いちはしのバルセロナのサッカーのイメージはこういう感じ。


相手を押しこみっぱなしで圧倒的なポゼッションというのは誰もがイメージすることと同じ。

ただ、それだけでなく、立ち上がりから相手が退いていようが、ハイプレスをかけてこようがつなぎたおす。


「プレス、何するものぞ」という信念のようなものが見え隠れする。


彼らは戦術としてショートパスを使っているというよりも、哲学としてポゼッションサッカーをすることになってしまっているから。


こういう書き方をするのは、イブラヒモビッチを獲得したときには「高さ」を使いたいという発言がバルセロナのコーチから(雑誌のインタビュー記事で)あったわけで、今ほどショートパスをつなぐことに固執していたわけではなかったと思えるから。

それがほんの数年でパスサッカーの徹底度というか純度が変わってきたとみている。

その辺の変化の理由はなんとなくわかる気がするわけだが、それはおいておく。


だから、そこらのチームによくあるキックオフでボールを一旦下げてからどかんと相手のサイドバック付近をめがけてロングを蹴るなんていうのは論外。


なでしこが決勝でやったやつ、だね。

そこからハイプレスをかけるという理屈だろうが、それでバルサのサッカーはないだろうと思うんだけど、ちがう?


ラインの突破は細かくて速いショートパス交換か短いスルーパス、あるいはソロドリブル。
ここはゾーン守備の破り方の教科書通りだが、ショートとか短いとかに片寄っているところは教科書から外れている。


ラインの突破で浮き球の長いボールをあまり使わない。
仮に長めのパスを出しても浮き球であることはほとんどない。


たまにロングで裏へ。
たまにロングでサイドチェンジ。

相川流に言えば驚きのロングが本当の狙いだろうが、リーガあたりでも通らないから脅しのロングになっているように見える。

そのボールはおそろしく正確。


こんな感じか。


ついでの話しとして、御大クライフが監督の時代には「プレッシングサッカーのミラン」対「ショートパスのバルサ」という対立の構図があった。

チャンピオンズリーグ決勝で対戦したときに、クライフは「ミランのプレッシングなんてパスサッカーでかわせる」と豪語していたのだが、あっさりと大敗。
「美しくないサッカーで勝つよりも、美しく負ける方がましだ」と言ったとか言わないとか。
その辺のストーリーの詳しいことはどこかの本に書いてある。


それなのに、いつのまにやらバルサは「ハイプレス」のチームに変わった。
クライフの昔の発言はどうなったのという気がしないでもない。


対立概念だったはずのプレッシングをやるのは奪われたボールをすぐに取り返して、さらなるポゼッションするためにやっているという理屈のようだ。
現代サッカーは極めて攻守の切りかえが早くなっているので、それはそれで時代の変化だと受け入れれば納得がいく。


で、なでしこのサッカー。


相手の脚が止まるとつなぐというイメージ。

立ち上がりから無理してつないでいるようには見えない。
ほんの2年前だったら、ここまでつなぐチームは数少なかったわけだが、今ではこういうやり方は相当に数多くのチームがやっているのでバルサと並べて誉められるほどとは思えない。

バルサの功績でサッカーのベース、あるいは基準が大きく変わってしまったと感じているのだが違う?
数年前と同じ基準でサッカーを見ていてはいけないと感じている。


もうひとつはラインの突破のときに長めの浮き球で裏を狙う形がなでしこは比較的多い。
ショートパスで守備陣形を引き付けておいて裏狙いのはずなのだが、引き付けきれないままに追い込まれるとハーフラインの手前付近からライン裏に蹴って、「ヨーイドン」になっている。これは誉められない。

前半の途中まではこれが多いから、プレスがきついときには無理につながずに裏を狙えという指示が出ているのだと感じる。


おそらくは選手たちはそこもつなぎたいのだと思うのだが、監督の指示は違うのだろう。
それがツイッター騒動でもれ伝わってきた、あの監督ではダメだ発言の真相ではないかと勝手に推測している。そんなことはよくある話しだけど、違うのかな、そのうちどこかから話しがもれてくるだろう(笑)


苦しいときもつなぐのか、苦しいときは仕方がないから縦なのか、そこでもつなぐというよりも、つなげるのがバルサのサッカーだと思うので、そこで裏ならバルサと比べてはいけないという感じがしているのだが、それは自分だけか。


前半の途中からはサイドからつないで組み上げて突破する形も増えるのだが、ゴール前までは行かない。

ゴール近くにボールを運べるのはトップに長いボールを当ててセカンドで勝ってとか、そこで相手に拾われても、ハイプレスをかけて相手のミスを誘ってとかの形の方が多い。


つなぐサッカーの賜ではなくて、運動量の賜だとみる。

だから、本質はキックアンドラッシュ。


それを悪い意味で言っているのではなくて、実際になでしこは北京五輪の1年ほど前から相当にタフなフィジカルトレーニングを積んでいたそうだから、その成果がここに来て実ったと思っているわけで、そこを大きく評価したいわけだ。


監督目線と選手目線と観客目線は違う。


今回のなでしこの色々なできごとを通して、今更ながらそういうことを感じている。