩き去った。
まだひ弱なわたしは、あっという間に遠ざかっていく背中を
恨めしげに見送るしかなかった。



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「ガレオン。見回ってきたのか?」

「ああ。今年もこのシーズンが来ちまったな」

「厄介なことだ」

「しょうがないさ。太古、俺らの祖先は海で暮らしていた。
その記憶の残滓が、時に俺らを海に引きずり込む。そうして
海魔が生まれる。生まれてしまう」

「ああ。そいつらが陸で暮らしていた頃の自分を取り戻そう
として、大潮に乗じて上陸してくる……と」

「だが、海魔は陸の上では何も力を持たない。何も出来ない。
再び人として生きるには、まず海を捨て去る決意が要る」

「そうだな。ほとんどの海魔はそこで挫折して海に還る」

「時に俺たちを巻き添えにして、な」

「……」

「海から生まれ、海に還る、か。なかなかポエティックでは
あるが、あえて因果の罠に足を突っ込みたくはないね」

「ははは。そうだな。俺たちは、やっと海の呪縛から抜け出
せたからな」





Le Sirene by Vinicio Capossela