知り合いの息子さんのチームが2回戦を延長戦で辛勝した。

1回戦シードの2回戦で初戦勝利ということになる。

相手は中一日の2試合目だったので、そこはかなり有利だったはず。
にもかかわらず、フルタイム1-1の同点から延長に持ち込まれた。
相手は実力校だったとはいえ、喜んでばかりはいられない。

次の試合は中一週で2戦目。
相手は週末の連戦を経験しての3戦目だがシード校を破って勢いに乗っているようなので飲まれないようにしたいところだ。

だいぶ前に書いたが、総体予選は悪くはないけれど甘々の試合だったので、ここに書いたことの数倍(笑)の内容でああだこうだとアドバイスをした。

その後のU-18リーグを見に行ったところ、そのときの弱点は修正されていて、さすがに今の高校生は飲み込みが早いとひとり納得した。

まあ、とはいえ、自分が伝えたことのうち、どの程度が息子さんに伝わり、どの程度がチーム全体に浸透したのか、あまりわかりはしないのだが(笑)

そのリーグ戦は大差で楽勝の試合だったのだが、相手チームは選手権シード校で昨日の試合を大勝しているから、してみると、どういう面子だったのやらという感じで参考外。

もちろん、リーグ戦時点では相手の面子はわからないのだが、互いに昇格も降格もかかっていない試合で、本番はこの選手権という状況の中で、その弱かった面子の相手に楽勝して喜んでいるのを見て、なんだかなあと感じて、選手権のためにもっと苦しい試合を想定して戦わないと意味がないという内容のアドバイスをした。

総体予選で負けた試合で、苦しいながらも出来た数少ないチャンスをものにするにはどうしたら良いのか、そこを突き詰めるのは当たり前のことなのだが、Jリーグレベルでも出来ていないことに思えるので、そこをしっかりやっておくべきだというアドバイス。

知り合い自体もサッカー大好きお父さんではあるのだが、まあ、自分のようにどうやって勝たせるのかを考えて具体性を積み重ねていくような話は、最近のサッカー好きには好かれないから、これもまたどこまで浸透したのか、、、

だから、その結果とは言えないながらも延長戦で辛勝。

こんなことを書いておきながらも、感じるのは良いサッカーを志向してきたチームに対して、こういう形で勝つためのアドバイスをするのは比較的に簡単。

受け入れる素直ささえあれば、あとは時間の問題に思えるから、間に合うかどうかだけ。
来週はまたしても試合を観に行くつもりなので楽しみ、、、とはいえ、最後のブロック決勝は平日なので観に行けない、、、、

神奈川の予選のこの日程、指導者時代からどうにかならないのかなと思ってはいたわけだが、多くのチームで選手も引率者も夏休みだから、まあ、こんなものなんだろうね、、、

それもあって、指導者時代は高3のこの大会までには自立できる選手、自立できるチーム作りを目指していたわけで、実際、その成果がでたことは結果はもちろんのこと、彼らが卒業したあとに話をしていても感じることができる。

サッカーのようなゲームで自分で考えて自分で判断することがとても大事なのは指導者の共通の認識だろう、、、ただ、そのためにどういうアプローチを取って選手を育てていくのか、、、最初から自主性云々というような指導者はうさんくさい奴が多いので自分は信じない。

自分のサッカーの師は「選手の自主判断なんて期待しない。千通りのことを教えて、千通りの中から選ばせる。」と語ったことがある。

もちろん、比喩だよね、、、

千通りのことを教えていく中でコンビネーションを考えれば、ふたつのプレーの連続でも判断は千×千の百万通り、、、実質無限にあるわけで、自分は無限に指導の引き出しがあるという自負の言葉であると同時に、その百万通りから選択する選手の自主性は否定しないわけで、それは時間とともに自由に判断するようになることに等しいという独特のアプローチだったわけだ。

それでもチーム作りの初手では「これこれのパス禁止!」みたいなことをグラウンドで指示していたわけで、その指示を誰かが破っても何も言われないからと、他の選手が指示を破ったら「ばかやろう!」と怒鳴られたりする(笑)、、、そうして、その指示の底にある理由に選手たちが気づくのは、練習で脳みそを振り絞ることを繰り返し要求された数ヶ月後のこと、、、。

つまりは、「これこれのパス禁止」の指示自体が、素のままで禁止ではなくて、禁止した理由を考えさせる問いかけなわけで、まあ、そこを師は語ったことが無いから横で見ていてもそのことに気づくのには時間がかかると、、、。

自分の知る限りは最初から自主性云々を言われて育った選手の多くは、無判断で好き勝手にプレーしているだけのことがほとんどだから、そのことに気づかない。

多くの上手い子供たちは、その好き勝手なプレーの大概が正解であることが多いので、一見放置しても大丈夫そうに見えるのだが、あるレベルに行けば、当然のごとく止められて、考えることを要求されるわけだが、考える習慣の無かった彼らには、それ以外の選択肢は無いか、イージーであることがほとんど、結果、サッカーをやめてしまう子供たちは多い。

だって、そうだよね、、、生まれたばかりの子供になにも教えずに放置していて、立派な社会人になれるとでも言うわけ、、、
サッカーって社会的なゲームだから、そういうことはないよね、、、

一方で、「サッカー本能」みたいなものもたしかに認めるべきだと思うこともあるわけで、メッシやネイマールのように自分の得意のプレーやドリブルをすれば相手が壊れてしまうレベルの選手だったら、それでもいいんろうね。

だけど、まあ、そういうレベルの選手は世界に数人、、、ところが幾人かの指導者が手元の子供たちをメッシやネイマールであるかのように扱う、、、一方で、幾人かの指導者はああしろこうしろとがんじがらめ、、、

この春に久々に高校生チームとその指導者を間近に見て、子供たちの素直さの一方で、いつの世界もダメなのは指導者みたいだねと、、、ふと、感じた。