《第二季 春 予告》

[二日目 午後]


昼飯を食って。
クーベとリファはそれぞれの部屋に引き上げた。
俺はダイニングに残ってラジオを聞いている。

あの二人にとっては、俺の予告は唐突かもしれない。
だが、あれは俺がここへ来て以来ずっと考え続けていた
ことだ。

島からの脱出。

じゃあ、なぜすぐにそれを実行に移さなかったのか。

俺は怖かったんだ。

自分が何者かも。
何が出来るかも。
皆目分からない。

自分が兵士だったことは分かる。
だが、自分がどこに帰属していたのか。
自分の任務は何だったのか。
何に成功し、何をしくじったのか。
その結果がどうなったのか。

全く分からない。

俺はリファのことなんか笑えない。
最初に仕事、とか任務と言う言葉がその口が出た時。
俺は心臓が止まるかと思ったんだ。

俺の時間は、この島と一緒には動いていない。

ラジオの情報が指し示すもの。
俺がこうしている間にも。
全ての事象が、ぎしぎしと凄まじい音を立てて動いてい
るってこと。
そして、俺はそこから取り残されているということ。

リファの一言は、それを呼び覚ましたんだ。

無くしてしまった自分の意味。
それが、ほんのかけらでもいいから分かっていれば。
俺は次の瞬間、なんとしても島を出ようとしただろう。

だが、島は俺に何もくれなかった。
俺のヒントを何もくれなかった。

それが。
この島の、俺への解答なんだろう。

だから俺は島を出る。
俺の意味を探すために。

島を、出る。


$いまじなりぃ*ふぁーむ-sim



夜になって。
雨は強く降り始めた。

風はなく。
ただ雨粒があちこちで砕けて跳ねる音だけが、塔をすっ
ぽり包んでいる。

俺の予告。
その捉え方は、クーベとリファとでは対照的だった。

やはりと思ったが、クーベは見かけ上何も変わらなかった。
行けとも、行くなとも言わない。
それは言及すべきことではないとでも言うように。
むしろ頑固なくらいに無関心を貫いていた。

リファは激しく動揺していた。
落ち着き無く部屋を歩き回り。
爪を噛み。
髪をかきむしって黙りこくった。

リファには、俺が全てを思い出してここを出て行くよう
に思えたのだろうか?
そんなことはないのにな。

だが、今のリファはかつての俺だ。
見失った自分に怖れおののき、自分に降り掛かった運命
の悪戯に打ちひしがれる。

それは嵐だ。
心の嵐だ。
俺はその嵐を乗り切ったわけじゃない。
ただ、その嵐に立ち向かう決意をしただけだ。

それを。
リファも分かってくれればな、と思う。

「おーい、リファ。夕食が出来たから配膳を手伝ってく
れー」

台所から、クーベがいつもの調子で声を掛ける。

まあ、リファがあの調子じゃ全く役に立たんだろう。
俺は重い腰を上げる。

「クーベ。俺がやるよ。お姫様は今日は役立たずだ」

リファが凄まじい形相で俺を睨んだ。
睨むくらいなら、さっさとやれよな。

「うん? ダグ。どういう風の吹き回しだ? 一度椅子
に根が生えたらてこでも動かないくせに」

「はっ。気が向いたんだよ。それに……」

「ん?」

「船には、減量しないと乗れそうもないからな。これか
らぎっちり体を絞らないとならん」

「へえー」

クーベが不思議そうに俺を見る。
また、何かろくでもないことを言うんだろう。

「じゃあ、早速の粗食だ。感謝したまえ」

ちぇ。
豆のスープと煮た干し魚だけかよ。

ぶつぶつ言いながら料理と皿をテーブルに運ぶ。

おや?
クーベが珍しく銀杯を持って来た。

「何の冗談だ?」

「ほら、朝にジャグがかかってたって言ったろ?」

「お! そうか。もしかして飲める状態だったのか?」

「蜜蝋の封はしっかりしてた。たぶんいけるんじゃない
かなあ。中身が何かは分からないけどね」

「酢とか塩水でないことを祈るよ」

「それはそれで、調味料が増えるから嬉しいが」

俺たちのばかなやり取りを聞いていたリファが、諦めた
ように席に着いた。

クーベが器用にナイフで蜜蝋を削り取る。

ぽん!

景気のいい音がして木栓が抜けた。
匂いを嗅いだクーベがにんまりと笑う。

「いけそうだぜ。ワインだ」

「ほう。毒は入ってないだろうな?」

クーベが俺の言葉に呆れる。

「航海にわざわざそんなものを持って行くやつぁ、いな
いだろう? ダグも時々変なことを言うな」

変なことか……。
俺が変なのか、疑うことを知らないクーベが変なのか。

まあ、いい。
久しぶりのワインだ。
楽しませてもらおう。

クーベがジャグを傾けて、ワインを杯に満たす。

「あれ? 白か?」

クーベが首を傾げる。

「ああ、いつものとは違うな。これは長期の航海用だ」

「長期の?」

「そうだ。ワインは長い間船で揺らすと、酸っぱくなっ
ちまうんだよ。だからそうならないように、甘い白ブド
ウを使って濃い白ワインを作るんだ」

「へえ……」

俺が取り返した記憶。
それは、俺の帰属に関するものじゃない。
それには、頑固なまでに封印が掛かっている。

俺が思い出すことに成功したのは、知識だ。
その大部分はここでは役に立たないが、それは俺を取り
戻すのに必要な鍵。

そう思って、知識欲が旺盛なクーベに思い出した端から
教え込んで来た。
クーベは記憶装置としてはとても優秀だった。
あいつはまるで俺の備忘録であるかのように、俺の言っ
たことを正確に記憶していった。

クーベがそれをどう思い、どう使おうとしているのかは、
俺には全く分からない。
だが、俺たちの生活を彩るのには充分役に立っていると
思う。

まあ……それでいいんだろう。

「ダグ、乾杯はどうするんだ?」

「めんどくさい」

「ま、いいか」

自分の前に置かれた杯の中のワインをしげしげと眺めて
いたリファが、ふいっと顔を上げてクーベを見た。

「これって……なに?」

「ワインだよ」

「ワインて?」

酒を知らないのか……。

リファがどこから来たのかは、俺も知らない。
クーベの話だと、船の舳先に生け贄として縛り付けられ
ていたらしいが、その処遇を見る限り、処女で、どこか
の皇族の子女である可能性が高そうだ。

皇位継承者以外の女人は、皇族とは言っても捨て駒扱い
のことが多い。
政略結婚や慰みものとしての貢納に使われるなら、まだ
いい。

神事の生け贄とされることも、決して珍しくないのだ。

リファはそうした運命を負わされ、饗宴から遠ざけられ
て、ひっそりと飼われていたのかも知れない。

この島に来るずっと前からすでに。
リファはどこかに閉じ込められていた、と考えることも
出来る。

まあ……。
それも俺の想像に過ぎないが。

「飲んでみれば分かるさ。飲んだことがないんなら、最
初は味見程度にしておいた方が無難だな」

「そうなの?」

「一時の快楽の代償が、ひどく大きいこともあるからな」

俺の警告は、リファには届かなかったようだ。
最初一舐めしたその味がよほど気に入ったのか、リファ
は一気に杯をあおって、お代わりを求めた。

「ほどほどにしとけよ」

俺がジャグを傾けて継ぎ足したワインも、瞬く間に飲み
干した。
そうして、全身真っ赤に茹で上がり。
この世の幸福を、全部体感したかような微笑みを浮かべて。

……潰れた。

「だあから言わんこっちゃない」

「まあ、仕方ないよ。飲んだことのないリファにとって
は、砂糖菓子と同じだもの」

「こっちは毒入りだがな」

「ははは。そうだな。風邪を引かさないように、ベッド
に放り込んでくるよ」

「済まんな」

まるで荷物でも運ぶかのように、リファを軽々と肩に担
いだクーベが平然と階段を上がっていった。

俺もだが、あいつも酔わないんだよな。
それに……。

クーベからは、リロイの時のようなあからさまな性への
欲求を全く感じない。
年頃の女を、干し魚と同様に扱う。
俺が自制で抑え込んでいる部分が、あいつには最初から
ない。

不思議な。
本当に不思議な男だ。

俺は。
甘ったるいワインの入った杯を片手に、雨音に浸る。

俺の中の時は。
沈黙を破って動き出した。

雨音でいっぱいに満たされた部屋の中。
一人で杯を掲げる。

「見つかった俺の船に。乾杯」





Heart Of Life by John Mayer