《第六季 春再び 旅立ち》

[二日目 午後]


前日だからと言って、僕は何も特別なことはしなかった。

いつものように釣りをし、草を摘み、篭罠を見回る。
でも、今日は道具を全部塔に引き上げておかないとね。
どうせ、次の住人たちはすぐに来るんだろう。

今度は、ペーターや僕のようなガイド役はいない。
この島で生きるための取り組みは、彼ら自身が工夫して
しなければならない。

そのためには、道具だけはないとどうにもならないからね。

塔の後ろ側の分かりやすい場所に、薪を積み変えた。
よし。

泉や倉庫は、塔を見回ればすぐに分かるだろう。
倉庫の食料の在庫は、リファが作ったリストを参考書の
横に置いてあるから、それで確かめられる。
これも、よし。

それ以外のルールみたいなものは、彼らで考えてくれれ
ばいい。
どうせ、僕らにはどうにも出来ないことだし。

筏に乗る三人を連れて、最後の練習をする。
リファやトマスはもう慣れてるだろうけど、メイオが加
わったから。

「メイオ、筏は揺れるから、立って歩かないようにな」

「うん」

「トマス。舵に気を取られすぎないように、ちゃんとメ
イオを見てやれよ」

「わかったっ!」

よし。

一応、いつものように沖に出る一歩手前まで筏を操作し
てもらう。
そこで無風になって、波で押し戻されるのも同じだ。

「よーし! 戻ってきて」

浜に上がったリファが、僕に弱音を吐いた。

「明日、本当に出られるのかなあ?」

「リファ!」

僕が笑顔を消したことに気付いたリファが、俯いた。

「ダグの残した言葉を思い出して。自分に負けるな!
リファが出られないと思ったら、絶対に出られないよ」

「……うん」

トマスがリファの背中を叩く。

「だいじょうぶだよ、おねえちゃん! ぼくがついてる!」

「あ、あたしもっ!」

メイオも、精一杯の気持ちでそう言ったんだろう。

「……そうね。わたしが弱気になってちゃ、意味ないね」

僕はその表情を確かめてから、空を仰いだ。
すいすいと、頭上を横切るいくつもの影。

海鳥の渡来が……本格的に始まったな。


$いまじなりぃ*ふぁーむ-sim



「最後の夕食なんだね」

リファが、ぽつりと言った。

さっきまで賑やかにご飯を食べていたトマスとメイオが、
急に黙った。

「いやあ、夕食はこれからもあるさ。そうしないと生き
ていけないからな」

リファが僕の顔を見る。
もう、その頬に涙が光ってる。
今からそれじゃ、明日が乗り切れないぞ。

僕はどこまでも心配になる。

「なあ、リファ。何度も同じことを言わせてもらう。生
きていくのは、楽しいことばかりじゃない」

「……」

「僕らは命をつなぐために、アザラシやカモメを仕留め
る。それは血なまぐさい、むごたらしいことだ。でも、
かわいそうとか、やりたくないと言ったら、僕らはここ
では生きていけなかった」

「ん……」

「それと同じだ。自分の未来を探しに行こうとするなら、
代わりに犠牲にしなければならないものがある。それが、
今どんなに大切に思えるものでもね」

僕はリファにだけでなく、トマスやメイオにも言った。

「この島は君たちの過去を消してくれる。でも、この島
での過去は消してくれないかもしれない。それを……乗
り越えてね」

三人とも、ぐすぐすと泣きながら頷いた。


$いまじなりぃ*ふぁーむ-sim



静かな夜。

部屋で、ベッドで横になって。
これまでのことを考える。

僕は、ユーリって人の代わりにこの島に来たらしい。
僕にはその時の記憶がない。

ほとんど何も知らない。
ほとんど何もできない。
でくの坊みたいな僕を辛抱強く育ててくれたのは、ペー
ターだった。

僕にとって、ペーターはまるで父親だった。
博識で、冷静沈着。
怒りや嘆きを剥き出しにせず、いつも朗らかだった。

シエロは男だったけど、僕にとっては母親代わりだった
かもしれない。
いつも僕を気遣い、フォローし、助けてくれた。

僕には、それがまるで両親の記憶のように刷り込まれた。
僕は、この島ではとても恵まれていたように思う。

こんこん。
扉がノックされる音がした。

「リファか? どうした?」

そっと扉が開いて、リファが入ってきた。

「不安なの。眠れないの」

「……」

「明日でみんな変わってしまう。わたしたちの暮らしも、
クーベも、運命も! わたしは……わたしは……耐えら
れないっ!」

そうしてベッドの端に倒れ込み、顔を覆って号泣し始めた。
僕は、そっとその髪を撫でる。

リファが喘ぎながら、僕を問い詰める。

「ね、ねえっ! どうしてクーベは……そんなに……い
つも冷静なのっ?! こっ、怖くない……の? ひくっ」

「そうだなあ……」

僕は、角灯の灯りを見つめる。

「ねえ、リファ。リファはこれまで、僕に男を感じたこ
とがあった?」

何を聞くんだろうっていう風に、リファが顔を上げて僕
を見た。

「そう言えば……」

「リファは、トマスが男、メイオが女に見えるかい?」

「見える……けど」

「僕にはね、トマスもメイオもこどもにしか見えない。
男女以前なんだよ」

「あ……」

「今リファが見てる『僕』は、仮の姿さ。これは島で与
えられたものだ。僕の本来の姿じゃない。それは、僕の
見かけがどんどん変わってることからも分かるでしょ?」

「……ええ」

「僕はね……」

僕はベッドから降りて、窓を開けた。

夜空に星がいっぱい散らばっている。
かすかな潮風が頬を撫でる。

「……こども、だったんだよ。未成熟だったの」

「……」

「僕の中身は、最初は何もなかった。僕を形作ったのは、
いろいろ教えてくれたペーターとシエロ。彼らは、僕の
両親の代わり。彼らがいなくなったのは、僕の旅立ちの
促し。そして、僕は待ってたんだ。ずっと待ってたんだ」

「何を?」

「おとなになるのをね。それが、明日なんだよ」

リファは黙って僕を見つめている。

「泉で体を洗っている時、リファは僕に聞いてたでしょ?
なぜ、そんなに熱心に洗うのかって」

「……うん」

「あれはね、自分の変化を見落とさないようにするため。
おとなになるサインをね」

「……」

「僕は、ずっと。……ずっと、ずっと待ってたんだよ」

僕はリファに向き直って、上着を脱いで裸の上半身を見
せた。

「ほら」

リファが、どすんと腰を抜かした。

「ク、クーベ!」

「もう一度言うね。僕は、これまで男でも女でもなかっ
たの。ただ、こどもだった。これでやっとね。旅立てる
ようになる。自分の意志で、相手を探して。命をつなぐ
ためにね」

呆然としていたリファが、我に返ったように聞いた。

「旅立つって……どうやって?」

僕は上着を着直して、笑顔を見せた。

「それも……明日には分かる」

窓から、少し強い風が入ってきた。
僕は無意識に両手を真横に広げて、少し顔を上げる。
風を。
風を探して、受けなければ。

「リファ。明日は、旅立った僕から目を離さないでね。
それをトマスにもメイオにも伝えて」

「……どうして?」

「それが、リファたちがこの島を脱出するカギになるか
らさ。タイミングだけじゃない。最後の最後まで、僕ら
は力を合わさないと何も出来ないんだよ。それが……こ
の島での暮らしだった。最後まで、そうだったってこと
だね」

僕は窓を閉めて、へたり込んでるリファの横に座った。

「ねえ、リファ。約束して欲しい」

「……何を?」

「旅立ったところで終わりじゃないんだ。生きて、旅を
続けることを諦めたらだめだよ」

「うん」

「ダグが言っただろ? いい旅をって」

「うん。うん。う……」

また、リファが泣き顔になる。
まあ、今夜はいいよ。
でも、明日は困る。

泣いている暇はない。

「さあ、明日は僕が昼まで保たないと思う。忙しくなる
から、もう休んで。外洋に出たら、体力がないと自滅す
るよ」

よろよろと立ち上がったリファの尻を、一つ引っ叩く。

ぴしゃっ!

「きゃっ!」

真っ赤になったリファを、部屋の外に押し出した。

「お休み、リファ」





Crystal Rain by Mezzoforte