乾燥した空気。すべての水分を奪おうとするかのように吹き荒れる、乾いた風。
荒野にせんとばかりに、木々が枯れていく。空はどんよりと暗く、淀んでいた。
そんな日が何日続いたのだろう。もう忘れてしまった。
今まで、こんな不安定な状況は経験したことがない。まるで生気を無くしていくかのように、村の人々も元気がないようだ。
しかし、彼女は違った。普段通りに起きて、朝食を作って食べ、お皿を洗って仕度し、
「いってきま~す!」
誰もいない家、部屋。しかし誰かがいるかのように明るくそう言って、家を出た。
すらりとしたスタイルに、背も高い。村でも人気の彼女は、近くのレストランでウェイトレスをしている。
ゆるく一つにまとめられた長い黒髪が、彼女の美しさを一層ひきたたせている。
「おはようございます!」
淀んだ空気を吹き飛ばすかのように、明るい声で店に入る。
「……あぁ、ミンティか。おはよう」
厨房から顔を出し、声の主を認めると、不機嫌ともとれる低い口調で言ったのは、ここのオーナー兼シェフのルドだ。
彼女――ミンティは構わず厨房に入っていく。
「ルドさん、今日は天気がいいですね。少し暖かくなるかもしれませんから、氷を多めに作っておきますね」
そう言うと、エプロンをつけて作業に入る。
彼女はウェイトレスだけでなく、開店準備の仕込みもやるようだ。
「天気がいい、か。こんな状態が毎日続くと、天気の良し悪しなんか、わかりゃしないよ……」
「あら? また奥さんと喧嘩でもしたんですか?」
カラカラと笑う彼女。しかし、ルドは無反応だ。
「……ふぅ、仕方ないなぁ……」
小さくつぶやいて、空いてるグラスを手に取り、氷を入れる。
ミンティも、現状を把握してないわけではない。でも、それにのまれていても仕方がないのだ。
無理に元気を出せ、と言ってもそれは本人次第で、意味のないこと。
それに、何か病気にかかったかのように、村全体がみんなこんな状態なのだ。
「はい、ルドさん」
そう言って、ミンティはグラスをルドに差し出した。
「ん?」
「ミンティ特製ドリンクです。これ飲んで、今日を乗り切りましょう!」
「……ありがとう。いつも、すまないね」
今日初めて、ルドは小さな笑みを見せた。ミンティはニコっと笑うと
「それじゃあ、そろそろ看板出してきますね」
テキパキと仕事を始めた。
数時間前。村の外れに、激しい風が集まっていた。
木々をなぎ倒し、巻き上げ、落下しては、舞い上がる。
その中心に、一人の少女。黄金に輝くはずの髪はくすんで、引きちぎられたかの様に痛み、激しい風に抵抗することもなくはためいている。その眼は閉じられ、眠っているかのようだ。
身にまとっているものは、一枚の布。もとはワンピースか何かだったのだろうか。原形をとどめておらず、わずかに肌を隠している程度だ。
胸元にはペンダントが一つ。赤く輝きを放つ石が妙に目につく。
やがて、少女はゆっくりと目を開けた。
とたんに風が止み、少女の身体がしっかりと地面に立ち尽くす。
「……」
周りを見渡す。少女のあたりにはただの地面。草もない。
舞い上がっていた木々たちは、かなり遠くに飛ばされてしまったのか、全く見当たらない。
そして見えたのは、小さな村。
少女はゆっくりと、その村に向かって歩き出した。
お昼時。お店が一番忙しくなる時間。
ミンティが働くお店では、今日もたくさんのお客さんでにぎわっていた。
「おーい、ミンティちゃん。今日も来たぜ~」
まさに屈強と呼ぶにふさわしい、筋肉質たっぷりな身体の大男が数人、店に入ってきた。しっかりした防具を身にまとい、その腰には剣を携えている。
「いらっしゃいませ。いつもお疲れ様です」
水を差しだして、ミンティが笑顔で言う。
彼らはこの村の警護隊である。外敵から村を守るのが仕事だが、いたって平和なこの村で活躍することはあまりない。むしろ土木作業がメインとなっている。
「今日も異常なし、ですか?」
「おう。この変な雰囲気以外は、なんも異常ねえな」
つまらなさそうに、大男――警護隊の隊長が言う。
「ちょっと前みてぇに明るい村なるよう、原因を捜してんだがな……」
「大丈夫ですよ。少しずつですけど、天気も良くなってきてますし、みんなも元気になりつつあります」
「そりゃあ、ミンティちゃんの笑顔があれば、誰でも元気になるってもんだ」
ガハハ、大口で笑う。ミンティは少し照れながら、
「ありがとうございます。今日は何にしますか?」
「そうだな、いっつもA定食だから、たまには違うのにするかな」
「じゃあ、オススメがありますよ。珍しくお魚が手に入ったんです」
この村は、内陸の奥に位置しているため、めったに魚が手に入ることはない。近くの川にいないこともないが、取れても小魚である。
ここでいう魚は、海でとれたものである。
「お! いいねぇ! じゃあ、それ頂こうかな」
「はい! 少々お待ち下さいね」
(よかった……)
厨房に戻りつつ、ミンティは少し安堵した。
というのも、常連の隊長があのように笑ったのを見たのは、かなり久しぶりだったからだ。
本人はきっと気付いていないだろう、昨日までの無気力さを。
(私の感は当たってるんだわ。きっともっとよくなる)
普段から元気なミンティであったが、今日はいつも以上に明るさを増して接客ができそうだ。
「うわあ!」
突然の悲鳴が上がったのは、ミンティが食事をのせたトレイを持って、ちょうど厨房から出てきた時だった。
「く、くるなぁ……!」
一人の男性が、恐怖に顔をひきつらせながら叫ぶ。その目の先は、店の入り口――
ガシャアァァァン!
激しい音ともに、窓ガラスが粉々に砕ける。
「キャア!」
誰かの悲鳴。それを合図とするかのように、まだ若い新米警護隊員の一人が入り口に向かって走りだした。
「なんだ貴様はぁ!」
剣を抜き、飛びかかる!
むわぁぁん…っ
耳障りな音が聞こえたかと思うと、男の剣が“それ”に届く前にゆがみ、消える――。
「な……っ」
危険を察知したか、素早く後ずさる。
誰も言葉を発することができず、見ているものが現実のものかも理解できないくらい、立ち尽くしていた。
「……ちょっと、何?」
声を発したのは、ミンティだった。持っていたトレイを近くのテーブルに置き、スタスタとフロアに出る。
店内の客が一点に見ている入り口――そこに目をやると、一人の少女が立っていた。
「あら、小さなお客さんね。いらっしゃい」
「おいおいおいおい!」
変わらずの明るい声で言うミンティに、常連の隊長が慌てる。
「見てなかったのか? ガラスを割ったり、剣をいきなり消したりしたのはこいつだぞ!?」
「……でも、女の子ですよ?」
キョトン、とミンティ。
「いや、しかし……この雰囲気に、この力は……」
彼の言うことなど気にせず、ミンティは少女に近づく。
一瞬、店内がざわついたが、誰もミンティを止める者はいなかった。
「キミ、お腹すいてるんじゃない?」
少女の前にしゃがみ、話しかける。
「事情は後でゆっくり聞くから、とりあえずこっちに来て座って。今、食事出してあげるからね」
ミンティは少女をうながし、席に着かせた。そして先ほどのトレイを少女のテーブルに置く。
「あぁ! 俺の魚!」
後ろで大男の抗議の声があったが、ミンティはウインクひとつで黙らせた。
「遠慮しなくていいよ。私がおごってあげるから」
少女の身なりを見てわかる。お金など持っているはずがない。分かってて彼女は食事を出しているのだ。
その様子を見ていた店内の客たちは、こそこそとお金を置くなり店を出て行った。
「もー、みんなどうしちゃったのかしら?」
不思議がる彼女に、大男が近づき、腕を引っ張る。
「ちょっと、何ですか?」
「ミンティちゃん、悪いこと言わない。そのこ、食事させたらすぐ店から……いや、村から出てってもらえ」
「え? なんでですか?」
「それは、その……」
言い淀む彼に、ミンティはむっとして、
「人を見た目で判断したら、いけないと思います。こんな身なりしてますけど、だからこそ助けあいは必要です」
「いや、そういうことじゃない」
今度はピシッっと言い放つ。
「この子は……何かわからんが、不思議な力がある。それは、決していい力じゃない。この店の状況見て分かるだろ?」
確かに、彼の言うとおりだ。触れずにガラスを割ったり、剣を消したりなんて、普通は出来るものではない。
「なにか、危険なにおいがする。関わらない方がいい」
「……ご忠告、ありがとうございます。でも私、この子ほっとけません」
そう言うと、ミンティは少女のもとへ戻って行った。
すると、少女はきれいに食事を終えていた。その顔に表情はない。
「残さず食べてくれたのね。ありがとう」
にっこり笑ってミンティが声をかける。少女は振り向いてしばらくミンティの顔を見つめていたが、やがて立ち上がり、出口に歩き出した。
「あ、ちょっと、どこ行くの?」
ミンティが慌てて追いかけると、少女は出口のところで立ち止まり――
崩れ落ちるように倒れ、気を失った。
――続く――