ワタシハ、ナニモノカ――。
今まで抱いたことのない疑問。
温かい風に、温かい手。
優しい笑顔、優しい言葉。
今まで感じたことのない想い。
一緒にいたい。ただ、それだけ。
ワタシハ、ナニモノカ――。
――人間じゃない――
人間じゃ、ない?
――レイス、死んだ、娘――
レイス……死んだ? じゃあなぜ生きているのだろう?
いつもの光景。目が覚めると誰もいない。
いや、今は誰かいる。でも、それはミンティではない。
誰? 誰なの?
急に、体中が熱くなった。
頭の中を何かが這いずりまわるような、奇妙な感覚。
「――ア、ア……アアア――」
魂ごと意識が引きずり出されるような違和感に、思わず呻く。
首から下げたペンダントが赤い光を放ち、体内に渦巻く“力”が自分の意志に関係なく体外へ放出される。
ぶうぅぅぅぅん!!!!!!!
「う、ぐ、うああああああああああああああああ!!!!!!!!」
音ともに聞こえたのは、一つの悲鳴。
あぁ、そうだ。これはいつも通りだ。何度も見たことがある、いつもの映像。
逃げようとしたり、殺そうとしたり、様々だったが、最終的にはいつもこうだった。
そして、いつも、一人――。
「ふ、ふふふ……はははははは! すごい! これはすごいぞ!」
飛び込んできた映像は、哄笑するブライムの姿。拘束されているミンティ。
……違う。
いつもと、違う。
ミンティと出会ったときとはまた別の違和感に、恐怖と怒りと戸惑いと悲しみとが一気に混ざり合う。
ブライムの手首に、蒼い光。ティアーズ・サファイア。
あれが、元凶……
(あの時よりも、威力が増している! 世界を確実に私のものにできるぞ!)
禍々しい欲望が、脳裏に響いてくる。
そして堤防が決壊するかのごとく、彼が知る全ての事象、事情、事件が一気に流れ込んだ。
まるで、どす黒い濃密な毒に侵されていくように。
(あとは、あの女を始末するだけだな)
それは、それは……だめ!
まとわりつく網を払いのけるがごとく。
必死に抵抗し、もがき、精一杯手を伸ばす!
ひとしきり哄笑を終えると、ブライムはおもむろに背を向けた。
(精霊族など、滅んでしまえばいい)
…だめ…
届かない。でも、手を伸ばし続けた。
剣を、構え――振りかぶる!
…だめ……だめええええええええええええええええええええ!!!!!!!!
「――~~~~~~~~~~~~~~!!!!!!!!」
「なっ……」
声にならない声で、少女の叫びが轟く。
強風が巻き起こり、立ち上がった少女の体がわずかに浮いた。見開いたその眼光はブライムを捕え、涙がまっすぐほほに線を描いている。
突然の少女の変貌に、ブライムは動揺したが、すぐに平静を取り戻す。
「そんなに、この女が大事か。しかし、お前の力は私が握っているのだぞ?」
蒼く輝く宝石を、少女に見せつける。
「――――っ!」
がくんっと、少女の体制が崩れる。風もやや弱まった。
「悪あがきはよせ、レイス。大人しく、この女が殺されるのを見ていろ」
「――イ……ヤ……」
蚊の鳴くような声で、少女。
しかし、体中にブライムの意志が混ざりこんでくる。
「……イ……ヤ……」
もう一度つぶやき、少女は、首のペンダントに手をかけた。
「まさか!」
それを見たブライムは、今までになく慌てる。
「やめろ! やめるんだ!」
少女に近づきつつ、宝石の力を強める。
「それを外したら……力が暴走するぞ!?」
ティアーズ・サファイアを介し、それを阻止しようと試みるが、
「……イ!……ヤ!」
彼の意志を拒むかのように、少女は手に力を込めた。
ぶちぃっ!
引きちぎって、手を離す。まるでスローモーションのように紅い石は落ちていき、音もなく地面に辿り着く。
瞬間――
少女を包み込んでいた風が止んだ、かと思うと――
ド……ウゥゥゥンッッ!!!!!!
ブラッディ・ルビーの制御から解放された少女の力が、一気に噴出した!
「ぬううっ…………ああああああああぁぁぁぁぁぁぁ……!」
「きゃあっ!」
ラズルを飲み込んだ時の力とは比べものにならないほどの高圧力が広がり、ミンティのいるところまで及んだ。
ブライムはティアーズ・サファイアの力でしばらく耐えていたが、その力の限界はあっという間に迎える。蒼い石にひびが入り、乾いた音を立てて粉々に砕け、彼の断末魔と共に、塵と消えた。
しかしミンティは平気だった。彼女を縛り付けていたロープはボロボロと崩れ、力の風圧に悲鳴を上げたものの、自身に怪我はない。
「べ、ベティ……」
ふらふらと、風に飛ばされそうになりながらも立ち上がるミンティ。縛られていた手首が痛む。
「ベティ!!」
叫ぶが、反応はない。少女は白目をむいている。意識がないようだった。
彼女の力はとどまることを知らず、岩や草木をみるみるうちに飲みこんでいく。
「……! いけない、村が!」
その範囲は徐々に広がりつつあった。このままでは、村までも飲みこまれてしまう。
(――逃げて!)
「え?」
突如頭の中に響く声。幻聴だろうか。
思わず振り向き、ベティを見つめるが、先ほどとなんら変わりはない。
しかし、ミンティにはそれがベティの声だと、はっきり分かった。
「……ベティ……」
(……、……、……、……――)
少女の声なき声を聞き、ミンティの目から涙が落ちる。
「っ! ……分かった。待ってて。必ず助けるからね、ベティ」
涙をぬぐうこともせずにそう言い、力を放出し続ける少女に背を向け、ミンティは村へと走り出した。
ご……おぉぉぉぉぉん……!
その音が響いてきた時、イルザは村の中心にいた。
「……! あそこは!」
ミンティが身を潜めている場所あたりに、暗雲が立ち込め、風が集まり竜巻のようになっている。
あの後、イルザは仲間の一人に発見され、助け出されていた。
すぐに事情を説明して、他の仲間たちから村の人々へ非難するように促し、イルザはミンティがいる場所へ向かおうとしていた、まさにその時だった。
「ミンティねーちゃん……無事でいろよ」
祈るようにつぶやき、イルザは森のへ向う。しかし、
「イルザ!」
彼の背後から、一人の少年が声をかけてきた。仲間の一人である。
「どーした!」
焦りが苛立ちに代わって思わず怒鳴ってしまう。
「あ、いや、村長が……お前も逃げろって……」
まともにうろたえながら、少年が言う。
「……え?」
「イルザの両親も、心配してるって」
「……」
親の事を言われ、思わず黙ってしまうイルザ。だが、すぐに首を振った。
「出来ねーよ。ミンティねーちゃんを見捨てるなんて……」
「で、でも……」
「村長には、もう逃げたみたいだって、伝えておいてくれ。分かったな」
少年の言葉をさえぎり、背を向ける。
「お、俺も行くよ!」
「ダメだ。これは、俺とミンティねーちゃんとの約束なんだ。お前は逃げろ」
言うなり、振り向きもせずイルザは走り出した。
――子供には何もできまい――
ブライムの言葉が脳裏によぎる。
確かにそうかもしれない。今、行ったところで、何ができるのだろうか。
ミンティが無事だったとして、助け出せるのだろうか。
あの風に巻き込まれ、命を落とすかもしれない。村長の言うとおり、逃げた方が正しいのか。
それに、もしかしたらミンティはもう……。
「んなわけねぇ!」
最悪の考えを消すかのように叫び、頭を振る。
「ん……?」
村の外れまで来たところで、イルザは立ち止まった。
人影が見える。あのシルエットは――
「ミ、ミンティねーちゃん……?」
スカートは擦り切れ、白かったエプロンは薄汚れてしまっていたが、確かにミンティの姿だった。
「ミンティねーちゃん!!」
イルザはたまらず駆け寄った。
「イルザくん……」
「よかった! よかったあ! ミンティねーちゃん!」
ミンティに抱きつき、安堵した瞬間、涙がにじんだ。
「ごめんよ。俺、何にも出来なくて……」
「そんなことないよ。イルザくんも、無事でよかった」
そっと、抱きしめるミンティ。その温もりを、ずっと感じていたかったが、そうも言ってられない。
イルザはすぐに離れた。
「ミンティねーちゃん、やつらは?」
「うん、わたしのところに来たよ。でも、詳しく話してる暇はないの。急いで、村の人たちを避難させないと」
ミンティは振り返り、風の渦を確認する。まだ、村に影響はなさそうだった。
「それなら大丈夫だよ。ブライムはこの村を消すつもりでいたんだ。だから俺、みんなに避難するように連絡しておいた。村長も、他の騎士団の人たちも協力してくれて、今頃隣町に向かってると思う」
それを聞いて、ミンティは安堵した。少しだけ、肩の力が抜ける。
「よかった……。今、ベティの力が広がってて……イルザくんも、ここにいちゃ危ないよ。説明は後でするから、とりあえずここを離れよう」
「うん、分かった」
素直に頷き、イルザはミンティの手を取って走り出した。
造られた生のベティ。精霊族であったミンティ。
ブラッディ・ルビーとティアーズ・サファイア。
ブライムとラズルの死。
暴走した力。
ミンティは、あの場所で起こったことを、全てイルザに説明した。
二人は見通しの良い、隣町につながる街道沿いの村の入り口付近にいた。
「隊長……死んじまったのか……」
ブライムと手を組んでいたとはいえ、付き合いのあった人間が亡くなった事は、やはりショックであった。しかも、ミンティを助けようとしていた事は、驚きだった。
「俺……、ホント、役立たずだな……」
あっさりブライムに伸されたことが、悔しいのだろう。まともに落ち込むイルザ。
「そんなことないって。あの騎士団の人に立ち向かうなんて、そうとう勇気がなきゃ出来ないことだよ。それに、村のみんなを助けてくれた。イルザくんがいなかったら、もっと大きな被害が出ていたかもしれないし。だから、そう思わないで、ね」
優しいミンティの言葉。それだけで、イルザは癒されていくのを感じた。
「ありがと。……それで、ミンティねーちゃん、これから……どうするの?」
「……」
問われて、ミンティは風の渦、ベティがいる方向を見つめる。少しずつ確実にその力は広がり、村に迫ってきていた。
「……あの時、ベティの声を聞いたの」
見つめたまま、ゆっくりとミンティは語る。
「“逃げて”、“みんなと逃げて”って。そして、見えたの。ベティの生命力が、みるみる失われていくビジョンが……」
「え……」
見ると、ミンティの瞳には涙。
「全部、分かったの。あの子は元々死んでいた。今生きているのは、あの力がその原動力になっているから。ブラッディ・ルビーは、力をコントロールしながら発動させる働きと共に、それが流れ出すぎないように蓋をする役割があったの」
涙が流れ、ポタ、ポタ、とエプロンにシミを作る。
「ベティは、ブラッディ・ルビーを通じて、騎士団の人に操られるのを拒んで、自分で外した……力が暴走して、死んでしまうかもしれないと、分かっていて……私を助けるために……」
「じゃ、じゃあ、このままじゃ、ベティは……」
イルザも、風の渦を見つめた。ここままでは、村は消えて、ベティは死んでしまう。
「もしそうなったら、あの風……力は、どうなるの? 消えるの? それとも……」
消えずに拡大していったとしたら、被害はこの村だけでは済まない。
「……それは、分からないわ。でも、これ以上広がらないようにしなきゃ」
「どうやって……?」
訪ねるイルザの目を見て、涙を携えたままミンティは微笑んだ。
「わたしの、精霊族の力を使って、ベティを助ける」
「あそこに戻るの?……危ないよ。ミンティねーちゃんも、死んじゃうかもしれないよ?」
イルザは、ミンティの服をぎゅっと掴む。
「大丈夫。わたしはベティの力の影響を受けないの。だから、どんなにベティの力が増しても平気」
嘘だった。ベティの力がどこまで強力なものかは計り知れないが、また同じように自分の力も把握していない。
精霊族の力を秘めたティアーズ・サファイアは、ベティの力の前に砕け散ったのだ。もしかしたら、ミンティの力を超える可能性だってなくはない。
「だから、イルザくんはみんなの後を追って、逃げて。わたしは、ベティのところに行く」
そっと、イルザの拳に手をかぶせて、服から離させる。
「……必ず、ベティを助けられる? 必ず、生きて帰ってくる?」
泣きそうな目で、すがるようにイルザは訊ねた。
「……うん。ちゃんとベティを連れて、みんなの後を追うから。先に行って、待ってて。ね?」
ぽんぽんっと、イルザの頭をなでた。そして、森だった場所を見すえ、歩き出す。
「信じてるからな! ミンティねーちゃんは、村の一員なんだから、必ず帰ってこいよ!」
イルザの言葉に、再び涙腺が緩む。そう、この村の人たちはみんなそうだ。
生きて戻って、ミンティが精霊族だと知られても、気にせず今まで通り受け入れてくれるだろう。
よそ者で、出身も不明なミンティを温かく村に迎えてくれた、あの時のように。
「うん! 行ってきます!」
いつもの笑顔で。いつも朝、出掛けるように。
ミンティは村を後にし、ベティの元へ向かった――。
――続く――