《第六季 春再び 旅立ち》

[三日目 旅立ち]


塔を出たわたしたち。

でもわたしたちは、クーベがどのように旅立つのか聞か
されていない。

「ねえ、どういう手はずなの?」

クーベは初めてその方法を明かした。
島の一番高い岩の突端を指差す。

「僕は、あそこから旅立つ」

ええーっ!

わたしたちは全員絶句する。

船、じゃないの?

どんな方法か、想像もつかない。

「さあ、時間がない」

クーベが慌て出した。

急かそうとしたクーベに、どうしても一言だけ言いた
かった。

「クーベ、今まで本当にありがとう。わたしはクーベを
絶対に忘れない! 何があっても!」

クーベが、茶目っ気のある笑顔をわたしたちに向けた。

「なんだ、最後のお別れみたいなことを言わないでくれ
よ。いい旅を、だけで充分さ」

え?

「会える形は変わるだろうけど、僕たちはまたきっとど
こかで会えるよ。海にいればね」

クーベが、トマスとメイオの頭にぽんと手のひらを置いた。
わたしの知ってる大きな暖かい手じゃなくて、わたしみ
たいな白くて華奢な手。
でもそこから伝わってくるものは、今でも変わらないん
だろう。

「それを、トマスもメイオも忘れないでね」

二人は神妙な面持ちで頷いた。
でも、意味は分かってないに違いない。
わたしにも分からないんだから。

そう言い終わったクーベは、その場で服を脱いで、それ
を畳んで塔の脇に置いた。

透けるような白い裸体。
わたしと何も変わらない、若い女性の裸体。
純白の髪を海風になびかせて、裸足で斜面を駆け上がっ
ていく。

でも、その途中で一度だけ振り返って大声で怒鳴った。

「ぐずぐずするなーっ! 沖に一番近いところまで筏を
出して待機してろっ!」

その剣幕に弾かれたように、わたしたちは一斉に筏に
走った。

練習の時のように帆を上げ、トマスが舵を操って、いつ
ものポイントに出る。
やっぱりそこで無風になる。
波が筏を押し戻そうとする。

でも、今日はいつもと同じじゃだめなんだ。
クーベと打ち合わせしたように、ここで波に戻されない
ように、この場所をキープしとかないとならない。

神経を張り詰めて帆を操作し、少しの風でも拾う。
トマスは櫂で、少しずつ筏を沖に向ける。

メイオが大きな声で叫んだ。

「あれ! クーベだーっ!」

切り立った岩の突端で、クーベは両手を真横に広げて、
まるでこれから岩礁に飛び込むかのような姿勢で立って
いた。

これまでも、時々わたしに見せていた姿勢。
でも、あんなところで!

自殺?
そんなわけない!
あれほど生きるということにどこまでもしがみついてた
クーベが、そんなことをするはずは絶対にないっ!

でも、その危うい姿勢に、わたしたちの心臓は張り裂け
そうになる。

あ、いけない!

「トマス! がんばってっ! 筏が戻っちゃう! メイ
オ! クーベから目を離さないでねっ!」

「うんっ!」

わたしたちは必死に筏を待機位置に戻した。
その時だった。

「ああああーーーーっ!!!」

メイオが絶叫した。

両腕を真横に伸ばしていたクーベの背丈が縮んでいく。
その後ろに、体から剥がれた破片のようなものが飛んで
いく。
伸ばした両手には羽が生え揃い、頭と足はうんと縮んで。

そうして。
それは。

ふわりと空に舞い上がった。

アホウドリ!

アホウドリだ!

ものすごく大きなアホウドリだ!

そうか。
そうだったのね。

クーベが待ち望んでいたもの。
それは、本来の自分の姿に戻ることだったのね。

雛のうちは、卵を産んでこどもを育てることはできない。
クーベは大人になるのを、何年もかけてじっと待って
いたんだろう。

「おねえちゃんっ!」

トマスの大声で我に返る。

いけないっ!

この時を逃したら、チャンスがなくなるっ!

だらっと垂れ下がったままの帆。

ねえ、風は?!

風は来ないの?!

わたしは両腕を筏から出して、力いっぱい水を掻いた。
トマスも必死に櫂を動かす。

ほんの少しの風でいい!
わたしたちをここから押し出す、ほんの少しの風でいい
の!!

ねえ、お願い!
クーベ、お願い、教えて!
教えて!!

どこに?
どこに風があるの?!

ふと目を上げたところ。
わたしたちのほんの少し前の上空に、さっき飛び出した
アホウドリが浮いていた。

翼をいっぱいに広げて、顔をわたしたちに向けて、ゆっ
たりと。

「そっかああああっ!!!」

わたしの叫びに、トマスとメイオがびっくりして振り向
いた。

「トマスっ、メイオっ、風はそこよーっ! クーベが教
えてくれてる! そこまでがんばろう! 死に物狂いで
漕ごう!」

わたしたちは、気が違ったみたいにばしゃばしゃと水を
かき回した。
筏が進んでるかどうか、そんなの確かめてる余裕なんか
ない!

負けるもんか!
絶対に負けるもんかーっ!!!

ダグがくれた勇気。
クーベがくれた愛情。
リロイが生かせなかった財産を、わたしは絶対に無駄に
するわけにはいかないっ!

すぐそこっ!
すぐそこに、わたしたちの未来への道があるんだっ!

負けるもんかーーーっ!!!

まるで錨を下ろしたかのように、ぴくりとも動かなかっ
た筏が、少しずつ沖に動き出した。

「もう少し、もう少しよーーっ!!!」

わたしがそう叫んだ次の瞬間。

ぱんっ!

小気味いい音がして、帆がいっぱいに膨らんだ!

「トマス、舵についてっ!」

「はいっ!」

「メイオっ、揺れるからしっかりマストにつかまるの
よっ!」

「うんっ!」

さっきまでの死闘はなんだったんだろうか、そう思うほ
どあっけなく。

筏はするりと沖に出た。

突き出ている岩礁に気をつけなければならないけど、筏
は沈んでる部分がほとんどないから楽だ。

クーベが、わたしたちにボートは無理だって言ったのが、
よーく分かった。

小さいボートにわたしたち三人と荷物を乗せれば、海中
に沈んでるところが多くなる。
その船底が岩に当たったら、壊れてすぐに沈没しちゃう。
不慣れなわたしたちは、岩礁を抜けられなかっただろう。

わたしは、改めてクーベの深い配慮に思いを馳せた。

岩礁地帯を離れたところで、空を見上げる。
アホウドリになったクーベは、まだわたしたちを見守る
ように、上空に浮かんでいた。

わたしは、それに向かって大声で叫んだ。

「クーベーっ! わたしたちは大丈夫よーっ! なんと
かやってくからーっ! 元気でねーっ! また会おう
ねーっ!」

そうして。
トマスとメイオと三人で、大きく手を振った。

静かに。
ゆったりと空に浮かんでいたクーベは、それを確かめる
ようにして何度か上空を旋回して。

わたしたちから遠ざかっていった……。

トマスがわたしに聞く。

「ねえ、おねえちゃん、これからどうするの?」

「ええと。まずね、この島以外の島か、船を探しなさ
いって。船の往来の多いところだから、そんなに難し
くないだろうって、クーベが言ってた」

「そっかあ」

「それは目のいいトマスの仕事ね」

「うん!」

わたしは振り返って、遠ざかっていく島を見た。

小さな塔と、斜面を埋め尽くす花。

わたしは思い返す。

島で過ごした六つの季節。
六季。

その季節ごと。
わたしは形作られた。

辛い別れも。
生きるための苦悩も。
わたしは乗り越えてきた。

たくさんの生命に彩られ。
たくさんの涙に磨かれて。
わたしは強くなった。

空っぽで何もなかったわたしが。
こんなにも満たされた。

わたしにとって、何ものにも代えがたい救いと成長と。
そして何より、未来を目指す力をくれたのは。

島じゃない。

ダグとクーベだ。

そこにいた、同じ悩みを抱える仲間。
同じように過去を失い、心に傷を持ちながら、それで傷
つけ合うことなく、互いの旅立ちを支え合った。

そう、わたしはどこまでも幸運だった。
でも、その幸運を独り占めすることはできない。

トマスとメイオがわたしと同じように悩み、いっぱい泣
いて、そこから自分の明日をつかみ取るのを、わたしな
りに手伝ってあげなければならない。

そして、旅立ったクーベがこれから仲間を増やすように。
いずれわたしも恋をしてこどもを産み、育て、その子を
羽ばたかせないとならない。

それが。
わたしの望む未来であり、夢なのだから。

遠ざかる島をじっと見ていたわたしに、トマスが声をか
けた。

「ねえ、おねえちゃん」

「なに?」

「ぼくたち、しまを出たけど、しまのことはおぼえてるね」

「そうね」

わたしは、もう一度島を見やる。

「ねえ、トマス。あの島は、一度出るともう二度と戻れ
ない。島のヒミツを知っていても、戻って確かめようが
ないの。だから島にとっては、出ちゃった人はどうでも
いいんでしょ」

「ふうん、へんなの」

「ふふっ。その変なところにわたしたちはいたのよ。そ
して、わたしはトマスとメイオに出会えた」

わたしは、ぐいっと思い切り胸を張る。

「これから。これからよ。長い旅はこれから始まるの。
がんばろうねっ!」

「うんっ!」

筏の帆は、風をはらんでいっぱいに膨らむ。
筏はぐんぐん速度を上げて、波を切って進む。
島は、あっと言う間に小さくなっていって。

やがて見えなくなった。

そして、その代わりに。
わたしたちの目に、別の島影と行き交うたくさんの船が。



      ……飛び込んできた。





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