《第五季 二度目の冬 決心》

[三日目 午後]


「湾の方は、なにかいいものがあった?」

「いやあ。まるであのボートを盗まれたからかんしゃく
起こしたっていうみたいに、きれいさっぱりお掃除完了
という感じだったな」

「やっぱり……」

「でも、いっぱいおさかながきてたから、ぼくにもつれ
るかも」

「がんばってね。クーベに釣り方聞いたの?」

「うん、れんしゅうもしたんだよ」

「釣れた?」

「筋はいいね。立て続けに大物を三匹釣り上げたよ」

「あらあ、大したもんじゃない」

「えへへー」

トマスはずーっとご機嫌だ。
外に出て新しいものを見つけたり、新しいことを覚えた
りするのが、トマスの一番の活力のもとになっている。

それを支えているのもクーベだ。

うん、分かってる。
クーベにはクーベの、わたしにはわたしの出来ることが
ある。

でも、島でわたしが出来ることは、うんと少なくなるね。
トマスに対しても。
わたし自身にとっても。

はしゃぎながらご飯をもりもり食べるトマスを見ながら、
わたしは静かに決意を固めた。

何かを決めるっていうのは、急にではなくて、こういう
風に、少しずつ、少しずつ、固まってくるものかも知れ
ない。

ふう……。

ご飯が終わって、席を立とうとした二人を。
わたしは押しとどめた。

「あ、ちょっと待って。聞いて欲しいことがあるの」

二人が、静かに席に戻った。

「わたしね。島を出ることにする」

それを聞いたクーベが、にっこりと微笑んだ。

わたしは。
わたしは……。
その顔を見て、涙が溢れて止まらなくなった。

クーベがわたしに、島を出ろって言うことは簡単だった
と思う。
でも、クーベはそうしなかった。

わたしが本心からどうするかを決めるまで。
クーベは材料だけを揃えて、じっとわたしの決断を待った。

未来は。
わたしの未来だ。
クーベの未来じゃない。
わたしもクーベの未来に関わることはできない。

だから、この決心は決別の決心だ。
クーベやダグに寄り掛かって、島での明日はまだまだ続
くって甘えてた自分との決別。

わたしは、それをじっと待っててくれたクーベに本当に
感謝したい。

トマスが不安そうに、わたしの顔を見た。

「おねえちゃん、ぼくは……?」

「一緒に行こう? いや?」

「ううん!」

トマスが、思いっきり首を横にぶんぶん振った。

「えと、クーべは? いっしょに行くんでしょ?」

クーベはさっきの微笑をそのままに、トマスに静かに告
げた。

「僕は一緒に行けないんだ。次にこの島を出なきゃなら
ないのは、僕なんだよ」

トマスの顔が一気に崩れた。

「そんなあ、やだよう、いやだよう! クーベがいない
なんてぜったいにいやだよう!!」

しゃくりあげて、テーブルに突っ伏して泣く。
わたしも涙が止まらない。

誰だって、一度出来た強い心の絆を切らないとならない
のは辛い。
でも、それを振り切らないと前へ進めないこともある。

出て来い!
わたしの元気!

出て来い!
わたしの勇気!

ただひたすら自分の未来に手を伸ばすのなら、今わたし
がしなければならないのは、立って歩き出すことだ。

わたしは泣きながら、空の鍋を持って席を立った。
そして……。

「クーベ。筏を作るのはわたしがやる。手伝って」

そう、宣言した。

「ああ、なんとか間に合いそうだな。ほっとしたよ」

クーベはいつもと全く変わらない口調で、静かにそう
言って立ち上がった。
それから、突っ伏しているトマスの頭に手を置いて、
厳しく問いかけた。

「トマス。おまえは、おとなか? こどもか?」

ぐすぐす言いながら顔を上げたトマスが、無言で俯く。

「いつまでもこどもみたいな態度だったら、おとなには
なれんぞ。船は一人では動かせん。おまえも船を動かす
大事な船員なんだ」

「……」

「いいか。おまえが失敗したら、おまえもリファも魚の
えさだ。失敗は許されん。絶対に!」

強いクーベの口調に、トマスは身を縮めた。

クーベは笑顔を消して、これまで見たことがないような
厳しい顔付きになった。

「トマス。良く聞け。僕にはもう時間がない。一緒に
ゆっくり操船を教えてる時間がない。これからは、時間
との競争だ。遊びはこれっぽっちも入らない。食べもの
や薪を探すのと同じくらい、いやそれ以上に真剣にやっ
てくれ」

黙っていたトマスに、クーベは返事を強いた。

「トマス。返事は? はい、か? いいえ、か?」

トマスはまたぐすぐすと泣きながら、蚊の鳴くような声
で返事をした。

「……はい」

クーベは、その顔をわたしに向けて。
同じことを言った。

「もちろん、リファもだ。それはリファとトマスの船。
自分たちの未来を探しに行く船。他の誰に任せることも
できない。できるだけ早く船を仕立てて、操作できるよ
うになってくれ」

わたしは、うんと頷くしかなかった。


$いまじなりぃ*ふぁーむ-sim



夕食のあと。

わたしは添い寝してトマスを寝かしつけ、ダイニングに
戻った。

珍しく、クーベは部屋に行ったみたいで、わたししかい
なかった。

わたしは。
ダグがよくしていたように椅子に深く座り、ラジオのス
イッチを入れた。

昨日は潮騒と風の音で騒々しかった部屋の中も、薪が時
折はぜる音しか聞こえない。
その中に、小さな音でどこかの言葉がこぼれ落ちていく。

ダグは。
ここで、どれほどの孤独と戦ってきたんだろう?

わたしやクーベがいることで。
その生活に慣れ親しんだことで。
船を出す時、捨てなければならないものが増えた。

未来よりも今が魅力的に見える時。
それを捨てるのには、本当に勇気が要る。

ダグは。
突然来る終わりの日への恐怖を、エネルギーにした。
だから自分は運命を出し抜くのだ、と。

今から考えると、それは寂しいなと思う。

誰かが、何かが、自分を待っている。
そういう期待は、ダグにはなかったように思う。

ダグは。
とにかく島から脱出したかった。
そのことだけが目的だった。

それを果たした後。
ダグに何が待っているのだろう?

わたしだって、明るいものが未来にあると確信してるわ
けじゃない。
もしかしたら、これまで以上の過酷な運命が待っている
のかもしれない。

でも、わたしはあえて夢を見たい。

わたしとトマスが自分の意志で島を出て。
自分の手で未来を探すこと。
その形が今分からなくても構わない。

だって、今のわたしたちは島しか知らないんだから。
島での発想は、島から抜け出せないんだもの。

きいっと小さな音がして、クーベが静かに入ってきた。

「トマスは寝たのか?」

「うん……。さすがにショックだったみたいで」

「まあ、いつかは言わなければならないことだったから」

様子はいつもと変わらない。
淡々としている。

「よく決心したね」

「時間がないもの。わたしは、リロイの時のような思い
は二度としたくない」

「まあ、そうだね」

「部屋で何をしてたの?」

「筏の設計図を書いてたんだよ。これから難破船が出た
ら、木材を確保しないと」

「そっか……材料が全部あるわけじゃないんだ」

「そういうこと。まだ綱渡りは続いてるんだよ」

クーベはそう言いながら、ふっと笑った。

「でもね、そういう風に時間に追われている時の方が、
余計なことを考えずに済む。リファのこのタイミングで
の決心は、ちょうど良かったのかもしれないね」

わたしは……。

ラジオを消して、立ち上がった。

「クーベ」

「ん?」

「一緒には……三人では、行けないの?」

「……行けない。トマスに言った通りだよ」

「そ……か」

それは。
最後の一押しだったかもしれない。
寂しいけど。

どこまでも、寂しいけど。

思わず。
口をついて出た。

「クーベ。……背中を押してくれてありがとう」

クーベはわたしを見ずに、静かに答えた。

「どういたしまして」





Peace On Earth by Mike Oldfield