仙台での山雅戦。


たしか去年はひとりで新幹線で行ったのだが、ユアスタまでなかなか遠かった記憶がある。


仙台は2002年の時も行ったのだが、そのときの会場だった県営競技場もとんでもなく不便なところにあった。
ユアスタはそれに比べれば街中で便利とはいえ、仙台の中心部からは離れた住宅街にあって地下鉄でかなりかかる。


まあ、駅からは近いので横浜国際よりはましな感じだし、三ツ沢よりも遙かにましかもしれない。

ただ、仙台の中心地からは遠いという感じ。


そういう遠いイメージがあるからやめようかなと思っていたのだが、天皇杯をテレビで見て、やっぱり応援に行けるところは行ってみるかとなって金曜日の夜からクルマで出発した。
こういうときに高速道路の割引制度はありがたい。


それで土曜日は仙台駅近くのホテルに泊まって書いたように食事と買い物をして、日曜日は早起きして仙台港の近くにあるアウトレットモールまで。


アウトレットでキャンプ用品とかなんとかを買いたいという目的はあるのだが、仙台に来たからには海岸方面の被災地をこの目で見ておきたいという感情があったから…


前の晩はホテルから歩いて外食に出て、駅の周辺は全く通常通りと思っていたのだが、閉鎖されていた大きなホテルにひびが入っていることに朝になって気づいた。震災の影響なのだろうか、単に老朽化なのか…


アウトレット周辺とそこに辿り着くまでの道中は港方面にもかかわらず震災の被害は少なかったようで、既に平常を取り戻していた。

が、そこから道路ひとつふたつ隔てた海側は瓦礫の撤去などが行われただけという状況。
言葉を失うような光景があちこちにあり、先の目処は立っていないように見えた。


ことに海岸線の直近では砂漠のような茫漠とした風景の中にへし曲げられた鉄筋や家の土台(基礎)だけが見えているという状況があちこちにあったりして、ただただ呆然とするしかない。


そのなかに建て直しをしているのか、ところどころに真新しい民家ができつつあるのが目についた。

大変なエネルギーだと感心すると同時に、防波堤はいまだに土嚢を積んだだけのところもあるという状況で大丈夫なのだろうかと心配になった。


駅近くの公園には復旧の仕事をしているであろう車両が多数駐めてあった。
平時が戻るのはやはり遠いことを実感した。


東京にいると福島原発問題以外はもう過ぎ去ったかのように感じるときもあるのだが、震災からの復興は非常に困難な道のりだと思わざるを得なかった。


牛タンを食べて、駅前やアウトレットで東京でも買えるようなブランドの商品を買って、スタジアムで復興支援Tシャツを買って、産地直売の土産を買って、こんなことでも何かの役に立ったのだろうか…


仙台郊外では高速道路の出口渋滞を経験した。

最近ではETCが普及して全く経験しなくなったできごとなので何事かと思ったが、被災地のひとたちは証明書で無料になるので、一般の出口に並んでいるために起きる渋滞のようで、ETCをつけている自分のクルマは渋滞を横目にスルスルと通り抜けられた。
この渋滞がなくなる日が本当の復興の始まりになるのかもしれない。


東京からユアスタまで370キロ。
いつものアルウィンまでなら230キロだから、遠いなあと思っていたのだが、被災地の姿をこの目で見ることができて、行ってよかった。


それにしても山雅のサポさんたちは高速がつながって楽になったとはいえ、500キロ以上の道のり。
それを数百人ものひとたちがバスやらクルマやらでやってくる。
いつもながらに凄いことだ。

チームに対するこの惜しみない愛情が、今年実を結びますように…

まだまだ、誰もあきらめてないですよね!