ハーフタイムに相手チームの先生は色々な指示をしていたのだが、応援の高3のひとりが「無理だよ、だって、おれらそんなに練習してないじゃん」と呟いていた。
その通りだねと思うわけで、練習していないことはなかなか試合では出てこない。

で、練習したことがすぐに試合に出るかと言えば、それもなかなかに難しい。

サッカーはそういうものだ。
つまり、一を聞いて十を知れというようなことは、サッカーチームではできないのだ。


で、なんの役にも立たないだろうが、たとえばの話しとして書いておけば、両チームのフィールドのほとんどの選手はある距離以上のボールはまともに蹴れないように見える。
もちろんワンステップで、という話しだ。


一緒に見ていたかみさんも同じ感想で、つまりは両チームともに誰が見ても「ボールを蹴り足りているようには見えない」
これはあるレベル以下のどこのチームでも同じ状況で、大学サッカー部に入部してくるサッカー経験者と自称する部員の多くが同じ状況であることの理由がここにあると感じている。


小学生年代にショートパスを教えて、それでそのまま中学生、高校生になっても、大学生になってもショートパスばかりになってしまう。

キックは筋肉がつけば、いずれ飛ぶようになるというのがそういう指導者の言い分だが、それはいつの日のことで、どのレベルの選手たちのことなのか?
つまりは、その理論はこうやって高校選手権予選を下から戦わなければならない子供たちが、大事な試合で勝つためにスキルを競う中でも当てはまるのだろうか?


なでしこは北京オリンピックと比べてみてもクリアの飛距離が平均して5mは伸びている。
そのことが同じサッカーをやりながらも、今回は勝てた理由のひとつだと考えている。


なでしこのサッカーをバルサのサッカーと評する海外マスコミもあるようだが、アメリカとの戦いで見えていたことは要するに裏に蹴ってキックアンドラッシュで起点を作って、できなければハイプレスってことでしょう。
それを否定するひとはもう一度試合を見直して欲しい。


その裏に蹴るボールの飛距離が5m違えば全く違う試合展開になる。
そういうことのよい見本だと思うわけだが、すぐにもう一度試合を見てくれた方、違いますか?


バルサのサッカーの話をしてもいちはしならば、イニエスタやシャビが60mのクロスパスを逆サイドタッチライン際の味方の胸にぴたりと合わせることに注目する。
しかし、そこを強調するサッカー評論家だの指導者は数少ない。


ショートパスをつなぐ指導の結果として見かけがバルサのサッカーに似るチームは数多く存在する。

だが、ショートパスをつないだ結果として、開いている広大なスペースを直ちに使う術を持たないサッカーを当たり前だと思っているとしたらそれは想像力に乏しいサッカーにしかならない。
もちろん、ショートパスをつないでいるのに、敵を引き付けられないサッカーをやっているとしたら、もっと格好悪いのだが…


それらはわかりやすい一例に過ぎないのだが、相手の考えの裏をかく、あるいは逆をとる戦術や戦略があるかどうか、そのことが見えることがそのサッカーの価値を示しているのだと思う。


残念ながら、日曜日に見たゲームはそこに何もないゲームだ。


そのサッカーの中身をどういう方向で改善していくのか?

よりたくさんパスを回した総体後の練習試合での内容がいいと考えるひともいるだろう。
それも正しいアプローチだと思う。

しかし、いちはしはサッカーの一番の本質はそこにはないという考え方だ。


で、それはそれとしてこの試合ではどうすれば相手をより簡単に切り崩せたのだろう。


そこを理論的に積み重ねて指導するひとにとっては、それこそがサッカーの本質だと語るはずで、その中身は色々あっても本質に近寄っていることは間違いないから悪くはない。


一方で、そこを具体的な手短な指示で解決してしまうコーチもいるわけで、それができれば、サイドで見ているひとには「サッカーコーチが魔法使い」のように見えることもある。

いちはし指導者としてはそういうやり方を好む。


そして、そこで頭をひねって、指示の本質を見抜いてくる選手は賢いと受け止める。

もっとも、そういう選手には自分が指導した時期にはひとりにしか出会っていないのだが…