《ショートショート 0090》


『リピート』


ふう。

きれいに晴れ渡った空を見上げて、一つ息をつく。

ここに来て、朝晩冷え込むようになってきた。
先般まで、暑い暑いと文句ばかり言っていたのが嘘のよ
うだ。

今朝方、妻に進物用の菓子を買ってきてくれと頼まれ、
家を出た。

こんな好天の日に、こどもの遣いのようにただ行き帰り
するのもばからしい。
買い物をする前に、少し遠回りして公園の中を通って行
くことにしたのだ。

少し秋めいてきたとはいえ、まだ夏色一掃とは行かない
ようで、木々の緑はまだ暑さの疲れを残している。

一番寒暖差が激しい木の頂部の葉だけが、わずかだが色
を乗せ始めた。






ベンチに深く腰かけて、また空を見上げる。

そう言えば。
あまりに気持ちよくて、今朝何か不愉快なことがあった
のをすっかり忘れていたよ。

なんだっけ。

雲が流れるのを見ながらしばらく考えたけど、何も思い
出せなかった。

まあ、いい。
思い出せないということは、大したことではないんだろう。






のんびりと公園を見渡し、時々は高くなった空を見上げ、
ゆったりとした時間が過ぎていく。

自然に顔がほころぶ。

ああ、いいなあ……。

「あの……」

突然声を掛けられて、我に返る。

「あ、なんでしょう?」

「こちらに座らせてもらっていいでしょうかねえ?」

杖をついた品のいい老婦人が、にこにことわたしを見下
ろしていた。

見回すと、どのベンチも人で埋まっている。

「ああ、済みません。独り占めして。もうそろそろ帰り
ますので、どうぞ」

立ち上がって席を譲ろうとしたら、柔らかく制止された。

「いえ、とてもいいお天気ですから、のんびりなさって
くださいな」

本当にもう行こうと思っていたのだが、勧めを無視して
立ち去るのもなんだなと考えて、座り直す。

老婦人が、公園の親子連れを見ながらぽつりと言った。

「とても気持ちがいいですねえ」

「はい。すっかり過ごしやすくなりましたね」

「あなたはいつもここにいらっしゃるの?」

「いえ、買い物の途中にたまたま。とても気持ちよさそ
うだなあと思ったものですから」

「そうですよねえ」

老婦人が、杖にもたれてうんうんとうなずく。

ああ、いかん。
本当にそろそろ行かなくては。

立ち上がろうとしたわたしを、老婦人が静かに引き止めた。

「急ぐ必要はありませんよ」

「え?」

その声は優しいが、とても冷徹だった。

「あなたは、出掛けに奥様とつまらないことで言い争いを
して、奥様を突き飛ばした。倒れた奥様は、そのまま動か
なくなってしまった。怖くなったあなたは、外へ飛び出した」

「……」

思い出した。

「外へ飛び出したあなたは、自転車で走ってきたこどもと
接触した。その子は自転車ごと車道へ押し出されて、車に
はねられた」

う。

「あなたは逃げた。平凡に、これまで何もなく平凡に暮ら
してきたのに、なぜこんな目に遭うのか。あなたは世を
呪った。そして、ここに来た」

……。

「ここは平和そのものです。平安と幸福が公園を満たして
いる。あなたは、ここにずっといたいと思った。そう強く
願った」

……。

「願いは叶えられました。あなたはもう、追われることも、
捕まることもありません。ここで、幸福な時間だけを抱き
しめて過ごすことができます」

「わたしは、出られないのですか?」

「ここがあなたの望んだ世界ですから。あなたが公園を
一歩出れば、最初に戻ります」

老婦人は。
そう言って、わたしを見ずにうっすらと。

笑った。





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