《第十三話 かくしとびら》

(2)



まあ。

とりあえず今日は大きな混乱もなくして。
静かに授業が終わった。
さすがに、授業中に壁に寄っかかる生徒はいないもんね。

ということで、わたしは予定通りアズールへ行こうと
思ってたところに。

いいんちょがあわてて飛んできた。

「あ、みゆ、悪ぃ。朝言い忘れてた。ビーバーの補習」

ぎゃお!
だぶるぶっきんぐかあ……。
むぅ。

でも、ビーバーの補習は別の日でも受けられっけど、中
村さんとの約束はそうそう変えられない。
正直に言って、ビーバーにおっけーをもらおう。

「いいんちょ、ありがとー」

「悪ぃね」

いいんちょも責任感強いからなあ。
しまったーって顔してる。
いいよ、いいよ。
いいんちょにはいっつも助けられてるから。

わたしはしっかりいいんちょに笑顔を見せて、補習室に
行った。

こんこん。

扉の向こうで、あら、という驚いた声がした。

がららっ。

「石田さん、どういう風の吹き回し? ノックするなんて」

「えへへー、実わ、ちょっとお願いが」

「やっぱりぃ!」

ばれちった。

「すいません。今日は、先約でちょっと人と会わないと
ならないんで、補習を受けられないんすよ」

「どなたと会われるの?」

しもたー。そういやビーバーも先生だったにゃ。
生徒の行動監視の委員もやってたんだ。
どないしょ。

でも、隠すわけにもいかない。
別に遊びに行くわけでもないし。

「兄の彼女さんです。絵を描く人なんですけどぉ、今個
展されてて。そう言うのって、見に行くチャンスがあん
まないんで」

ウソは言ってない。
そのまんまだ。

「ええと、場所はどこなの?」

「殿山のアズールっていうフリースペースです」

「殿山ねえ……」

ネオンぴかぴかのところじゃないけど、にぎやかなのは
間違いない。
さあ、どう言ってくるかにゃあ。
だめって言われると、ちときびしー。

「じゃあ、わたしも一緒に行きましょ。絵なんか久しく
見てないし」

おおっ!
そう来たかぁ。

でも、別にビーバーがいて困ることもないし。
お墨付きがもらえる。
ばっちぐー。

「わざわざすみませーん」

「いいのよー、勉強ばっかじゃ息詰まるしね」

ううう、すんませーん。
息詰まるほどべんきおしてまへーん。
でも、この件が片付いたら、必ずや、必ずやー。


        -=*=-


「こんちわー」

アズールのドアを開ける。

あ、この前のと違う配置、違う作品だあ。
すごいなー。

「あ、みゆちゃん、来てくれてありがとー。この前も来
てくれたんだって?」

あっちゃあ!
そりは言って欲しくなかったー。
一人でここに来たことが、ビーバーにばれちったよう。
まあ、開き直るしかないっすね。

「はい、この前来た時は中村さんいなかったので、作品
だけ」

「あの、そちらは?」

中村さんがビーバーの方を見る。

「初めまして。美津沼学園の英語教師をしております、
馬場と申します」

ビーバーがきれいなお辞儀を見せる。
さすがだなあ……。

「みゆちゃんの先生ですか。わざわざお越しくださって
ありがとうございます」

中村さんが、にこっと笑って会釈を返した。

ビーバーが会場を見回して、ふっとつぶやいた。

「いい絵ですねえ」

照れたように、中村さんが答える。

「いやあ、皆さんにこんな下手な絵を見せるのは恥ずか
しいんですけど……」

「とても暖かい、いい絵だと思いますよ」

そう言ったビーバーが、くるっと中村さんの方を向いた。

「心の暖かい人が暖かい絵を描けるのは、当たり前なん
です。でもね、心を暖かくしようとして描く絵は……」

「別格なんですよ」

中村さんが、じっとビーバーを見る。

奥からおばさんが出てきた。

「あら、みゆちゃんじゃない」

「また来ちゃいましたー」

「そっちは例の先生かい?」

「はい、わたしにしっかり教えてくれる大事な先生です」

「あら、嬉しいわあ」

ビーバーが、そう言ってくすくす笑った。

「まあ、立ち話もなんでしょう。座んなさいな。紅茶い
れたげる」

わたしたちが腰を下ろしたところで、中村さんがビー
バーに聞き返した。

「あの馬場先生、先ほどの……?」

「あら」

ビーバーがふわっと笑う。

「あなたは、マッチ売りの少女のお話をご存じ?」

「はい」

「持っているものを描いても、それ以上にはならないわ。
自分にないもの、切望しているもの、それは実物よりも
ずっと美しく描かれる」

「そういうこと」

中村さんがうつむいた。

ビーバーが絵に目をやる。

「あなたが幸福の真ん中にいれば、絶対にこういう絵は
描けない。探して、迷って、とまどって。だからこそ。
それは羽化して、こんなきらきらした姿になるの」

「うん、とってもいい絵」

そっか……。
わたしが最初に見た時も。
絵の中に吸い込まれそうだったもん。

中村さんが、まだ手にしてないものがここにある。
だからわたしは、それにすごくひかれたんだろなあ。

「ふう……」

中村さんが一つ溜息をついた。

「絵って……怖いですね」

「そう?」

「自分が全部出ちゃう」

「もちろん、そうよ。でも、だからあなたは絵を展示す
ることになさったんでしょ?」

「はい」

中村さんが寂しそうに笑う。

「わたしは父にも、兄にも疎まれて育ってきました。エ
リート一家の出来損ない。そう、言われ続けて。家庭に
暖かい思い出がないんです。今でも居場所がなくて、帰
りたくなくて」

うわ……。

「だから、石田さんのお宅にいるとね。ものすごくうら
やましいの。みんな言いたいこと言ってるけど、ちゃん
とお互いを支えあってる。あったかいなあって」

「で、それに嫉妬しちゃうんですよ。この前も、進がみ
ゆちゃんからのSOSで、わたし放って吹っ飛んでいっ
たでしょ?」

あたたたた……。

「ごめんなさい……」

「いや、あれが進のいいところだもん」

じっとそれを聞いてたビーバーが、ひょいと指を出して
中村さんの額をつんと小突いた。

「あの?」

「あなたね。家庭も幸せも、あるものじゃなくて作るも
のなの。チャンスがあるなら、がんばりなさい」

ビーバーはまた目をそらして、絵を見た。

「わたしは、この年まで独身で生きてきました。あなた
のお宅と同じようなものよ。ひどい家庭で生まれ育った
から、わたしは幸せになるっていうことを信用しなかっ
たの。当然、誰かを幸せにするという発想もなかった」

「それが……今のわたしの姿」

ビーバーがふっと顔を戻す。
笑顔はずっと変わらない。

「わたしのように……ならないでね」

すっごい、重い。

「さあさあ、あんま重っ苦しい話してるとハゲるよー」

ずべ。

おばさんが紅茶を持って来てくれて、雰囲気がゆるく
なった。





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