《第一季 冬 難破船の娘》

[三日目 朝食前]


朝。
潮騒が聞こえる。

わたしは。
目を開けるのが辛かった。

昨日の深夜。
部屋に忍び込んで来たリロイが、わたしになにかしよう
としていたのはすぐに分かった。

それが邪心からではなく、底なしの寂しさから来てるん
だってことも、なんとなく分かった。

わたしは、力一杯拒んだ方が良かったんだろうか?
泣き叫んで、ものを投げつけて、出てけって。

それとも、その寂しさを受け入れてあげれば良かったん
だろうか?
向き合って、抱き合って、求め合って。

でも、わたしは何もしなかった。
出来なかった。
ただ背を向けて、じっとしていることしか出来なかった。

わたしの背後にずっとリロイの気配があった。
一晩中。

温もりを強く感じたから、何も着ていなかったんだろう。

でも。
わたしにはなにもしないで。
身じろぎもせず。
ただじっとそこにいた。

リロイがわたしに見たものは、なんだったんだろう?
その寂しさの代償に、わたしに何を求めていたんだろう?
わたしには、それが全く分からなかった。

ずっしりと重い闇が、わたしとリロイを押し潰そうとする。
わたしは堅く目を瞑ったまま、喘ぐように息をすること
しか出来なかった。

背中に感じていたリロイの息遣いは。
そのうち感じなくなった。
顔をわたしから背けたんだろう。

そして、明け方近くになって。
リロイの気配も感じなくなった。

わたしはずっと起きていた。
一睡もせず。

リロイが部屋を出たのなら、すぐに分かる。
でも、ベッドを出るような動作は感じなかった。
それなのに、いつの間にか温もりが消えて、背中が薄ら
寒くなっていた。

足音も聞こえなかった。
ドアを開ける音も聞こえなかった。
ただ……。

何かが床を叩く小さな音だけが、響き始めた。

ぴち。

ぴち……と。


$いまじなりぃ*ふぁーむ-sim



こんこん!

強くドアを叩くノックの音。

「おーい、お二人さん。お楽しみのところ申し訳ないが、
朝食だ。そろそろ起きてくれ」

クーベの遠慮のない言い方!
でも、それで少し気が紛れてわたしは目を開いた。
窓の隙間から朝日が漏れて、それが目に沁みて涙が出た。

のろのろとベッドから降りて、戸を開ける。

「おはようございます」

「おはよう。眠そうだな。リロイもいるんだろ?」

にこりともせず、真っ直ぐに聞くクーベ。

「いた……んですけど……」

「ん?」

「いつの間にか、いなくなったみたいで」

急に黙り込んだクーベが、ずかずかと部屋の中に入って
辺りを見回す。

あの音。
そう、明け方近くからずっと続いていた、何かが床で跳
ねるような音。
それがまだ響いていた。

音の方にちらりと目をやったクーベが、身を翻して部屋
を出て行った。

「そのまま待っててくれ。すぐに戻る」

そう言い残して。

わたしはベッドの端に腰を下ろして、頭を抱えた。
何が。
何があったのだろう?

わたしには全く分からない。
クーベには分かっているんだろうか?

いくらもしないうちに。
クーベとダグが階段を上がってくる足音が聞こえた。
わたしは、ほっとする。

クーベが手に何か持っている。
スープ鍋?
中に何か入ってる?

スープ鍋を慎重に床に置いたクーベが、わたしの前を横
切って、音がする方に歩いて行った。
ダグが腕組みをして、それを厳しい表情で見つめている。

床を何かが跳ねる音。
それが止まった。

クーベが両手で包むようにして、何かを持っている。
そうして、それをスープ鍋の中に落とした。

ぽちゃん。

小さな水音。

「こういうのは……初めてだね」

「そうか……ペーターから聞いてないのか?」

「聞いたことないよ」

「……」

何のこと?

わたしはベッドを降りて、クーベとダグが見下ろしてい
る鍋の中を覗き込んだ。

そこには……。

「こ、このお魚はなに?」

青い、小さなお魚。
鍋の水の中を、不安そうにうろうろと泳ぎ回っている。

クーベが、まるで確かめるように呟く。

「昨日、リロイはこの部屋に来た。リファとの間で何が
あったかは知らないけど、少なくともずっとこの部屋に
いた」

「ええ……」

「で。リロイの部屋にも、他の部屋にも、あいつはいな
い。塔の戸は閉まってる。昨日降った新雪はそのまんま
だ。誰の足跡もない」

「つまり……」

クーベが顔を上げてわたしを見た。

「これが、リロイだってことだ」

「そんな……」

頭の中が真っ白になる。
どういうことなんだろう?
どうしてそうなってしまったんだろう?

わけも分からず涙が溢れてくる。

「う……うっく」

ふう。
クーベが溜息をついた。
ダグがクーベに聞きただす。

「クーベ。こういうことは本当に前にはなかったのか?」

「さあね。地下の倉庫で、島の住人の誰がいつから記録
をつけ始めたのか知らないけど、ここをどうやって出た
かまでは書いてないから分からないよ。だけど僕が知る
限り、リロイみたいのは聞いたことない」

「……」

「もしかしたら、これまでもあったことなのかもしれな
いけど。でも、住人は長くても五年で入れ替わっていっ
ちゃうし、前どうだったかは知りようがないね」

クーベの言い方は、どこまでも淡々としている。
それがなぜだかとてもかんに障る。
僕には関係ない。
そう、突き放されているような気がして。

黙り込んだダグの背中を、クーベがぱんと叩いた。

「まあ、朝飯にしよう。それからリロイを解放してやら
ないとな」

解放?
何から?

あまりに分からないことが多すぎて、絶望的になる。

自分は何か?
何をしなければならないのか?
わたし自身のことも、何も分かっていない。

ここには、それに答えをくれる人はいない。
分かったのはそれだけだ。

わたしの中にわだかまっているいろいろな感情。
自分の感情が理解出来なくなっている。
流れ出る涙の形でしか、今はそれを表せない。

よたよたと重そうにスープ鍋を抱えて、クーベが階段を
降りていく。
押し黙ったままのダグが、その後をゆっくり追う。

わたしは。
部屋に一人。
取り残された。

涙は止まらない。
顔を覆った指の隙間から、どんどん溢れて落ちていく。

でも。
……お腹が空いた。

わたしは部屋を出て、ゆっくりと階段を降りた。





Somthing Of Time by Nightnoise