《ショートショート 0772》


『枠』 (ふゆのひざし 7)


「終わったんだなあ……」

わたしは、受験会場になっていた大学講堂の玄関口で一度立
ち止まり、ちらつく雪を見上げた。

春の雪。
緊張と気合いで上気していたわたしの頬に落ちて、すぐに溶
ける。

いくつもの雪片が頬に付いては溶け、それは寄り集まって、
まるで涙みたいに流れ落ちていく。

わたしは俯いて、両手でそっと自分のお腹を押さえた。

「うん。一番がんばったのはあんただね。偉いぞ!」

この入試の結果がどうであっても、わたしは試練を自力で乗
り越えたことを心から誇りに思うだろう。

薄い雪雲の向こうにぼやっと太陽。
まるで、わたしの自信みたいだ。

今は力なく、頼りなく見えるけど、やがてこの雪ごと全てを
光の向こうに押し流すんだろう。


           -=*=-


「ただいまー」

「あ、みっちゃん、どうだった?」

「うん、落ち着いて出来たわ」

「わ! すごおい! お腹、保ったんだ」

「薬飲まなくても行けた」

「信じられないね」

お母さんがまだ少し心配そうに、湿雪でべちゃべちゃに濡れ
て帰ってきたわたしを見回した。

「そうだね。でも……」

「うん」

「自分で枠を壊さないと、わたしはずっと枠の中で飼われな
いとなんないから。そんなの、絶対にやだもん」

「だけどさー……」

「あはは。もう、いいじゃん。受かってもダメでも、次はみ
んなと同じところからスタート出来る」



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枠。
この半年、ずーっとわたしを苦しめてきたもの。

わたしには、試験みたいに緊張がひどくなるとそのストレス
が即お腹の不調に繋がるっていう持病があった。
お母さんもお父さんも線の細いわたしを心配して、受験を回
避して推薦枠を利用して進学することを勧めてくれた。
わたしも、最初はそれでいいと思ってたんだよね。

だけど……。

わたしの成績じゃ、志望した大学の推薦枠の中に入れなかっ
たんだ。
大学のレベルを落とすか別の学科に変えれば、推薦枠を利用
することは可能だった。
先生も、その方がいいよってわたしにプレッシャーをかけた。

親も先生も、努力して上位の枠を使えって言わなかったんだ。

『あんたは、こっちの枠に入りなさい』

わたしが入れるはずだった枠が、目の前で一つ、また一つと
塞がっていく。
まるでわたしは、狭い囲いの中にどんどん追い込まれていく
家畜みたい。
自分の将来を作るための進学なのに、わたしにはそれが搾り
かすみたいに思えて来ちゃったんだ。

ストレスに勝てる自分をがんばって作れないと、わたしはこ
れからもずっと二番目、三番目の枠にしか入れてもらえなく
なっていくだろう。

職も、伴侶も、何もかも。
あんたは、この枠で我慢しなさいって言われて。

それは枠を作る人たちが悪いんじゃない。
プレッシャーに打ち勝てないわたし自身が悪い。
自分が……弱すぎるだけなんだ。

だから。推薦枠を使わない。一般入試で合格を目指す。
普通の子には当たり前のことが、わたしには一大決心だった。

そこから先は……まさに戦い。
半年の間に数限りなく模試を受け、でも最後まで会場にいら
れたのは数えるくらいしかなかった。
みんなが真剣な顔で答案用紙に鉛筆を走らせている中を、お
腹を押さえながら退場する恥ずかしさ。

でも、それを気にしていたら本番に間に合わない。
わたしは必死だった。
とにかく試験の雰囲気に慣れるしか、慣らすしかなかったん
だ。

本番直前の模試も途中退場。惨敗だった。
でも、それで逆に覚悟が出来た。

一発勝負。
わたしは、この半年間自分に出来ることは全部やってきた。
その努力は絶対に無駄にならないよって、自分に強く言い聞
かせた。

そして、今日の本番。賭けは見事に当たった。
わたしのお腹は一度もごろごろ鳴ることなく、わたしは落ち
着いて試験に向き合うことが出来た。

ああ、それは。
わたしが、わたしの枠を壊せた瞬間。
試験に合格することよりも、わたしはそれが何より嬉しかっ
たんだ。



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「ともかく、お疲れ様。晩ご飯は何食べたい?」

「ちらし寿司ー」

「おっけー!」

お母さんが、肩の荷が下りたって顔でキッチンに向かってぱ
たぱた走って行った。


           -=*=-


受験が終わった次の日は、きーんと冷え込んだけど、すかっ
晴れになった。
わたしはパジャマのままで家の外に出て、目を細めて青空を
見上げる。それから両手の指で枠を作って、空にかざす。

それはわたしが作った枠。
でも、空にはどこにも枠なんかない。
ほら、こうして手をどかせば、すぐに一面の青空に戻る。

わたしは、空みたいにはなれないけどさ。
でも、これからもっともっと枠を壊さないとね。
わたしが、自分をすごいぞってほめてあげられるように。

太陽に向かって、ぽんと両腕を突き上げる。
がんばるぞーっ!……って叫ぶつもりだったけど。

でっかいくしゃみが出た。

「ひぐしっ! うくしっ!」

ぶー。次の枠は花粉かあ……。





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